三度目の人生、多分前世の夫が仇敵っぽい 3









これは無理だろうな、と先方がわざわざ用意してくれた帰りの網車の中で思った。

成親おにい様がこの見合い話を持ってきた時、どうにも兄の顔が微妙だったのを思い出す。
私はその見合い話の詳細を知って、ひっくり返るかと思った。思わずおじい様のところに駆け込もうかと思ったくらいだ。

中納言の息子殿との見合い話だった。しかも、官職などほぼ藤原の縁者で固められている中でも負けずに存在感を放っている鬼舞辻家だという。
鬼舞辻中納言の息子、鬼舞辻無惨殿といえば、大変に病弱である事が有名だ。12歳で元服したが、出仕もままならず日々の殆どを床で過ごしているとか。
中納言殿の息子であるとは言え、病弱で出仕もままならないという事を踏まえ、最初に頂いた位は従八位上となったが、それでも学問に秀で、大変に優秀なのだとか。これで身体さえ丈夫であれば父親以上の出世も夢じゃなかっただろう、と言われる程。と、言うのも、彼は20歳まで生きられないと言われているらしい。
そんな所から貴族でもない安部家の娘に見合い話が来るわけがない。何かの間違いに違いない、と思ったが、兄はこんなことで冗談を言わない。
それにしても、どうにも兄の表情が微妙であったことが気にかかる。その後夕餉を共にしたおじい様もお父様も、何故か微妙な顔をしていたのだ。

自分で言うのもなんだが、私は大変に可愛がられている。おじい様にもお父様にも、3人いる兄にも、だ。安部家に娘が生まれたことが無く、私が生まれた時はそれはもうお祭り騒ぎだったらしい。そのせいか、後継として可愛がられている昌浩おにい様とはまた違ったベクトルで、それはもう大層大事に可愛がられた。
女の子が生まれた、という理由ともう一つ、そんなにも大事に育てられた理由がある。
あの、大陰陽師・安倍晴明の孫娘、陰陽師の家の子供であるのに、これっぽっちもそのような才能が無かった。無さ過ぎたのだ。
それが分かるエピソードがある。
おじい様が使役している式神に十二神将がいる。彼らの中には徒人には耐えられない神気というものが備わっているそうだ。もちろん大小はある。
その中でも一番苛烈だと言われている騰蛇という火将がいる。すでに成人して慣れているはずの父や兄が今でもあまり得意ではないくらいの苛烈さだとか。そんな神気に触れた子供、特に赤子なんていうのは基本的に泣きわめき怯えるのだそうだ。ただ一人、昌浩おにい様は笑ってその指を握ったそうだが、その話はまた別の話になる。
私と昌浩おにい様は一つしか違わないので、よく一緒に寝かされていたそうだ。
赤子で、女児であることも踏まえ、騰蛇は私の前に姿を現さないようにしていたそうだ。だけどその日、お母様の体調が優れず、おじい様が私と昌浩おにい様の面倒を見ていた日。そうとは知らずに頼まれていた仕事をこなした騰蛇と、同じく苛烈な神気を持つ勾陳の2人がおじい様への報告のため、部屋に顕現した。
その一瞬で、神将もおじい様も、私が大声で泣きわめくだろう、と身構えた。だがしかし、当の赤子である私は無反応だった。おにい様の様に笑うでもなく、そして拒絶するように泣きわめくのでもない。
たまたまかと思えば、幾度にわたって、そのようなことがあった。試しに神気を強めても無反応。後に、私には兄たちの様に見鬼の才が無い事がわかったが、それと同じように、何一つ感じることが無いということも分かったのだ。
これを家族は大変に危惧した。本能で危険を察知できない、と。実際、安部の娘ということでいたずらしようとした、妖の派手な悪意にすら気付かなかったそうだ。それが分かって以来、私には護衛として十二神将が1人必ずついているらしいが、勿論普段はわからない。彼らが私に見えるまで神気を強めない限りは。

話が長くなったが、とにかくそんなに可愛がられている私への縁談に、微妙な顔ってどういう事なの、と言うわけだ。
娘は嫁にやらん!、もしくは玉の輿だぞいえーい、とかどちらかに寄ると思うのだ。
それでどうしたのかと話を聞けば、どうにも占いの結果によるものらしい。

成親おにい様は、この縁談が義父から持ち掛けられた時、もちろんお父様に連絡を入れたが、その傍らで占ってみたそうだ。この縁談について。
そしてその結果が微妙なものだったので、天文学生である昌親おにい様にも占わせた。しかしその結果も同じように微妙だった。一方、縁談の連絡を受けたお父様もとりあえず占ってみた。その結果が何とも言い難かったので、おじい様に相談し、おじい様も占ってみた。
結果を簡単に言えば、可もなく不可もなく、と言ったところ。誰が占っても、占いの方法を変えても、結果はあまり変わらない。もっと詳しく言うなれば、『私』と『無惨殿』にとっては吉と出る。ただ、それだけ。その他に出る影響については霧がかかっているかの様に見えないらしい。
2人にとって吉ならそれでいいじゃん、とはいかないのが中々難しいところだ。お父様達も、少しでも良くない結果が出るであれば何とか丸め込んででも見合い話を避けたいらしい。というのも、単純にまだ嫁に行って欲しくないとかそういう気持ちがあるみたいだが。けれど、娘の幸せを考えると、決してこの縁談は悪くない。むしろ吉と出ている。だから揃って微妙な顔をしているらしい。

そんなこんなで、家族から微妙な顔で見送られつつ、鬼舞辻のお屋敷に行って無惨殿と顔合わせしたわけだけど。

指定された日は、無惨殿の体調が良い日だったらしい。
案内してくれた女房が、今日は久しぶりに直衣をお召しになった、と言っていた。いつもは床に臥せっているから、という事なのだろう。
そうやって体調がいいというのに、いきなり見合いだなんて可哀想だな、と思いつつ通された部屋は中庭に面していた。案内されながら、前世の国語や歴史の資料集で見たような世界だな、と感心していた。
部屋にはすでに無惨殿と思われる人が、一段高い畳の上に、脇息にもたれて座っていた。
この時代、女性はみだりに顔を晒してはいけないとされているが、そんなのは貴族だけの話で、私は扇すら持っていなかったし、隠すような身分でもなかったので、そのまま礼をして座った。
なるほど、確かに大変美人だな、というのが感想だった。薄幸の美少年だと、彼が元服した時の噂だ。病弱の為か、白い肌に線の細い体。それにとても綺麗な顔立ちをしている。今日この美人を見れただけで充分だな、と眼福だ。
女性からみだりに話しかけてはいけない、というのが常識としてあったので、一応口を開かずにいたのだけど、向こうが口を開く気配もなく、ただ私が頭を下げたまま時間が過ぎていく。
段々と、やっぱり私の聞いた常識が間違っていたのではないかと思い始めた。いくら女性から云々とあっても、そもそも身分差があるので、その常識が通用しないのではないだろうか。だとすると私は、部屋に入っても挨拶一つしない失礼な奴、ということになる。私自身が失礼な奴になるのは別に構わないが、これが安部家の評判になると大変に困る。ここはやっぱり遅くはなったけど、「安部家の末娘のです。よろしくー」みたいに言った方がいいかもしれない。そう思ってゆっくりと頭を上げると、何と無惨殿は私にこれっぽっちも興味が無いようで、手にした扇の柄を見ていた。その瞬間、「あ、これ話無かったことになるな」と思ったのだ。やっぱり彼本人にその気があるわけじゃなく、親が言うから仕方なく、みたいな感じなんだろう。その事にすっかり安心してしまって、でも流石に帰る訳にもいかないから、気になっていた中庭見物をすることにした。いやだって、こっち見てないし。話すこともないから、まぁいいかな、と思ったのだ。
中庭の向こうには船遊びが出来るほど大きな池が見える。そう言えば、昌浩おにい様が元服する前、大臣様の家に伺ったことがあり、その時に船を浮かべようか、と大臣様に言われたと聞いたことがある。この屋敷は恐らく大臣様の屋敷よりは小さいのだろうが、私にとっては十分広く感じる。
中島にはちょうど季節の紫陽花が咲いているのが見える。ピンクに見えるから、あの地面はアルカリ性だ。ピンクより青い紫陽花の方が好きだな。



「何をそんなに見ているのだ」



そうやって眺めていると、急に話しかけられて、すぐには反応できなかった。
そう言えばこの時初めて声を聞いた。



「……いえ、紫陽花が見事だな、と」



そう返してから、急いで再び礼の姿勢を取った。いけない、身分身分。
けれど、そう構えたのも束の間、今度は許しが出た。畏まらなくていい、と。本当にいいのか、と恐る恐る体を起こせば、これまで無言だったのが嘘のように会話が繋がり始めた。
一体どんな心境の変化があったのか、皆目見当もつかないけれど。
彼は陰陽道というものに少なからず興味があったらしく、色々と聞かれた。私も才能は全くないが、幼い頃から家に会った関連の書物を読み漁っていたので、そこら辺の話をした。最終的には成親おにい様直伝の陰陽師あるある怪談話をいくつか披露していた。
正直に言う。大変に盛り上がった。
そのままお屋敷で昼餉を一緒に頂いて、帰り際、彼が女房に命じて紫陽花を一房切って持たせてくれた。大変仲良くなったと思う。

だからこそ、無理だろうな、と思った。
こうして盛り上がっていた間、二人きりだったわけがない。傍には何人か女房が控えていた。
そして、怪談話をしている私を見て、かなりドン引いてた。きっと彼女たちは中納言様に報告するはずだ。

大陰陽師であるおじい様は、狐の化生との合いの子という噂が大変有名で、それ故に一部の殿上人や女房の間ではあんまり評判が良くない。そのくせ何か異変があればどんなに小さなことでもすぐにおじい様に頼ろうとするのだから、笑ってしまうのだけど。
とにかく、どんなに大臣様の信任厚かろうが、異形の物が関わるだけで気味が悪いだのなんだの言われるのは、結構日常で、私自身はそのような異形が見えずとも、そんなことは他人からしてみれば関係ない。これまで私自身が妖に連なる者だと言われたことだってあるにはあるのだ。
そして、ドン引きしていた女房達は、総じて、私を気味悪がったかの人々と同じような顔をしていた。教育が行き届いているのか、口にすることは無かったけれど、もしこれから仕えることになるかもしれないと考えた時に、さて私の事を良い様に報告するだろうか、と。

だから帰宅して、私の事が心配だったのか久しぶりに兄達が揃って出迎えてくれたのだけど、正直に感想を述べたら、3人とも微妙な顔をした。
最近皆の微妙な顔しか見ていない気がする。
お土産に貰った紫陽花を、少しでも長持ちするように何とか出来ないかと、相談したら、昌浩おにい様が何故か苦虫を数十匹は噛み潰したような顔で、何かの術を掛けてくれた。

そしてその次の日、私宛に無惨殿から文が届いたのだった。
『結婚しよう』という内容のものが。