"The art of being wise is the art of knowing what to overlook.";feat.久々知兵助
ずっと外を見ていて、ふと、長屋の入口の方向が気になった。昼過ぎで、帰ってくるとしたらこの頃だろうか、と思う。
そう言えば、は雷蔵と三郎の部屋を知っているんだろうか。のことだから、大きな声で呼ぶこともできず、入口近くをさまよっているんじゃないだろうか。
「……を迎えに行ってくる」
「行ってらー☆」
「ほらな、絶対辛抱できなくなって迎えに行くって言ってただろ?」
後ろで勘右衛門と八が何か言っているが、知らない振りをして部屋を後にした。
廊下の先に、淡い色の着物を来た女の子が立っている。あぁ、だ。あまり私服は見ないから、珍しくてしばらくそのまま眺める。
キョロキョロと周りを見渡し、寂しそうに眉を下げて、困った顔をしている。今すぐ駆け寄ってしまいたいが、それをすると、絶対に抱きしめて離さない自信があるからやめておく。
部屋にいるであろう、他の五年生達は、見慣れないくのたまに警戒して出てこないんだろう。
「!」
自分でもわかるくらい、優しい声になった自覚がある。
「っ、兵助!! よかった、会いたかった!!」
俺の声に反応して顔を上げたの反応と、その言葉に、体が跳ねた。明らかに俺を頼って縁にしている顔。通ってきて俺の装束を握る手。今までと違う反応。ほのかに赤い顔。
一体、食満先輩と善法寺先輩と出かけてその先に何があったというのか。
「よ、よかった……。実は不破ちゃんの部屋が分かんなくって、誰かに聞こうと思ってたんだけど、誰も通ってくれないしで……途方にくれていたところだった。よかった、兵助が来てくれて。もう、ずっと助けを求めてて……」
「……そういうことだとは思ったけどな」
「え、何て言ったの?」
「何でもないよ。……何にせよ、ちょうどよかったな。……がいるんじゃないかと思って来てみたんだけど、本当によかった。俺たち通じ合ってるな」
そう告げた後の反応に、不覚にも固まってしまった。
非常に俺に有利な方向に事態は急速に変化した。何があったのかは分からないし、聞くつもりもない。今目の前で顔を赤くして固まっているが、前とは違って、確実に俺に近いところに存在している。
そして、確実に俺を意識している。つかまえられる。もう少し時間がかかると思ってたんだが。食満先輩方に何を言われたのか知らないが……有難い気持ち半分、悔しさ半分といったところか。俺が変えようと思ってたのに。
まぁ、いい。これはもう利用するしかないだろう。
「……何でそういうこと言うかな……もうちょっとこう……手加減? 的なものを要求したいんですが……」
「ん? 、今なんて言ったんだ? よく聞こえなかった」
「何でもないよ」
無理だ。が気づいたのなら、もう俺も抑える必要がない。はあくまでも知らないふりを貫き、普段通りに振舞おうと努めているようだが、すでに失敗している。本人は気付いていないようだが。ずっとを見てきたんだ。それくらい気づかなくてどうする。
「じゃあ、雷蔵の部屋に行こうか」
他愛ない話をしながら廊下を歩く。部屋の中から好奇心と興味の視線が飛んでくる。それらを一切無視して進む。これは、牽制も兼ねている。まぁ、横槍を入れてくる奴なんかいないとは思うけど。
「さ、て。ここが雷蔵と三郎の部屋。その一つ空けて隣が八の部屋。反対側のちょっと奥に行けば俺や勘右衛門の部屋がある」
今度来るときには迷わず来れるようにほかの部屋も案内する。大体は俺らの部屋かこの部屋に集まるんだが。
中から御園が出てきて、の手にある箱を要求する。三郎の目が早く入れと訴えかけてくる。
と御園の小芝居で、泣き崩れるマネをするの背中をさする。小さい声でありがとう、と呟いた。
「……不破ちゃんは意識してないかもだけど、私不破ちゃんに助けられてるからさ……」
「え、いきなりどうしたの! そんな神妙な顔しちゃって」
「何だ。今頃雷蔵の素晴らしさに気づいたのか? だがしかし、お前に雷蔵はやらないからな!!」
「あ、ふみ。そっちのまんじゅうはこしあんだから、反対側の食べたほうがいいよ」
「無視か!!」
と雷蔵の間に、何かあったんだろうか。雷蔵の顔を見ても、何も思い当たることなどない、と首を振るばかりだ。
「はい、。湯のみないから……悪いけど、俺の使って」
こっちに意識を向けようと、茶を淹れる。湯のみがない、というのは嘘だ。隣の部屋にでも借りることはできるが、それは嫌だ。
「え、あ、いいの? 何なら自分の持ってくるけど……」
「いいよ、使って。飲みたくなったら他のやつからもらうから」
「いや、じゃあこの湯のみ使おうよ。兵助のなんでしょ。私あんまりお菓子食べるとき飲み物いらない人だから」
そう言われても俺は譲らない。諦めたのか、はそれ以上言わなかった。使わないか、と諦めたが、は無意識にだろう・何回かそれでも使った。
「で? 新しく出来た水茶屋とやらはどうだったの? 美味しかった?」
「うん。すっごく混んでて、座る席見つけるのが大変だった。オススメって書いてあるやつを頼んだんだけど、」
そこで言葉を切って、少し考えたあと、名案を思いついたというような顔で、
「……今度、食べに行こっか。次の休みにでも」
「え、結局美味しいの、どうなの?」
「やっぱり個人の好みっていうのあるじゃない。ここで私がすっごい薦めても、ねぇ? それに、そう言えば皆で出かけたことないよなぁ、って思って。どうだろう?」
まぁ、俺に対する態度だけが変わったとは思ってはいなかった。変わるならこっちが先だろうとは思ってたし。
は、何故か忍たまを避けて生活している。それは俺たちが仲良くなっても変わらなかった。常に境界線を引かれているのは感じていた。
だから、が、から誘ってくるというのは、ある種の合図のようなもので。
一瞬で他のメンバーとアイコンタクトをとって、一番に俺が答えた。
「次の休み、空けとくよ。行こうか、皆で」
「よかった。……ありがと」
たちが戻ったあと、置いていったお菓子を食べていた。
「……兵助」
勘右衛門が確認するような声で名前を呼んだ。
「うん。何があったのかはわからないけど……確実だな」
「わぁ、よかったね! 兵助!!」
「ありがとう、雷蔵」
全員、の変化に気づいた。まぁ、分かりやすかったし、当たり前だろう。
これで、は手の届くところに降りてきた。今日、ここで話していても、一回も遠くを思う目をしなかった。の深い事情は知らない。いつか話してくれるならその時は聞くし、話さないのなら、聞かない。それはずっと前から決めていたことだ。
あぁ、ようやっとだ。これでに手を伸ばせる。
「……俺、をつかまえるよ」
頑張れ、と皆が応援してくれた。
END