00:序章




 世界総人口の約八割が何らかの『特異体質』である超人社会で、私は生きている。私自身も人を超えた『特異体質』を持って。


 六月・凝山中学校

「はーい、進路希望配るから、後ろに回してー」

 帰りのHRで、担任の先生から指示される。回されてきたのは何の変哲もないA4の紙。第三希望まで記入する枠が印字されている。中学三年の初夏、この紙を提出すれば目指すべき進路がほぼ決定することになる。

「提出は今週の金曜、放課後まで! ほぼ最終進路決定になるからよく考えて……」

 そこで一旦先生は言葉を切ると、クラス全体を見渡した。少し呆れたような表情で、どうせと言わんばかりに先生は肩を竦める。
 どの生徒もそわそわとした空気を隠しきれていなかった。

「まぁ、皆ヒーロー科志望だろうけど! でもヒーロー科にも色々あるから、そこら辺はちゃあんと考えなきゃ駄目よ?」

 先生のアドバイスはクラスメイト達の雄たけびやらでまぁ聞こえていないだろう。誰もが自身の輝かしい憧れの未来に高揚している。この進路調査はいわば、夢への第一歩になり得るのだ。そう、夢を現実に。誰もが憧れる『ヒーロー』という夢への。
 人類に『個性』が現れたのは、そう遠くない昔の事だ。少なくとも、祖父母が生まれる以前の話。
 個々人に現れたその特異体質は、出現し始めた頃こそ奇跡だなんだと騒がれたものらしいが、今やそんな特異体質の保持者が世界総人口の八割を超えたとなれば、全てが日常へと変貌を遂げる。そうして誰もが『個性』という特異体質に慣れてくると、当然の様にそれらを悪事に使う輩が出てくるわけで。増える犯罪、崩壊する社会秩序。しかしそれらに抗い世界を正そうとする人間も現れた。
 ヒーロー。つまり英雄。弱きを助け強きを挫く、人々の希望。幼い頃に憧れる職業が現実の物となった。
 このヒーロー、国から認められた公的職務であり、資格が必要となる。資格をもってして初めて『個性』を使用できる。原則、公共の場において『個性』の使用は秩序を守るため、禁止されているのだ。ヒーローになるためには、専門の学校で基礎を学び、資格を取得しなければならないことになる。
 その為の機関が、ヒーロー科。生徒の殆どが志望する学科。そしてその関門は当然の如く狭い。

「あぁそうだ。轟とは進路のことで話があるから、HR終わったら同意書持って進路指導室に来るように! じゃあ日直、号令!」

 先生さよならー、なんて言って教室から見送った後、クラスメイト達の視線はこちらに集まることになる。

「ねぇ! 話って推薦のことでしょ! 凄いよねぇ、雄英の推薦だなんて……」
「今年の一般受験偏差値七九だって聞いたぜ?」
「やべーよなぁー」

 ははは、らしいね……なんてつい笑顔がひきつる。羨望の眼差しはどうにも受け入れがたい。
 雄英高校。ヒーロー科を有する高校としては最難関であると同時に全国同科中最も人気。その卒業生には「オールマイト」「エンデヴァー」といった著名なヒーロー達が名を連ねており、彼らの様な偉大なヒーローとなるには雄英卒業が絶対条件と言われる程だ。
 そんな雄英高校の特にヒーロー科は皆の憧れの高校であるし、その分倍率も高く憧れで終わることが殆どだ。希望者の中には多くの記念受験もいるだろうから、実際真剣に希望する生徒だけでの倍率となるともう少し低くなるのではないかと思うのだけど、どうなんだろうか。
 周りの羨望の眼差しと、これから先生に言おうと思っている事を考えると胃が痛くなっていく。いや、もうキリキリしてきたかも……。
 私の胃を痛める案件、それは進路についてである。
 雄英高校のヒーロー科に行きたい、なんて一度も言ったことがない。けれどどうにも周りは私が雄英のヒーロー科を受けると信じて疑っていないのだ。

、行くぞ」

 クラスメイト達へ愛想笑いをしていると、ガタン、と隣の席の椅子が音をたてた。
 轟焦凍。隣人だ。家も隣。幼い頃からの付き合いで、世間一般に言えば幼馴染にあたる。彼は当校における雄英高校志望者として随分期待されているし、何なら一般入試よりも遥かに難しい推薦入試の志望者だ。あまり表情に変化がなく、基本無愛想で、小学生の頃はよく「もう少しお友達と仲良くしましょう」的なことを書かれていた。しかしながら勉強も運動も出来るし、女子の目には無愛想でつっけんどんな態度も勝手に「クールだ」と変換されるので非常にモテている。何故か周りからの評価は悪くない。多分と言うか絶対、世の中顔だよねっていうことなんだろう。顔に火傷の跡が残っているけど、何もマイナスになっていないのだから相当顔がいい。いや本当に。

「……うん」

 鞄を持って、クラスメイト達に手を振れば、じゃーねーと見送ってくれる。先に教室を出て行った焦凍の後を追いかけた。
 ……あぁ嫌だ。これからする話のことを考えると、本当に胃が痛い。きっと、先生だけでなく、焦凍も何だかんだ言ってくるに違いない。彼は私が同じところを受験すると全く疑っていない。焦凍に咎められたら、結局彼の望む通りに進路を決めてしまうだろう、と思う。どうにも私は幼馴染に色んな意味で弱いのだ。

「先生、失礼します」

 進路指導室の扉をノックすれば、担任の明るい声が返ってくる。
 そもそも、進路相談なんて個別にやるべきではないんだろうか。
 家が隣で、小中一緒で実は一度もクラスが離れたことなくて、家に帰っても私の家の事情で小さい頃は焦凍の家に居座っていた時期があるとか色々あって、先生方は私と焦凍をセット扱いする。別に値引きもされないし全然お得なセットでもない。ただ一緒にしておけば他の子達と軋轢を生まなくなるから、とまるでご機嫌取りの一環でずっとペアを組まされていた。焦凍も文句を言わないどころか満足げにするからいけない。

「あぁ、早かったわね。まぁ二人とも座って」

 先生の向かいにはしっかりパイプ椅子が二つ用意されている。あぁ、もう逃げられないな、と追い詰められた気分だ。

「分かっていると思うけど、雄英の推薦申し込みは今月末までなの。前々から言ってたけど、二人とも成績は推薦の条件を達成してるから、後は親御さんの一筆あればオーケーね。後は願書を記入すれば」
「あの」

 滔々と話し出す先生の口調に、どうにか待ったを掛けなくてはいけない。このままでは推薦の話が進んでしまう。そう思って話を切る様に声を上げれば、驚くほどあっさりと先生は私を見た。

「どうしたの、
「先生、私……高校、ヒーロー科じゃなくて普通科の方がいいと思っているんです」
「えぇ? どうしたのいきなり……」

 パイプ椅子が軋む音がした。私の座っているものではない。見なくても分かる程、隣からの視線が刺さる。実際に刺さってるわけじゃないのに、どうしてか痛い。

「いきなりじゃないんです。ずっと考えてました! 私が目指すのはヒーローではありません。医者です」
「えぇ、それは分かってるわ。でも」
「ヒーロー科に行ってヒーローになるための勉強をするよりも、大学進学を見据えてしっかり必修科目を修めた方がいいと思うんです。ただでさえ、そんなに理数系が得意ではないですし……それにヒーロー科ともなれば実習が普通科に比べて格段に多いはずです。その分座学が圧縮されるでしょうし、」
……その考えも間違いじゃないと先生も思う。けど、普通科に行くより、ヒーロー科に行った方が『個性』使用を見据えた医者にとってはいい、って断言できる」
「でも……」
「ヒーロー科なら『個性』の使用における資格取得を見据えたカリキュラムが組まれる……それはもちろん、学校によって差はあるよ。でも雄英であれば仮免取得も早い段階で目指すと思う。最終的には医大に行って医師免許を取ることになるけど、『個性』使用の資格を持っていれば特定の科目の履修免除や飛び級制度が受けられる。同じ医大生でも医学に集中できる割合が違ってくる」

 先生は言いながら資料を取り出した。

「普通、ヒーロー科は卒業後ヒーローないしは相棒(サイドキック)として活動するようになる。けど、希望者は大学進学も可能だし、なにより、普通科より選択肢が増えるよ。特にの場合、治癒特化の個性じゃないから……」

 先生が話している内容を聞き流しながら出された資料を眺める。
 別に、急いで医者になりたいわけじゃない。先生が言うように、私の『個性』は別に「治癒」関係でもない。医療行為の助けになる、くらいのものだ。

「まぁ、一度きりの人生、悩むのはいいことだよ。今週末までしか時間はないけど、ご両親とも相談して、よく考えて。で、轟だけど」
「……同意書です」
「ん、オッケー。轟は推薦狙いでいいんだね?」
「はい」
「じゃあこれ願書。こっちも今週末までに提出!! じゃあ、帰っていいよー」

 先生の声に席を立った焦凍にも促されて席を立つ。さっきから本当に視線が痛い。
 指導室を出て下駄箱に向かっている途中、暫らくは無言が続いたけれど、それも焦凍が口を開いて終わった。

「なぁ」
「焦凍、出来れば何も言わないでいてほしいんだけど」
「雄英受けねぇのか」
「やっぱりダメか……。雄英は受けるけど普通科にしようかな、と」
「ヒーロー科の何が嫌なんだ」
「嫌なんじゃない。さっき話してた通りだし、先生の仰ってた事も一理あるな、とは思った」
「じゃあいいだろ、何で……」

 それはね、言えない秘密というやつなんだよ、と心の中で諭そうが、焦凍には一切届かない。私自身、これ以上口を開く気がなかった。そのことを焦凍も理解しているのか、小さく舌打ちした後、黙って私の腕を引いて帰路に就いた。いや、就かされたと言うべきか。





 木曜・夜

 夕食を終えた後、リビングのテーブルの上には、何も記入されていない白紙のままの進路調査の紙。そして向かいの席には、何故か不機嫌な顔を隠しもしない焦凍が座っている。
 先生に渡された進路調査用紙の提出期限は明日に迫っていた。

「普通ここはさ、親がいるはずの場面だと思うんだよね」

 両親は基本帰ってこない。昔からずっとそうだった。別に家族仲が悪いという訳ではなく、ただひたすら仕事が忙しいのだ。休みが休みじゃなくなることもざらだし、父親に至っては今日本にすらいない。

「もう明日提出期限だぞ。……ヒーロー科の何が嫌なんだ」
「また話聞かない……。だからさ、さっきも言ったと思うけど、嫌なわけじゃないよ。候補の一つとして考えて……」
「じゃあ、いいだろ」
「そこが絶対ではないと思うんだよなぁ……」
「迷って迷ってここまで時間かけて、いい加減にしたらどうだ。どうせ自分では決めきれないんだろ。だから俺と一緒にすればいい、って言ってるんだ、ずっと」

 そう言うや否や、焦凍は私の前から紙を奪って、第一志望の欄に『雄英高校 ヒーロー科』と書いてしまった。
 あーぁ。こだわりが無いのは間違いないけど、でも流石に焦凍の言いなりでしかない状況に、煮え切らない自分のせいだと分かっているけど頭が痛くなってくる。

「推薦はどうする」
「……受けるつもりはないなぁ」
「そうか。まぁ、なら一般入試でも十分、合格できるだろ」

 そうだね、と返しながら、焦凍の字で「雄英高校 ヒーロー科」と書かれた進路調査の紙を鞄にしまった。後で第二希望に普通科と書いておこう。第三希望は滑り止めで近くの高校を受けるつもりだった。
 仕事で忙しい両親には、勿論進路について相談はしている。相談と言っていいのか、両親ともに「好きなようにしなさい」とお言葉を頂いている。これは決して突き放しているわけではなく、「自分の人生は自分で決めろ。金は出す」ということである。昔からそう言う人たちだった。一時期は娘に興味が無いのかと思ったものだが、母が言うには「お母さんの人生じゃないし、あんたの人生でしょ」である。全くその通りだと思った。
 両親ともに医者だ。父は医学研究で常に世界中を飛び回って論文を書いているし、母は救急でいつ呼び出されてもおかしくない。祖父ももれなく医者で、現在は院長を務めている。つまり家は医者一家なのだ。それも大分長い。聞いたところによれば、『個性』発現前から医者の家系だったそうだ。中でも祖父がかなり高名な外科医で、『魔術師』やらと言った異名も持っているらしい。そんな家に産まれたから、ただ漠然と「医者になるのかなぁ」と幼い頃から思っていた。実際祖父は相当私に期待しているようだ。私に発現した『個性』が祖父と酷似しているからだ。思えば祖父は幼い私に医者を目指すよう様々なプレゼンをしていた。例えば玩具がお医者さんごっこセット関係ばっかり贈ってくるとか。
 でも、一度も「医者になれ」とは言われたことがない。もし私が漫画家になりたいといきなり言い出したとしても反対されないだろう。そこに自信はある。
 医者という目標はとても分かりやすい。けど将来本当に医者になりたいのかと言われるとちょっと困る、というのも本音だ。少なくとも医者に向けて勉強していれば、途中で進路変更もしやすいと思っている。勉強していれば人生の選択肢が増えることを私は知っている。
 学校から二人も雄英受験者が出て、その上私も合格すれば、それはそれは先生たちは喜ぶだろう。何やかんや先生も、親身になって進路相談に乗っていたんだろうけど、きっと本心では雄英のヒーロー科で決めてほしかったに違いない。それだけ雄英高校というのは拍が付く。
 推薦は最初から受ける気はなかった。どうせ受けるなら楽に、確実に合格したいと思ったからだ。