ジェイドと故郷の人魚の話





ジェイドの事が、怖くて苦しくて、苦手だった。

稚魚である頃から、どちらかと言わなくとも弱い個体である私は、誰に言われずとも自分が生き残るのは難しい事だと分かっていた。そんな私を親や兄弟たちは守ってくれることが嬉しかったけど、同時に申し訳なくも感じていた。
エレメンタリースクールに通えるほどにまで成長したことを家族は喜んでくれたけれど、私は独りでそこに通わなくてはならないことが怖くて仕方がなかった。
本当に本当に弱くって、いじる価値もないと言わんばかりに誰も私を相手にしない。それが悲しかった。友達も出来ないのか、と。
けれど、いつの頃からか思い出せないけれど、長い長い尾でもって私を締め付けてくる人魚が現れた。
肉食魚であるウツボの人魚、双子の片割れであるジェイド・リーチだ。彼の相棒であるフロイドは相当な気分屋で、しょっちゅう他の人魚を絞めていたけれど、ジェイドがそういったことをしてきたのにはとても驚いた。フロイドはジェイドが私に絡み始めると、彼を応援だけしてどこか行ってしまう。いつも二人で行動していただけにとても珍しいけれど、二人がかりでいじめられずに済んでほんの少しだけ安心したけど、どうせならジェイドを連れて行ってほしかった。怖くて一度も言えないけど。
弱い私は、幼くとも明らかに周りの人魚達より体格が一回りは小さく、同じクラスに通っていようが、ジェイドの方が大きく、力もあるし、捕まったら逃げられはしない。幼い小さな腕でも私を捉えることは容易で、さらに尾も絡められたら逃げることは不可能だった。

「ジェイド……苦しいからやめてよぉ……」
「おやおや……殆ど力をいれていないんですがね」

もう私は半泣き(いやもしかしたらガチ泣きしていたかもしれない)で、ジェイドにやめてくれるよう言うしかなかった。周りに助けを求めても、関わりたくないとばかりに誰もが目をそらし見ない振りをし、いなくなるからだ。確かに、リーチ兄弟を敵に回したくないという気持ちは分かる。
そうして誰も自分を邪魔しないと助長したかのか、ジェイドは年々酷くなっていった。毎日毎日休み時間になればやってきては尾を絡め締め付けてくる。私も年を重ねるごとに少しずつ体が大きくはなるが、それはジェイドも同じで、体格差は広がるばかり。反抗できる要素など全くなかった。スクールでもあるし、先生に助けを求めても、「えぇ……あぁうぅーん……それはなぁ」とはぐらかされるばかりで、私は家で一人泣き寝入りするしかなかった。
いつの頃かリーチ兄弟と一緒に行動するようになったアズールに助けを求めても、アズールは信じられないような目で私を見て、

「それでよくここまで無事に生き残れていますね。ジェイドに感謝するべきでは?」

と、取り合ってすらくれない。
そうしてジェイドに締め付けられる日々を泣く泣く送っていたのだけど、転機が訪れた。

ジェイド達がナイトレイブンカレッジという魔法士の超名門校に通うことになったのだ。そして何よりこの学校は陸にある。
それはもう嬉しくて嬉しくて泣いた。ジェイドにがっつり腕まで使って締められようが、嬉し涙は止まらない。本当によかった。これで私に数十年ぶりに恐怖に震え、息が出来なくなるほどの苦しさから解放されるのだ。

だというのに。

「そんなに泣かないでください。休みの度に、貴女の元に通いますから」
「え」

まるで慰めるように囁かれた言葉通りに、ジェイドは頻繁に帰ってきては私に尾を絡ませ締め付ける。







陸の学校に行ったジェイドから、『陸に来い(意訳)』という連絡と何らかの薬が送られてきた。手紙によると、この薬は一時的に人間の姿となれる薬らしい。
幼い頃一度だけ、親に連れられ、陸のテーマパークに行ったことがある。その時は知り合いの魔法士に魔法をかけてもらい、人間の足に変わったのだけど、一度も立ち上がることすら出来ずに終わった。それを思うと、あまり誘いに乗りたくはない。そもそも、何が嬉しくて、自分を虐める男の元に尾ひれを無くしてまで行かなくてはならないのか。
そう思って無視しようとすれば、親兄弟に「絶対に行け」と家を追い出された。ため息を何度もついて、仕方がなく指定された場所へ向かった。

「お待たせしてしまいましたね」

慇懃無礼な声が聞こえて振り返る。
薬を飲んだ私は案の定、立ち上がる事すら出来ず、何とか服をまとい砂浜に座り込んでいた。

「ジェイド……」
「よかった。お贈りした洋服もサイズに問題はなさそうですね」

ジェイドは恐らく通っている学校の制服であろう黒い服をキッチリ身に纏っている。随分と窮屈そうだ。水かきやヒレ、エラもない。そして何より、私を締め付ける長い長い尾がない。

「ふふ、貴女は人間の姿になっても小さいですねぇ」
「ねぇ、一体何を考えているの……? 私、歩くどころか立てもしないのに、どこに行けると言うの」
「問題ありません。こうして……僕が抱えますから」

そう言ってジェイドは座り込んでいる私を抱き上げた。思わず身を固くするが、締め付けられない。そうだ、締め付けてくる尾がないのだった。

「一応靴も用意してあるのですが、これなら必要なさそうですね」
「……ねえ、そうまでして何をしたいの?」

人間の姿とは言え、ジェイドの腕の中は水中に会った時とあまり変わらないように感じる。そればかりか、海の中の様に締め付けられることがない分、楽だとすら思う。

「今日はぜひ、貴女に山の幸を食べて頂こうと思いまして」
「山の幸?」
「えぇ、僕の育てたキノコや、山で採った山菜です」
「キノコ? 本でしか見た事ないわ。食べられるの?」
「おや、興味がおありですか?」

どこか嬉しそうに笑うジェイドに、少し驚いた。いつも何かを企んでいるような笑顔しか見た事ない。
ジェイドは陸にいた方が安全なんじゃないか、とふと思った。