超完璧彼氏と別れたい 2




彼氏の機嫌がすこぶる悪い、らしい。

らしいというのは、表面上はいつも通りに見えるからだ。今日は会う予定なんてなかったので、普通に友人達と街にウィンドウショッピングに繰り出そうと計画していたのだけど、校門を出たところで拉致された。友人達はドナドナされる私に見向きもせず、彼が言った「寂しくて会いに来てしまいました」とかいう嘘っぱちを大いに信じ込み、「ウチらとの買い物なんていつでも行けるじゃーん! 彼氏大事にしなよ!!」と一切私の意見を聞くことなくジェイドに私を押し付けて帰ってしまった。ジェイドは殊勝な顔をして見せて「すみません」と言ってはいたけれど、友人達の姿が見えなくなると同時にさっと顔を真顔に戻すのだから恐怖だ。ここ最近ジェイドは、私に対し表情の変化を隠さなくなった。これは私に興味が無くなって対応が雑になった、とかいう嬉しい理由では全くない。これから先も一緒に過ごすのだから、隠し事は極力少なくしよう、とかいう残念な理由だ。初対面の段階で他人を脅しつくすというえげつない面を見せられているので、今更真顔を見せられたところでどうとも思えない。考えを早急に改めて頂きたい。
私が何かしたかと言われると、思い当たる事しかないような、でも今更それらを気にする男でもなかったような、という何とも微妙なライン。私が常日頃からこの(外面)超完璧彼氏と別れたいと思い行動をしていることは、彼の知るところであったという事実がつい先日発覚したばかりだ。その時私は手酷い『お仕置き』を施されたので、ここ最近は少し大人しくしていた、はずだ。ダッサいスポブラを処分し、ただのコレクションと化していためちゃかわ下着達を引っ張り出してきた。精神的に私は安定しているといっても過言ではない。何の勝負をするでもないけど勝負下着を身に付けているだけで、何となく「今の私、超最強じゃん?」くらいにはテンション上げられる。ジェイドに会う日だってそういう下着だし、Tシャツジーパンをやめた。メイクも手抜きをしなくなった。そうしたら、お前私の外側に興味ねーって言ってたじゃん、と思わず真顔になってしまうくらいあっちのご機嫌もよろしくなっていた。
そして会う度出掛ける度、アクセサリーだのコスメだの、はたまた洋服だとか、私以上に真剣になって選ぶのだ。男の人は女性の長い買い物に辟易しがちだとよく聞くが、ジェイドはそんな事を感じていないどころか、私より長く時間をかけがちだ。私を試着室に閉じ込めて次から次へと持ってくる。「素敵な彼氏さんですね」と店員さんの生暖かい目が忘れられない。つい最近は、ランジェリーショップにまでついてこようとして、流石に真剣に断った。普通彼氏連れて下着買いになんか行くもんか。見ろ、彼女に待たされて、気まずそうな顔で店の前で待ってる彼氏たちの姿を。もう全然平気そうな顔で「あそこのショップ、の好みじゃありませんか?」だなんて言うのだ。指す先がランジェリーショップだった時の衝撃といったら……。どうしてそんなに平然とした顔でいられるのか。そう言えば照れた顔とか見た事なかったな。いや、別に見たいとも思わないけど。「せっかくなので選ばせてほしかったのですが、残念です。今度一緒に行きましょうね」行かねーよ。
そう言えば、試供品だとか何とか言って、化粧水のサンプルを貰った事がある。何かの悪い冗談かと思うくらい、青緑色したスライムみたいなジェルだった。ジェイドと貰った化粧水を交互に見やり何度も確認したけど、ジェイドは「どうぞ」と言うばかりで、私がつけるのを待っていた。試しに腕に塗ってみると、酷いのは色だけで、物凄い保湿力のある化粧水だった。ジェイド達が作ったらしい。ジェイドは男のくせにつるつるのすべすべな肌をしているので、内心羨ましかったのだけど、この化粧水を使ったところが、まるで世界がうらやむ玉の様な肌になったのだ。これには驚いた。ジェイド曰く、あまり量が作れないとかで中々手に入らないそうだ。確かに、これを渡してくれたジェイドはどこか疲れたような様子だったし、色々難しい調合であったりするのだろう。ジェイドは魔法薬学が得意だと聞いているが、きっと高難易度の調合に違いない。私は魔法とかからきしなので詳しい事を聞こうとも思わないが。どうせ理解できないし。
とにかく、良いと思った方法が消え去ったので、次の手段を考えなければならないのだけど、正直代替案とか考えてなかったので現在ノープラン。何にも考えついてないので何にもしていない。打つ手無し。友人には「とうとう腹をくくったのね」「末永く爆発しろ」「式には呼んでね」と生暖かいものを見る目で見られたが、断じてそうじゃない。私は別れることを諦めていない。爆発もしないし式を挙げる予定もありません。この先ずっと、この男と過ごすなんて絶対無理。振り回されるのなんてまっぴらごめんだ。私はもっと平和で、穏やかで優しい人生を送りたいと思っているのだ。だから何としてでも穏便に後腐れなく別れなくてはいけない。
そう、別れたいと常日頃から思い続けているのだ。もしかしたらこれか? 私にとって何も良い効果は発揮されなかったけど、「別れよう」と言った事はある。というか言いかけた、が正しい。言い終わる前に物理的に口を封じられたので。飛行術苦手とか言ってたけど、嘘でしょというくらい瞬発力が凄かった。……飛行術に瞬発力関係ないのかな。私は魔力がさっぱりだから、地面から10pも浮き続けられないので、ジェイドの飛行術の成績を馬鹿に出来ないし、むしろ浮くだけで凄いとすら思っている。そんな事を前言ったら大変機嫌がよくなって、ナイトレイブンカレッジでジェイドが働いているラウンジのデザートをサービスしてくれたけど、その後しばらくくっついては抱きしめられるし頬を摺り寄せられたので二度とジェイドを褒めないと決めた。
というわけで、思い返す限り、ここ最近のジェイドは機嫌がよかったのだ。少なくとも最後に会った時は機嫌が良かった。一昨日ジェイドから来たメッセージも特に不機嫌になりそうな内容を返信していない。考えた結果、微妙なラインではあるけどどちらかと言えば私に非はなさそうだ。ジェイドは私が別れたがっている事を、多分知っている。別れたがっていても、私がどうにもできないことも恐らく理解しているのだろう。だから私の逃げ道を一つずつ丁寧に潰していっている。というか、「あ、今潰されてるな」と感じるのだ。例えば外堀であったり。つい先日、付き合っていることを知らせていない母から、「ジェイド君とってもいい子ね。アンタとは比べ物にならないくらい落ち着きがあるし、絶対逃しちゃ駄目よ」と言われて戦慄した。あの男……私の友人はおろか家族にまで手が及んでいるとは。全然気付かなかった。いつそんなことを……。母上違うんです。逃してくれないのはあっちなんです。私はもう全然、縛りつけてもいないし、何なら今すぐ逃げてくれたっていいと思っているんです。
いつもの様にジェイドにエスコートされ、入ったのはお洒落なカフェだった。店員も見惚れるほど優雅な動作で私を席につかせると、そのままアイスティーを二つと、キャラメルバナナタルトを一つ注文した。昨日私がマジカメでいいねを押したメニューだ。常日頃から燃費があまり良くないというこの男は、いつもカフェに入ると何か軽食を頼むのだけど、今日は私の分しか頼まない。何故かと思って見やれば、「この後ラウンジのシフトが入ってますので」と答えた。じゃあ食べたらまっすぐラウンジに連れて行かれるんだな、と今日の予定を確認したところでふと思い出した。そう言えば昨日、ここのタルトとは別にもう一つチェックしていたな、と。そう言えばそれは、この男が給仕しているラウンジの商品だったはずだ、と。世界的に有名なマジカメ界のインフルエンサーであるヴィル・シェーンハイトが昨日更新した記事はとあるドリンクの写真だった。「#お気に入りの美容ドリンク」というタグとともに更新されたその記事は、瞬く間に拡散されていった。そしてそれがナイトレイブンカレッジ内のラウンジで販売されているものだとわかると、ラウンジの公式マジカメも一緒に拡散されていった。
私はヴィル・シェーンハイトをフォローしているし、彼の更新するコスメやファッションももちろんチェックしている。別に同じものが欲しいとかそういうわけではないけど。ただ著名なモデルをフォローしているのは別に珍しい事でもない。私の友人だってヴィルをフォローしている。コスメやファッションをそっくりそのまま用意は出来ないけど、メイクの仕方や着こなしなんかを参考にすることは出来る。私自身がマジカメを更新することはほぼないが、チェックは欠かしていない。
モストロ・ラウンジにのこのことジェイドと一緒に行きたくはないが、話題のドリンクを飲んでみたい気持ちはある。まぁ行きたくなくても、この後ジェイドがラウンジに行くのであれば連れて行かれるのは明白だ。それなら楽しみがあった方がいいに決まっている。

「ねぇジェイド。このヴィル・シェーンハイトのお気に入りのドリンクなんだけど……」
あなた……彼氏のアカウントには一切反応どころかフォローもしないのに、ヴィルさんの投稿はチェックしてるんですね」

何か胸がきゅんきゅんする。

その日私は珍しく自身のマジカメの記事を更新した。
「#彼氏に連れてきてもらった」と入れて、キャラメルバナナタルトの写真と、モストロ・ラウンジの水槽を背景にミステリードリンクの写真を投稿し、そしてアカウントのアイコンをジェイドとのツーショットに変更を余儀なくされた。彼氏とらぶらぶ(死)リア充アカウントの出来上がりだ。
友人達からの反応は早く、「リア充爆発しろ」「惚気か滅びろ」「バルス」「教会どこ」等など呪いのコメントがついた。そして彼女溺愛リア充アカウントを装っているジェイドのアカウントからは、そんな友人らのコメントをスクショしたものを引用し、「#式は海と陸両方でやりましょうか」と投げつけられた。
これら全て、隣いるジェイド本人監修の元、わざわざマジカメでやりとりしているのだ。怖い。
やっぱり、ちょっと拗ねた顔したジェイドが可愛いかもしれないとか思ってしまったのは気の迷いだったに違いない。

後日、この投稿にあのヴィル・シェーンハイトからいいねが付き、「God bless you.」というコメントが来たことで、私は卒倒する羽目になる。