お前が悪い

、お前……仕事したんだって?」
更衣室で着替えた後、自分のデスクに座れば向かいのデスクの同僚が挨拶もそこそこ悪い顔で話しかけてきた。パソコンを立ち上げる。急いで報告書を作らなければならない。今頃あの本丸には政府の調査員が到着している頃だろう。きっと本丸の刀剣男士達は休む暇もないだろう。何もないはずの左手の甲を見る。何だか熱い気がするのは意識しすぎているせいだろう。今朝のことを思い出すと頭が痛い。
寝る前に確認した時間に1時間前に目が覚めて、まず最初にしたのは元審神者の確認だった。そんなに強く意識を奪わなかったから、もしかしたら目が覚めているかもしれない。それで刀剣男士達に命令でもしてたら面倒だ。「殿」着替えていたら、障子の向こうから爽やかな声が聞こえた。一期一振の声だろう。もしかして起こしに来てくれたのだろうか。障子を開ければ、膝をついている一期一振がいた。朝から完璧だな、この人。黙って見ていれば、向こうも黙って私を見上げた。べっこう飴みたいな瞳の色をしている。駄目だ、いつまでも見ているものじゃないな。ふい、と視線をそらした。そもそも私、人の目を見るの苦手だった。逸らした先に庭が見える。朝日が昇っている。視界の端で一期一振が静かに立ち上がったのが見えた。「朝、ですな」呟くように言ったそれは、私に話しかけているようでもあり、独り言のようにも聞こえる。この本丸には夜が来てなかった。あの審神者は景趣の時間を変えることが出来なかったらしい。というか、恐らく本丸の維持に割く霊力を鍛刀に回していたようだった。それが報われることは無かったみたいだけど。天下五剣がほしいとかその前に自分の刀剣に時間と霊力を割いてやればよかったのに、言っても無駄か。



「昼も夜も来ますよ」

「……最初は、夜だって来ていたのです。それがいつからか、変わらなくなりました」



ぎり、と心が軋んだ。僅かに残ってた良心が痛む。



「月があんなに綺麗だと、改めて思いました」



そう言って一期一振は私に微笑んだ。そしてまた跪き、私の左手を取った。その王子様然とした様子に、一言も言葉が出なかった。



「深く感謝致します。こうして朝を迎えられたこと、そして、地獄から掬い上げてくださったこと……」



手の甲に唇が触れた。おかしいな、日本人にこんな習慣はなかったはずなのに、一期一振は何故こんなことをやってのけるんだ。



「礼を言われるいわれはありません。私は監査官として仕事をしたのです」



今までサボってたけど。今回、私はやるべき仕事をしたことになるのだ。面倒なことだ。これからの処理が考えただけで頭痛くなる。仕事が倍に増えた。
さり気なく左手を引き抜いて、昨日審神者を放置した広間に向かう。途中会う刀剣男士達が笑顔で挨拶してくる。たった一晩で、表情が随分変わった。あぁ、本当に。罪悪感しか湧いてこない。その笑顔を奪っていたのは、私のせいでもあるのだ。
あぁ、頭が痛い。米神を押さえれば、向かいの同僚が笑った。



「で? 審神者はどうすんの?」

「どっちの審神者の話?」

「どっちもだよ。まぁ、ブラックの方は大体想像つくけど……祟られんの?」

「いやぁ……命が脅かされはしないかな。普通に刑務所行きだね。ま、裁判ありきだけど。一回ブラックで捕まったらほぼ有罪確定だからねぇ」



捕まったら、まず裁判を受ける。その判決を持って刑が執行される。ただし、死刑はほとんどない。死んでしまう審神者はいるけど、それが祟りだ。付喪神を相手にしているのだ、理不尽な扱いを受けた神様は結構簡単に祟ってくる。祟られた審神者は、もう政府ではどうしようもないのだ。わざわざ祟りを解いてやることもしない。そんなことして不興を買いたくないのだから。今回の場合は懲役刑で済むだろう。何にせよ、捕まったあとの審神者は私の管轄外だ。知るところではない。問題は次の審神者だ。



「研修期間の終えた審神者は10人。内、引き継げる力を持った審神者は3人……。厳しいね」



元ある本丸を、自身の本丸に書き換えるためには大きな霊力を必要とする。新しく自分の本丸を持って始めるのとでは差が歴然だ。



「3人もいれば選べるじゃねーか」

「ブラック本丸の引き継ぎなんて誰が好き好んでやりたがるの。ストレスで胃に穴空くわ。残った3人、ストレス耐性の結果が著しく悪い。ブラックを立て直したいのに新たなブラック作るとか……私に始末書書けってか」

「始末書で済むかねぇ」



どうだろう。クビにはならないだろうが、休み返上で働く羽目にはなりそうだ。
資料を見る。



「まぁ、でも。今回のブラックは刀剣男士が比較的穏やかだからな……何とかならないかなぁ。無理かなぁ……」

「ブラックに行くのか?」

「一度見に行かないとね。審神者の顔見せの前に。結果を知らせに行かないといけないから」



書き上げた報告書を部長宛にメールで送る。次に審神者候補生のデータを開いた。引き継ぎ審神者は担当監査官に一任される。これがもう責任重大で、一番やりたくない仕事なのだ。



さん」



フロアの入口から、遠慮がちな可愛らしい声が聞こえた。総務課の似鳥ちゃんだ。



「……呼び出しです」



胃がキリキリと傷んだ。フロアにいた人達が皆して私に同情の目を向けている。
呼び出しというのは、政府上層部による召喚のことだ。政府上層部っていうのは神職だ。象徴みたいなところもあるけど、まぁ、逆らったらヤバイところってこと。私たちの直轄の上司だ。この呼び出し、しょっちゅうあることじゃない。嫌な予感しかしない。
謁見室に着けば、既に部長がいた。私に憐れみの目を向けている。きっと何らかの事情を聞いたのだろう。



「……同情はしてやるがな、自業自得だと思うぜ」

「……はぁ……?」

「ブラックの刀剣男士がな、主はお前以外認めないと言ってきかないそうだ」

「え」



部長が首に下げたIDカードをかざした。ピー、という電子音がしてドアのロックが外れる。御簾の向こうに紙の面をした人間が3人座っている。



。今回の本丸の摘発、よくやってくれました。感謝します」

「もったいないお言葉です」



真ん中に座っている女性が口を開く。いつ聞いても年齢が判別できない。



「しかし、刀剣男士に情を抱かせたことは失敗であったと言えるでしょう。彼らは貴女に深く心を向けている。我々としては、貴女のような強力な術師を一介の審神者に貶めることはしたくありません。ですが、神のご意志を反故にすることもできません」

「ただちに本丸に向かい、事態の収拾に努めよ」



冷や汗しか流れない。そして即座に「無茶だな」と浮かんだ。
謁見室から出た後、部長からのIDカードを渡され、肩を叩かれた。



「今、あの本丸は固く閉ざされている。お前以外に踏み込まれたくないんだと」



愛されたな、という部長の乾いた声に、殺意が芽生えた。









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仕事場では本名です。理由は、まぁ、追々……。



2015/05/20
碓氷京