美しさに似た彼女
ここに連れてこられてから、一体どれだけたったのか、正確にはわからない。寝ている時間が多かったせいかもしれないが、私に数える気がなかったからなんだろう。
これじゃあダメだ。何が、っていうのは私がこの今の状況を甘んじて受け入れているということだ。ただ助けを待っているだけ。いや、本当は待ってすらいない。さっさとネメシスとやらに連れていってしまえばいいとさえ思っている。そうすれば、何もかもケリをつけてしまえるだろう。
結局、何でも他人の行動でもって自分の先を決めようとしている。最悪だ。だって私は一度もここから逃げ出そうとしたことがなかったじゃないか。……いや、そもそも私みたいな弱っちい一般人が逃げられるのか、という点はあるのだけど。
思い立ったら吉日、と言うのだろうか。
部屋を出て、とりあえず廊下を進んでみる。どちらに行けば出口なのかわからないので、いつもデマンドがやってくる音のする方と逆に行く。
「……あの部屋って、大体どこらへんに位置してたんだろ」
多分、奥の方だとは思うんだけど。
にしても、誰ともすれ違わない。元々人が少ないのかもしれない。まぁ、その方が都合がいいのだけど。ここに来てからデマンドとエスメロードしか見ていない。確か他にもフードかぶった怪しいヤツと、デマンドの弟もいたと思うんだけど。あ、いや、見てみたいとか会いたいとか全く思ってない。思うはずない。
「―― そこで、何をなさっているの?」
ふいに、声をかけられた。聞いたことがあるような、ないような。でもやっぱりない声だった。声のした方へ振り返ると、ピンクの長い髪の美女が立っていた。何だか、見たことあるような気がする。
「お姉様、迷ってしまったんでしょう? 方向音痴だもの、ね」
誰だ。いや、わかる。学生さんの記憶にある。
「あのプリンスが心配して探しているかもしれないわ。もしかしたら今にも飛んでくるんじゃないんですか」
「……ちびうさちゃん、で合ってるのかなぁ」
「そう、そう呼ばれていた時期もあったわね。忌まわしい。……今の私は暗黒の女王、ブラック・レディ」
ちびうさちゃんはそう言って額を指した。そこには、デマンドと同じような黒い三日月があるし、耳には邪黒水晶がぶら下がっている。
彼女はあんな丁寧な話し方だっただろうか。もう少し上から目線だった気もしないでもないけど……。ん? なんで私をお姉様なんて呼んでるんだ?
ちびうさちゃんは私に疑問を大量に植え付け、笑って私の腕を引いた。
いつだ。いつからちびうさちゃんはブラック・レディになったんだ。うさぎは何をしているんだ。自分の娘くらいちゃんと見ときなさいよ……。
「お姉様があのプリンスのものだなんて信じたくないけれど……でも、一緒にいられるものね。……あたし、お姉様にしてほしかったことがあるの」
連れられるがままに歩けば、着いた先は私に与えられている部屋だった。
「プリンスは相当独占欲が強いのね。お姉様の部屋だっていうのに、あの男の匂いがするわ。もちろん、お姉様からも。……手が早いのね」
そう……なんだろうか。意識したことないんだけど。正直匂いとかわからん。
そもそも、この部屋だって、別に私の部屋だというわけでもない。与えられたものではあるけど。私の匂いがつかなくてもいいんじゃないだろうか。
そして何より。手が早いって何だ。そういう方面の話は勘弁してほしい。そういう意味なら、手は出されていない。危ないときは何度もあったけど。
「でも、今だけはあたしのお姉様だもの」
腕を引かれ、この殺風景な部屋において大きな存在感を放っているベッドに座らされる。隣に座ったかと思うと、膝にピンクの頭が乗っかった。俗に言う、膝枕している状態だ。
「ちびうさちゃん……?」
「……ずっとしてほしかったの。ね、髪を撫でて?」
言われたとおり、梳くように髪に手を通し、ゆっくりと撫でてみる。まるで猫みたいに満足そうな表情で笑っている。
……あぁ、そう言えば、いつもうさぎにせがまれてはこういうことをやっていた。そうか。あれを見て、羨ましかった・というところだろうか。体は大きくなっても、中身は大して変わっていないらしい。小さく息をついた。これが呆れなのか安堵なのか、自分でもわからなかった。無意識だった。元々ため息が多い方だと自覚はしてたのだけど。
「……お姉様の手、とても冷たくて気持ちいい。あたし、この手大好きよ」
「そう……? 奇遇だね。私もこの手が大好きなの」
しばらくそうして頭を撫でていると、部屋のドアが開いた。顔を上げると、何だか不機嫌そうな顔をしたデマンドが立っている。口を開いて何か言おうとしたら、先にデマンドが低い声を出した。
「何を、している?」
視線は私ではなく、私の膝の上に向けられていた。
「あら、嫌だ。男の嫉妬は醜いって前にどこかで聞いたことがあるわ」
あれ、私は女の嫉妬は醜い、だったんだけど。結局嫉妬は総じて醜いものだということなんだろうか。
「ブラック・レディ。早くここから立ち去れ」
「……せっかく、いい気分で寝られそうだったのに。お姉様、また今度、プリンスがいないときにしてね」
寝るつもりだったのか。うさぎにしてても、その後は痺れてたっていうのに。人の頭って重いんだから……。ちびうさちゃんがちびうさちゃんのままなら全然構わなかったんだけど。
デマンドの耳元で何か囁いた後、ちびうさちゃんは部屋からいなくなった。残ったのは、膝が痺れる一歩手前の私と、不機嫌そうなデマンドだ。
デマンドは部屋の入口を一瞥したあと、少し急ぎ足で寄ってきた。その勢いに若干腰が引ける。
「……何を、していた」
え、見て分からなかったの。
なんて言えないので、大人しく答えることにする。
「膝枕、ですけど……」
「何故そんなことを」
「してほしい、って言われたから」
まぁその前に、了承も取らずに急に乗っかってきたから、許可とか関係なかったけど。彼女の中では既に決定事項だったみたいだし。
しばらくデマンドは不機嫌そうな顔のまま考え込み、隣に腰を落ち着けた。かと思ったら、膝に重いものが落ちてきた。デジャブだ。デマンドの頭が乗っかってる。
え、と思って思わず下を見る。目を閉じて完全に寝る体制に入っていた。バス、っとベッドが沈む。デマンドの長い足がベッドの上に丁寧に投げ出されている。うわ、コイツ本気で寝ようとしてやがる……。
「ちょ、っと……!」
「……何だ」
講義の声を上げようとしたら、低い声が返ってきて、私はすごすごと、何でもありません……と尻すぼみな返事しかできなかった。
せめて。せめて寝るのを妨害してやろうと思って、デマンドの頭に手を置いた。髪をいじってやる。指に絡めたり、撫でてみたり、梳いてみたり……とにかく一貫性のない動きを繰り返す。
小さい頃、母さんが私を寝かせようと膝枕して髪を撫でてくれてたまではいいのだが、どうも飽きてきたらしく、徐々に撫でる手が違う動きを始め、最終的にはみつあみをしてみたり……、まぁ、寝付くことは出来なかった、という今では笑い話なのだけど。
流石にデマンドの髪をみつあみにしたら後が怖いので、せいぜい絡めるのが上限だろうか。引っ張って髪の毛抜いても怖いし。
いやしかし、デマンドの髪は指通りが素晴らしい。女の私より綺麗なんじゃないか。うん。銀髪綺麗。
というか、体調その他諸々を含めると、私が膝枕してもらったほうが理にかなってる気がする。してもらいたくはないけど。楽しくないし。だったらいつも通り寝たい。寝たい。
……結構好き勝手に髪で遊んでみたけど、デマンドは目を閉じたまま、特に抵抗もされない。見る限り、穏やかな顔をしている。……本気で寝てる、雰囲気だ。いいのかな。仮にも一族を率いるプリンスがただの一般人に髪をいじられつつも寝顔を晒してるっていうのはアリなのか。私的にはナシだと思うんだけど。こんなことしたら舐められるんじゃ……。
そう思うと、よく分からないけど心が痛んできたので、手の動きを止め、デマンドの頭からどけた。
すると、デマンドは眉を軽く寄せ、うっすらと目を開けた。
「…………」
少し掠れた低い声に呼ばれる。何だ、と思ってそのまま見下ろしていると、手が伸びてきて、私の腕を掴んだ。
「……せっかく、人が……」
小さい声でぼそぼそ言うもんだから、あまり聞こえない。じ、っとデマンドを見ていると、痺れを切らしたようで、自らの頭に再度私の手を置いた。
「やめるな。続けていろ」
「……え、でも……」
「お前は私の妻だ。ブラック・レディのものではない。お前の髪の毛一本からつま先まで全て、誰にも渡さない」
いいな、と言い残し、またデマンドは目を閉じた。
何点か反論させていただきたい。もちろん、心の中で。
まず一番重要なところから。私、貴方と結婚した覚えありませんが? むしろあったら困る。何だ、もうこの人の中では決定事項なのか。それはどうやったら覆せるんだろうか。無理な気がしてた。
そもそも、結婚自体、無理がある。ここ、前線基地でさえも、少し慣れたとはいえ体調にキツイものがあるのに、ネメシスに連れてかれたら……私、本当に動けなくなっちゃうんじゃないだろうか。
死にたくなんかないから今までも今現在も大人しく従っている。デマンドに対する胸中にあるしこりは無視だ。こうして膝の上にデマンドが寝ていて、その髪を撫でているだけで、じわりと滲み出るもののそんざいを認めない。認めてたまるか。
二点目。そもそも私は誰のものでもない。私は私だけのもの……のはずだ。言い切れない理由は、まぁ、猫をかばって死んだ挙句、その後も未練がましく人の夢を占拠する学生にある。それでもここ最近は見なくなったのだけど。暖かいっていうのはやっぱり重要だ。
デマンドの言うことに従い、髪を撫で続ける。穏やかで平穏な時間だと感じる。おかしな話だ。私は誘拐されてここに軟禁されてる状態だというのに、加害者(対した害は受けた記憶ないが)に寄り添って安堵しているだなんて。
私は一体どこに向かって進もうとしているのだろう。
今ここに流れている時間は何を生むんだろう。
「……ずっと。ずっとこのままこの時間が続けばいいのに」
ポツリと出た声が予想外に大きくて、思わず口を抑える。……デマンドは、起きなかったようだ。よかった。
私がつぶやいてしまった言葉の指す事―つまりデマンドとずっと一緒にいたいという事になるのだけど、それに気付いたのは、デマンドが再度起きて私に休むよう言いつけ、暖かい腕の中に引き寄せられたときだった。
間違いなく、私はデマンドに……心を向けているのだ。
To be continued......
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なうろーでぃんぐ。
予定が狂いました。当初より長くなってしまいそうです。
2011/10/29