超完璧彼氏と別れたい 3




コスメというものは気軽にポンポンと買えるようなものではない。
私は薬用リップクリームと日焼け止めだけで終わるのではなく、ファンデやアイシャドウにアイライン、眉もしっかり整えて、まつげをカーラーで上げてマスカラでばっさばさを演出し、色付きのリップやグロスで顔を盛りたいのだ。いや、メイクの足し算をしたいとかそういう盛り方ではなく。マジカメでお勧めされてる可愛いメイクを試したいとかそういう感じ。コスメのパッケージとかも可愛いものが多いから、化粧ポーチを見るだけでも結構テンション上がる。つい最近までメイクを手抜いて彼氏に愛想を尽かされよう大作戦をしていたが無駄に終わったので、今は素直にメイクを楽しんでいる。
マジカメでコラボコスメの情報が解禁された。それが見た目も中身も超超可愛い、好みど真ん中のアイシャドウパレットだった。とても欲しいのだけど、希望小売価格4280(+税)マドル。お小遣いとして月3000マドル貰っているけれど、大分足が出る。そもそも常にこれでコスメや下着をプチプラで探して結構なやりくりをしないといけない。ならばとアルバイトをしようと考えつくが、彼氏が頑なに頷いてくれないので、始められない。何で彼氏の許可がいるんだと思われるかもしれない。私もそう思う。そう本人に言ってもどこ吹く風、全然話を聞いてくれない。しまいには「欲しいものがあるんですか? それなら僕にプレゼントさせてください」が始まる。これを言われたが最後、マジで贈り物される。受け取る受け取らない以前の問題で、押し付けられる。これまでにそうして押し付けられたプレゼントはいくつもある。何でなのかジェイドが選んで送ってくるプレゼントは私が欲しいと思っていたものだったり、そうでなくても好みど真ん中のものばっかりだ。まぁ私のマジカメをしっかりチェックしているのでさもありなん、というべきか。
とにかく、そのコラボコスメをどうにか手に入れたい私は、アルバイトをするために彼氏を説得しなくてはならなくなったのだ。
私の彼氏であるジェイド・リーチは口だけ10年先に生まれてきただろ、というくらい口が回る。よく言えば頭脳派。悪く言えば小賢しい。他人からの評価に興味が無いと言いつつも成績に困ることは無く、先生方からの覚えも悪くない。男子校であるがゆえに、あまり生かされていないが、かなり顔がいい。しかもクリソツな双子がいるので、もし共学だったらファンクラブが出来ていたんじゃないか、というくらい顔がいい。本当に顔がいい。
ただそれらが全て帳消しになるくらい性格が悪い。自分の知的好奇心を満たすことを何より重視する。そして満たすために選ぶ手段が本当に「善性をどこに置いてきたの?」とばかりにえぐい。本当にえぐい。精神をゴリゴリ削ってくる。「僕、人魚ですし。あまり人間の事は詳しくないんです」とか困ったように笑っていたが、あれは嘘だ。じゃなきゃ人の嫌がることをピンポイントに出来ないだろう。つい先日、モストロ・ラウンジというジェイドが経営に一枚噛んでいる店に連れて行かれた時、どうしてもジェイドが席を外さなくてはならなくなった間、双子の片割れであるフロイド氏がやってきた。こいつはこいつでヤバイ。ジェイドがめちゃくちゃヤバイ奴だとすると、フロイド氏は普通にしててもヤバイ奴である。まぁつまり関わり合いになりたくないよね、みたいな。そんなフロイド氏であるが、一応ジェイドの彼女(彼らに言わせると番)である私に対して、滅多なことをしてこない。まず絶対に触れようとしない。同じテーブルにつこうが、必ず距離を取る。どちらかと言えばパーソナルスペースが狭い性質だと思っていたのだけど、実際はめちゃくちゃソーシャルディスタンスを取ってくる。聞いたところによれば、「番のいる雌にちょっかいかけるのは割に合わない」のだそうだ。よく分からない。とにかく私が絞められるということはなさそうなので安心できそうだ。そんな超危ないけどジェイドの恋人と言う立場である内は安全を保証してくれるフロイド氏は、特に話すことは無い。というかジェイドに言いつけられたからいるだけで、大して私に興味がない。だから私から話題を振る事もない、というか振った話題が悉く「ふ〜ん」とか「へぇ〜」で終わる。そもそもフロイド氏は私がラウンジに来ることをあまり快く思ってないらしい。なんでも「カサゴちゃん来たら締め作業ジェイド絶対やらねーんだもん」ということらしい。普段やってないんだからいいんじゃない、とは思ったけど言わなかった私は賢い。機嫌がいい時は「オレら家族だもんねぇ」と断じて違うけどそんなことを言ってジェイドの代わりによく働くのだけど、稀だ。大体はやる気なさげだ。ジェイドのやる事や言う事に反抗した方がダルいからやるって感じ。ただしこの日のフロイド氏は違った。新しいおもちゃを与えられたばかりの子供のようなわくわくした顔をして、「カサゴちゃ〜ん!」と勢いよく席に座ったのだ。もちろんディスタンスを確保して。ちなみに、ジェイドに聞いたのだが、フロイド氏は海の生き物の名前をあだ名として付けるのだそうだ。私は「カサゴちゃん」と呼ばれている。初めて会った時、すなわち私がジェイドに助けてもらった礼をするためにモストロ・ラウンジに訪れた時だが、その時私は真っ赤なスカートを着用していた。言わずもがな勝負服である。しかしこのスカート、モストロ・ラウンジと相性が悪かった。深海を模した暗めのラウンジではなんと、真紅のスカートがまるで保護色かのように地味で目立たないものになってしまったのだ。深海に生息するタイプのカサゴは赤い鱗を持っているらしい。光の届かない深海では、赤が保護色になるのだそうだ。フィーリングで付けられたあだ名であるが、こちらが例え不満であろうと変更されることは無いので諦めている。女子捕まえて「カサゴ」って悪口じゃない? って思うんだけどジェイドは「大変美味な魚ですし、高級魚ですよ」と笑っていたが、そうじゃないんだわ。見た目の話してんだわ。
とにかく、滅多に見ない程の上機嫌でやってきたフロイド氏は「ねぇ聞いたぁ〜?」と楽しくて仕方がないと分かるくらいに上ずった声で話し始めた。

「この間さぁ、ホタルイカ先輩がゴーストに結婚迫られて死にそーになったんだよね。んで、学園長がやれって言うからオレらがゴーストに求婚する羽目になったの。そしたらジェイド、『物騒!!』って言われてビンタされてんのウケる〜」
「は? え、ゴースト? 求婚?」
「あ、やっぱ聞いてなかったんだ?」

色々とツッコミどころしかないけど、何なんだこの学校。先日も妖精のファッションショーだかが開かれて空調設備がイかれたとか聞いたけど、訳の分からないことが起こりすぎじゃないか。

「お近づきの印に、って花渡したんだけど花嫁ゴースト超喜んでた〜。カサゴちゃんもジェイドから花贈られてんの?」

ニヤニヤ笑いながらこちらの反応を伺うフロイド氏に首を傾げる。意図が分からない。とりあえず花を贈られたことは無い、と返せばニヤニヤしていた顔がだんだんとつまらなさそうな顔になっていった。

「えぇー、番がやらせとはいえ他の雌に求婚したって聞いてその反応ってどうなの?」

何とも思わないの、と呆れたような目で見られるがそもそもだ。物騒って振られてんだからどうせ碌な求婚じゃなかったに決まっている。というかいくらロマンチックだろうが花とかいらない。場所取るしゴミでしかない。そんな雰囲気に酔って判断能力を低下させる真似はしたくない。これ、経験者は語るってやつね。雰囲気で流された結果こうして付き合ってるけど本当に後悔するからマジで気を付けて。「助けてくれた人かっこいい」とか胸きゅんきゅんさせてる場合じゃないから。それ所謂つり橋効果ってやつだから。

「そうは言われても……」

嫉妬しろと言われても本当に困る。何でも卒なくこなせるあの男が振られてるのだから、花嫁の理想とは違ったのか、真面目にやらなかったのか……。真面目に求婚するタイプとも思えないしな。

「自分じゃない雌に花束渡してんだよ? 浮気だ、ってジェイドを責めるとかさぁ」
「――花束って言っても、人が素手では触れない毒の花束だったじゃないですか」

テーブルに期間限定『ヤドカリのモンブラン』が置かれると同時に聞きなれない声がした。毒? 毒の花束渡したって言った? マジで何をどう考えたら求婚するって言ってそんな花をチョイス出来るの。つくづく何を考えてるのかわからない男だな。

「あ、すみません。大変お待たせいたしました。あの、ジェイド先輩これだけ作ってまた奥に籠っちゃったんですけど……」
「あは。だってここのテーブルの料理は絶対ジェイドが作るから。合間縫ってカサゴちゃんの分だけ用意したんでしょ。今日カサゴちゃん来る予定じゃなかったから仕事詰め込んでたんだよねぇ」
「それって嫌味?」
「ぜーんぜん。ジェイド超喜んでたじゃん。アズールが引き留めなかったら仕事ほっぽり出してカサゴちゃんに引っ付いてたっしょ」
「それはよかった。アズール君のおかげだね」
「……あの、もしかして……こちらがジェイド先輩の彼女さんなんですか?」

恐る恐るといった体でこちらを伺う生徒さんは初めて見る人だ。ここのラウンジはほぼ自寮生によって運営されているけど、数名アルバイトがいると前に聞いた。そう言えば頭にイソギンチャクを生やしたバイトが多くいたのに、最近めっきり見なくなったな。

「そうだよ。カサゴちゃん。ジェイドの番。小エビちゃん会ったことなかったっけ」
「はい……、その、初めまして。ジェイド先輩に彼女さんがいると言う噂は聞いてたんですけど……」

何だか信じられないものを見た、とでも言いたげな目線だ。
何かおかしなものでもついてるだろうか。今日はジェイドにバイト許可を取らなくてはいけないので、最大限にジェイドの機嫌を取るべく、服もアクセサリーもジェイドが贈ってくれたものを身に付けた。メイクもばっちり決めて何度も鏡でチェックしてるし、何ならラメ盛ってる。悔しいがジェイドのセンスは私よりいいので、ジェイドが贈ってきた服なら「おかしい」ということはないはずだ。つまり格好に於いて好みはともかく、ケチを付けられることはない、と言い切れる。

「なぁに小エビちゃん。何か言いたいことでもあんの〜? さっさと言いなよ」
「えっ、あ、すみません……。あの、本当にいたんだな、って思ってしまって」
「え?」
「その、ジェイド先輩の彼女さんって実在してたんだな、と……」
「え〜〜!! 何それ超ウケる! 小エビちゃん信じてなかったんだ?」

え?
いやいや、え? 私の事だよね? まさか存在を疑われてたの? そして何でフロイド氏は腹を抱えて大爆笑しているの。フロイド氏もそうだけど、この『小エビちゃん』っていう人も失礼じゃない?
存在を疑われるようなことってないと思うんだけど、何で? というかこの人たちの中で私の存在ってどういう話になってれば存在を疑われるの。ジェイドが私の事に関して誇張した表現をするとは思えないし、フロイド氏が率先して私の事を話すとも思えない。何かの話のついでに私の話題が出たとして、一体どんな話題になるというのか。

「すいません、失礼な話ですよね……。でもどうしてもジェイド先輩の彼女っていうのが想像できなくて……」
「え、っと。それはどういう?」
「だって、この間の求婚騒動の時もそうでしたけど、ジェイド先輩人当たり悪くなさそうなのに自分の興味にしか関心がないというか……ぶっちゃけ性格めちゃくちゃ悪いじゃないですか。恋人付き合いに向いてなさそうっていうか」

そう言った瞬間、フロイド氏が「ぶっはっっっっwwwww」くらいの勢いで吹き出し爆笑した。近くの席の客が驚いてこちらを見るがすぐに目線を逸らした。関わり合いになりたくない、という顔だった。

「小エビちゃん、本当にエンリョないねwww」

ジェイドにも直接言ってたよね、とフロイド氏が言ったので思わず小エビちゃんとやらを見た。目が合うと気まずいのか逸らされた後へらりと苦笑された。悪気があって言っているわけじゃない。本当にそう思って言っているらしい。

「そりゃあ見た目とか仕草のスマートさとか、かっこいい人だと思うんですけど……いざ恋人、って考えるとナシじゃないです? めちゃくちゃ振り回されそうっていうか、本当に自分の事好きなの? って思っちゃいそうだな、って」

その通りだ。よくわかってるじゃん。ジェイドは見た目佇まいその他諸々踏まえて性格だけ除けば超超好物件だ。本当に、性格だけ除けば。小エビちゃんとやらの言う通りだ。そう、そうなの。ニッコリ笑った様に笑顔を貼り付けて、その実何を考えているのかわからないとことか。「興味ない」とか言いながら嬉々として人の下着に口出してきたりとか、理解不能なことが多い。性格の悪さなんて折り紙付きだ。ストーカーかよってレベルで私のマジカメに対する反応も早ければ、チェックも怠らない。私の友人達なんて何度ジェイドのえげつなさを話したって一片たりとも信じなかったし、むしろ「惚気かよ」と話を真面目に聞きすらしない。そう、だから。小エビちゃんが言っていることはいつも私が思っていることだ。そうなんだけど。

「ひでー言われようじゃんジェイド。いいのーカサゴちゃん。自分の彼氏めちゃくちゃ言われてんのに」
「あ、すみません!! 彼女さんの前で言っていい事じゃないですよね!」
「別に、間違ったこと言ってないし。私もそう思ってるもの」

けど、いくら振り回されようが意地悪なこと言われようが、ジェイドが私の事を本当は好きじゃない、とか思ったことない。それを疑ったことは無いし、疑わせるようなことをジェイドは一切しない。
あんなに見た目がいいんだから、自分の恋人なんて選び放題だし、付き合い始めた当初にそんなこと一番に考えた。ジェイドの所謂浮気的なものを誘うか、と。でもジェイドの周りに女子はいないし、客観的に観て利益も何も浮かばない私と付き合ってることを考えたら自ずとその方法は無駄だと理解していた。ジェイドは自分が面白いと思ったことに繋がるなら例え嘘でもやり遂げられるような器用さを持っているけど、でも。だってジェイド、別れるの凄い嫌がるし。いつも貼り付けたような笑顔をしているくせに、そんな素振りを見せたら眉を寄せて厳しい顔してそれ以上何も言うなと言わんばかりに私の口を物理的に塞ぐし。会う度会う度好きだの愛してるだの言うけど、それを薄っぺらい言葉だと感じたことは無い。

「――すみません、。お待たせしてしまいました」
「あ、ジェイドじゃん。終わったの?」
「えぇ、もちろん。後はアズールだけで十分でしょう」
「結局押し付けてんじゃん」
「おやおや、人聞きが悪いですね。きちんと割り当てられた分はやりましたよ。……? モンブランは気に入りませんでしたか?」

覗き込んできたジェイドのオッドアイと目が合って、そういえば期間限定のモンブランに手を付けてなかったな、と思い出した。クリームをまるでヤドカリの貝のように巻き上げた大きめのモンブランは、モストロ・ラウンジのマジカメで情報配信された時から気になっていたスイーツだ。だから今日、予告なく押しかけてもジェイドは注文を確認することなくこれを出してきたのだ。私がラウンジのモンブランの記事にいいねを押していたのを知っていたから。

「じゃ、ジェイド来たからオレら退散〜。ほら、小エビちゃんもキビキビ働かないと、アズールにサボりって言っちゃおうかな」
「えっ困ります! 今月はグリムがツナ缶爆食いしたから金欠なのに!! すいません、失礼します!!!」

慌ててペコリとお辞儀して去っていった小エビちゃんの背中を見送る。先を行くフロイド氏とは足の長さも違うから小走りで追いかけても追いついてない。

? どうしました? 何か話があるとか言ってましたよね」

待たせた事怒っているんですか? と思っていないのが分かっているくせに聞いてくる。そう、アルバイトしたいってお願いしに来たのだ。その為にジェイドが贈ってくれた品の良いワンピース着て、メイクもしっかりして、ついでに下着だってジェイドの反応がよかったヤツをわざわざ付けてきた。気が乗らないし来たくなかったけどこのモストロ・ラウンジにジェイドに会う為だけに来た。ジェイドに言わなきゃ。コラボコスメ買いたいから、短期でいいからバイトしたいんだって。友人と一緒のバイトだし、接客じゃないからジェイドが心配するようなこともない、って。言いに来たのに。

「……ここじゃ嫌だから、いつもの部屋行きたい」

何なのあの小エビちゃんって。人の彼氏の事をあんなに言って。いやそりゃあ私も普段ああいう事言ってるけど。でもジェイドは私に酷い事をしないし、例えば花束を贈ったとして間違っても毒の花なんて選ばない。108本の真っ赤な薔薇の花束を持ってくるような男だし。だってジェイド、私がどんなに言おうが卒業したら私を故郷の珊瑚の海に連れて帰って、夏にはタマゴだか稚魚だか産ませるつもりだって言ってきかないし。いや、別れたいんだけどね? もちろん、そう思ってる。我こそは!って人が現れたらのし付けて送りだす。その時には私がジェイドと穏便且つ平穏無事に別れられるように手伝ってもらうけど。ジェイドが納得してくれるように。そうなんだけどね? そうなんだけど!

「どうしたんです? 随分珍しい……」

差し出された腕をしっかり胸に抱えこめば、どこかおかしそうにジェイドが笑った。
何かすっごい腹立つ。