助けて、

。私の使っている名前である。もちろん偽名だ。こっちの関係者はもれなくみんな偽名を使う。名を知られることは相手に魂の端を掴まれるようなもの。ついでに言えば産まれた日を知られることは生きてきた道と生きていく道の筋を掴まれるようなものだから。誕生日と本名を告げただけで、読み解くモノならどんな生活を送っているのかとか、抱えている秘密だとか分かる。
初めて審神者の本丸を訪ねると、大体その本丸の近侍を務める刀剣男士が出迎えてくれるのだが、その時私たちは自己紹介をする。「初めまして。貴殿らの本丸を担当します、と申します。どうぞよろしくお願い致します」と。そうすると彼らは一瞬ぎょ、っとした顔をして慌てたように止めようとするが、名を聞いて、あぁそうか、と納得したような顔をする。それが虚偽の名だと付喪神には分かるのだ。
これは審神者も例外じゃない。偽名を使えというのではなく、本名を明かすな、と厳命している。審神者になった者たちは、すぐに本丸を持つのではなく、政府の施設で数日の講習を受けてから着任する。その講習で最初に教えるのは、本名を名乗るな、である。使役するとは言え、相手は神様なのだ。まぁ、神様相手に偽名っていうのもどうかと思うが、力のあるものなら仕方ない。まぁ、刀剣男士達は審神者の事を「主」と呼ぶから特別偽名を用意する必要は全くない。けれど、本名を上手く使えさえすれば、格段に審神者の力は増す。この事を政府は審神者に教えたりはしない。刀剣男士優先思考の政府とはいえ、みすみす審神者を失くしたりはしたくない。つまり、少しでもブラックの可能性がある限り、霊力を増やす方法を教えないのだ。下手すれば刀剣男士に魂を握られることになるのだし、そうなると生命の危機も考えられるからだ。ホワイト本丸のように、刀剣男士との仲がすこぶる良好だというのなら話は別だが、本名を使って支障が出ないほどのホワイト本丸なんて無い。ここで誤解してほしくないのは、ホワイト本丸が無いという訳ではない、ということだ。大体の本丸はホワイトだ。ブラックはホワイトより数が少ないのも事実だ。だがしかし、こと「本名が使える」ほどのホワイトは無いというだけだ。付喪神といえど、神だ。神というのは私たち人間にはあまり理解できないものだ。何を好むのか、何が逆燐に触れるのか、いまいち判断しかねるところも多々ある。「本名を使える」本丸というのは、刀剣男士達と距離が近いということではない。むしろ、ビジネスライクなお付き合いのことを指す。つまり、「主」の事を慕ってはいるが、それ以上でも以下でもなく、たとえ本名を知ったところで、それを使ってどうこうする気が全くない、そういう関係だ。これがまた相当難しいのだ。いい「主」というのは離れがたいものだし、悪い「主」は排除したいものだ。そういうこともあり、政府は本名の使い方を教えない。まぁ、霊力が高まりすぎても政府にとって都合が悪いっていう面もあるんだけど。



殿、お待ちしておりました」



不幸にも担当になってしまったブラック本丸に視察に伺えば、出迎えるのは高確率で一期一振だ。たまに加州清光や江雪左文字になる。他の本丸でロイヤル王子だなんて言われているように、穏やかな物腰は確かに王子様然としている。こんなに顔も綺麗で、これはあの豚に嫉妬されるだろうな、と心の中で頷く。
大抵の刀剣男士は、私たちのことを「監査官さん」とか「役人殿」とか役職名で呼ぶのだけど、この本丸だけは、何故か「さん」「殿」と名前を呼んでくる。多分、SOSの一種だと思われる。偽名とは言え、名前だ。名前を呼ぶことは、一番簡単な呪文だと言える。彼らは私を呼ぶことで何かに気付いてくれないか、とでも思っているのだろう。



「主は応接の間でお待ちしております」



運んできた政府からの支給資材などを後ろに控えていた陸奥守吉行と太郎太刀に引渡し、こちらへどうぞ、と一期一振が案内に立つ。案内された部屋には、ここの本丸の主がでっぷりと座っていた。私の姿を見るやいなや、のろのろと立ち上がり(きっと本人は急いでいるつもりだが)、



「監査官殿! お待ちしてました!」



と挨拶してくる。堀川国広がすぐに茶を運んでくる。



「今回はお早いお越しで、嬉しく思います」



嘘つけ。確かに2ヶ月も経たないできたけど、絶対に歓迎していないのは明白だ。



「いえ、今回のような急の来訪にもかかわらず、こうして出迎えてくれたこと、感謝します。本来であればまだ時期ではないのですが……今回は視察ではありませんので」

「ああ、知らせにもありましたけど、急ぎの情報があるとか」

「はい。その伝達の為にこちらへ伺いました」



本来ならこんのすけを使って伝達を行うのだが、今回は七面倒臭いことに、監査官が直接本丸に行ってこいとの上からの命令だ。ちらりと控えている刀剣男士達を見た。審神者の後ろに加州清光。私の後ろに一期一振。応接間から見える庭には短刀達が鞠付きをして遊んでいるようだ。



「審神者殿は、ブラック本丸ってご存知?」



政府からの文を鞄から出して広げる。



「広く定義としては手入れを怠る、無謀な出撃を繰り返す以外にも 刀剣男士たちへの身体的・精神的暴力や見目の良さ故に審神者が夜伽を命じるとか 一振りの刀を手に入れるため、古参・新参関係なく刀解っていうのもありますが、まぁそんな感じです。つい先日の話ですが、ある本丸が通報されましてね、調べたところ真っ黒で。とは言っても私の担当外のところでしたので、詳しい話はよく知らないんですが。とにかく、政府はこれを非常に重大な事件だと判断したわけです。何しろ本丸というのは性質上仕方ないとは言え、閉鎖空間でしょう? 審神者殿にも刀剣男士にもストレスが溜まってもおかしい話じゃありませんし……」



おかしな話だけど、審神者の顔は真っ青を通り越して土気色になってきている。このままショックで死んでしまうのではないか、と一瞬思ったけど、そんなやわな神経してたらブラック本丸作らないな、と思い直す。
別に目的は、ブラック本丸が摘発されました。だから皆さんも気を付けてくださいね、ではないのだ。これを機に、目星のついてるブラック本丸を一緒に処分してしまおう、と考えたのだ。正直やめてほしい。仕事が増えるし、定時で帰れなくなる。から私はこうしてカマをかけることにした。これでブラック本丸の審神者が大人しくなってくれればそれに越したことはないし、さらに周到にブラックを隠そうとするならそれでもいい。ただ怒りに任せて馬鹿なことをやって私に被害がきたら仕方がない、摘発も吝かではないけど。そこまで馬鹿じゃないと信じたい。他の本丸に行ってる同僚たちも「上手くやるよ」と言っていたし、多分思ってることはみんな同じだ。



「は、はは……監査官殿。それが僕に一体何の関係が?」



こいつ下手だな。まぁ、知ってたけど。黙って目を伏せている加州清光の方がよっぽど役者だ。



「僕の本丸が、その、ブラック本丸だとでも……」

「さぁ。それを判断するのは貴殿ではありませんので、何とも」



残念ながら、この会話は記録されている。だから下手に助けるようなことは言えないのだ。



「まぁしかしながら私も1年弱この本丸を担当してまいりましたし、その上での報告をさせていただくつもりです」



そう言うと、審神者の顔が少し色を戻した。これまでの視察で粗相はしていないだろうとでも思ったのだろうか。それとも、これから私が報告書を作ると知って何か案でも浮かんだのか……少しでも録なことであることを期待するけど、どうだろうか。



「でしたら、本日はここに泊まっていかれてはどうですか? そうすれば僕の本丸がいかに問題ないか、わかっていただけると思います」



後者だったか。よっぽど急ごしらえの見せかけホワイト本丸に自信があるのか、どうなんだろう。にしては卑しい笑い顔だ。録な事考えてません、ってはっきりわかる。



「それは良い案ですね。ですが」

「ならよかった! おい、加州、早急に監査官殿の部屋を整えておけ」

「いや、」

「そうだ、燭台切に言って今日の夕食は監査官殿の好きなものにしましょう!」



仕事あるんですけど。それにしても、これは賄賂のつもりなんだろうか。きっと何を言っても豪勢なものになるのだろう。これ以上は無駄だろうな。



「……お気遣い、感謝します」



脂ののった気持ち悪い声で笑っている男を心底殴りたい。まぁ、下手なことをしてくるほど馬鹿じゃないだろう。


そう思ってた時が私にもありました。







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2015/05/20
碓氷京