06 / 体すら沈まない
「次の日に、あの方がワシを訪ねてきてくださいまして……」
小さな胃を押さえながら、冥加は遠い昔の記憶を呼び起こす。
女子二人は目をキラキラさせて今か今かと話の続きを待っている。
犬夜叉は既に消化不良を起こしているのか、顔を青くして俯いている。
⇔
「冥加さん」
日も高く登りきった頃でしょうか。あの方……殿がワシを探しているというので、ちょうど秋を模した中庭で待っていたのです。
いつもの明るい声で呼びかけられました。
「昨日はすいません。せっかく来ていただいたのに……」
「いえ、ワシも昨日は……」
そう口ごもると、殿は苦笑いをして、
「今日、殺生丸さんに会いました?」
「いえ、今日はまだお見かけしておりませんですじゃ」
「……それならよかった。もし、可能であれば、ですけど。しばらく会わないようにした方がいいかもしれませんよ……」
はぁ、と殿はため息をついたのです。それを聞いて、ワシの背筋は凍るかと思いました。
「それと、申し訳ないんですけど、夜の勉強、しばらくお休みしても?」
「それは構いませんが……どうされたのですじゃ?」
そう聞くと、殿はどこか言いづらそうに視線を彷徨わせて、さらり、と首を撫でられました。
「多分、なんですけど。しばらく殺生丸さんが、その、来ると思うんです」
「は、それは……」
この頃、人間達のしきたりでは、三日間宴を続け、三日後に周囲に餅を配り、結婚したことを知らせるというものでした。
「おめでたいですな」
「え? あー、勘違いされてますよ多分。よく分からないんですが、多分腰を据えて話をしていかないといけないみたいです……」
殿が言うには、昨晩はワシが消えた後、すぐに殺生丸様も部屋から出て行かれたそうで。殿は何もわからないままそのまま就寝し、朝、変わらず殺生丸様が迎えにこられたので、よくは分からないけど、昨日のことはあまり気にしないでいいのかな、と思ったのだそうです。
しかし、その流れで湖に行こうとすると、殺生丸様は動かず、屋敷から出してもらえなかったのだそうです。
「……ですから、今日はまだあの湖に行ってないんです。お屋敷の人も、殺生丸さんから私を湖に行かせるなと言われているようで、ここから出してもらえないんです」
そうれはそうだと納得したのです。誰も、お館様以外は殺生丸様に逆らおうなどと思う者はおりませんので、当然だろうと思ったのです。
「それでまぁ、文句を言ったら無視されて。夜になったらまた部屋に来るって言ってたんで、そこでしっかり話し合おうと」
……お館様と殿以外、の間違いでした。殿はどうしたものか、と頭を悩ませておられたのですが、正直ワシはそれどころじゃございませんでした。
「大体、訳がわからないと思いません? 一体何の心境変化があったんだ、っていうか……。どうして今更なの、って思うんです。帰るな、とか意味がわかりません。終いにはもうここから出さない、なんて……一体お前には何の権利があってそんなこと言うんだ、つーの!! って感じですよね?」
もう、ガクガクと震えているしかありませんでした。
間違ってもそれに頷くわけにもいかないのです。そんなことしたら、殺生丸様に殺されます。
殺生丸様の心境の変化、という点については、一応思い当たることあるにはありました。この時それを伝えたりはしませんでしたが、きっと、昨日、この屋敷にある方々が訪れたことに関係があったのだと思います。
まずは、奥方様。殺生丸様のお母上でございました。そして、もう一方は、奥方様が連れてきた、殺生丸様の婚約者候補だったのです。
そしてここからが非常に面倒くさ……あぁいえ、複雑な所なのですが、この婚約者候補、奥方様の目に適っている訳ではなかったのですじゃ。
遠縁もいいところの血族に請われ、その者の顔を立てるためだけに仕方なく連れてきた娘でした。しかし、屁理屈を並べるならともかくとして、その婚約者を追い返せる言い分はなかったので、奥方様もたいそう不機嫌でいらっしゃられました。
奥方様は、別に殺生丸様がどんな娘と結婚しようが構わないが、ただ一つ、自分が気に入らない娘は認めたくない、と仰られていました。
それを聞いたお館様が、きっとわざとではあると思うのですが、殿の存在を、口を滑らせてしまったのです。
常日頃、お館様は殺生丸様と殿の行く末をそれはもう面白おかしくと言っては失礼にあたってしまうかもしれないのですが、まぁ、そのように見守っておりました。
殺生丸様を焚きつけたのもお館様です。
多分、随分前から、殺生丸様の心は殿の所にあったのを分かっていらしたのでしょう。知らなかったのは、殿くらいなものです。……今となっては、本当に気づいてなかったのか、という疑問は残るのですが。
とにかく、殿の存在を知った奥方様は、会ってみたいとそれはもう当然ですが、言われたのです。
しかしそこで、お館様が、「殺生丸とはいい雰囲気ではあるが、まだ恋人というわけではないから、この話は関係ないだろう」と仰られたのです。そして、「はここの世界の者ではないし、きっと元の場所に帰りたいと思っているに違いない。それでは結婚など程遠い話だ」とも仰られました。
殺生丸様にとってはとても強い背中の押されようだったのでしょう。奥方様の連れてきた婚約者候補の娘など一切目に入っておりませんでした。
部屋から足早に去っていく殺生丸様の背中を見るお館様の目が「してやったり」と物語っておりました。
「なぁ、冥加。殺生丸にはよく似合うと思わないか?」
「は」
「殺生丸も、あんなに執着してるんだし、後にも先にもそんな娘御現れないだろう? ならば多少無茶でもあの二人は共にいさせるべきだ。なぁ?」
「はぁ……しかし殿は……」
「そんなの、殺生丸が口説き落とせばいいだけの話じゃないか」
お館様はきっと、最初からそのつもりだったのではないかと、そう思うのです。
⇔
「策士ね……」
「そうだね。とても巧妙というか……」
女子二人はぼそぼそと話し合っている。
「それで、しばらくはお二人の間で攻防が続いたのです」
「あ、その人、抵抗したんだ、やっぱり」
「ていうか結婚したってことは結局、殺生丸に口説き落とされたってことでしょ?」
珊瑚がその結果論を言ってしまえば、二人は顔を赤くしてきゃいきゃいと騒いでいる。
犬夜叉の顔は青い。口が開いている。もはや何の反応も見られない。
「しかし……その婚約者候補の方も黙っているとは思えないのですが……」
弥勒のその疑問に、冥加は深く頷いた。
「もちろんですじゃ。まぁ、その、婚約者候補の方も中々に苛烈な方でして……殿に攻撃を仕掛けていくわけです……」
「きゃー! 恋の障害ってヤツね!! まるでドラマみたい!!」
「どらまってなんじゃー?」
七宝の疑問など無視して、かごめははしゃぎ続ける。
「冥加じいちゃん、詳しく詳しく!!」
「はぁ……」
キリキリと痛む胃を知らないフリするのもそろそろ限界に近く、早く話を終わらせるべきだと冥加はもう、諦めていた。
END