飛んで火にいる夏の虫







 飛んで火にいる夏の虫、とはまさに彼女の事を言うのだろう。そうなる様に仕向けたのは俺自身だが、あまりにも上手くいきすぎて逆に騙されているのではないかと疑いたくなる。まさか硝子あたりに何か入れ知恵されてないだろうな、なんてあり得ないのに考えてしまった。
 、僕の同期。入社してから彼女は幾度か部署を異動しているけれど、一度も営業に来たことは無いから同じ部署で仕事をしたことがない。彼女が経理や労務にいた時にさえ、仕事の話すらすることが出来ず、たまに社内ですれ違う程度。その時に何とか挨拶をするのが精いっぱいで、視えない力によって彼女に近づくことを阻止されているんじゃないかと、一時期本気で考えて傑に爆笑された。
 一目惚れ、というものをしたのだと思う。最初はまさか俺が一目惚れなんてものをすると思っていなくて随分焦った。焦ったし、何かの間違いだと思ったけれど何をどうしても目は彼女の姿を追うし、耳は彼女の声を拾う。今思えば、それはただのきっかけに過ぎないのだと思う。時を重ねるごとに彼女への想いが積み重なっていく。どこが好きかなんて語り尽くせないくらい好きだ。いつだって「好きだ」と告げてしまいたかったし、彼女の隣を陣取る権利が欲しかった。それをしなかったのは、ただ単に告白の成功率が低いことを分かっていたからだ。告白して、例え断られたとしても諦める気は全くないが、彼女の口から俺を否定や拒絶する言葉を聞きたくなかった。女々しいと言われても仕方がないかもしれないが、とにかく嫌だった。俺が彼女を好きである様に、彼女に俺を意識してほしかった。
 だからずぅっとただ黙って機会を伺っていた。彼女に近づく虫を地道に排除しながら、彼女と関わりあいになれるタイミングを図っていた。それは中々やってこなくて、本当に心が折れるかと思ったし、もう少し遅ければきっと強硬手段に出ていた自信がある。
 それは偶然だった。
 あの日外で会ったのは本当に偶然で、何も図っていなかった。
 突然降って沸いた有休の消化の仕方に困っているのだ、と眉を下げて笑った彼女は普段社内で来ているオフィスカジュアルな服とはまた違った服装で目に眩しい。多分メイクも少し違うのだろう。まさに休日仕様の彼女に会えて舞い上がる頭を叱咤し、何とか昼食に誘えた。そこからはもう、目まぐるしく頭の中でこれからの行動を、を恋人にするまでを計算し尽くした。
 わざと彼女のネイルだとかが写る様に写真を撮りながら、一方で明日から二日間休みを取れるように申請した。あまりにも急すぎたからか、午前中は出勤しなくてはならなかったけどまぁいいだろう。
 予想通り、彼女の断片を写した写真は面白いくらい簡単に社内に拾った。誰もがあの写真に写っている人物を俺の彼女だと勝手に勘違いしてくれている。投稿した記事に一言も「彼女」だとか書いていないのに。わざわざ直接俺の元に確かめに来た子もいて、本当に旨い具合に話が進んでいく。

「悟、そんなに機嫌がいいのは急に申請した午後からの休みが関係しているのかい?」

 伊地知が随分青い顔をさせて調整していたよ、とはす向かいに座る傑が笑った。

「んー、まぁね。僕ってば日頃の行いが良かったからかな、何でも望む通りに進むみたい」
「はは、冗談も大概にしないと。……そういえば、広報課のさんも昨日から急に有休消化を申し付けられたらしいね」

 傑がこちらを伺うように目線を投げてくるが、流石にそこまで手を出していない。本当に、彼女の有休消化は突然のものだったし、昨日街中で会ったのも偶然だったのだ。まぁ、偶然が重なればそれは必然、ということで。神様とやらがいるならば、そろそろ決着をつけなさい、と背中を押してくれているのだと、きっとそういうことなんだろう。
 果たして彼女は、今自分が「五条悟の彼女」になっている事を知っているだろうか。既に社内では「営業部の五条悟と広報課のは結婚秒読み」というところまで噂に尾鰭がついて出回っている。全く、一体どこからそんな話が出てきたというのか面白くて仕方がない。
直接聞かれた時に「秘密」とだけ答えて肯定しなかった。まぁ、否定もしていないのだけど。最初はただ、そうはぐらかしただけで聞いてきた子が勝手に「彼女確定だ」と思い込んで肩を落として去っていった。本当にそれだけ。その内に「そういえば昨日○○で二人を見た」なんて言い出す誰かがいて、随分噂に信憑性がついたみたいだけど。それなりに人通りの多いところにオープンしたばかりの話題の店だったし、社の誰かが見ていたとしても全然おかしくはない。というか、同期が二人、仲良く食事を取ることは何にもおかしなことではないというのに。ちょっと思い込みの激しい子たちによって勝手に噂が大きくなりながら広まっていく。同じ話を繰り返すのが嫌だから何か新情報を加えられていく。噂なんて所詮、娯楽でしかない。誰と誰が付き合っていようが自分には関係ないのに、誰もが情報通になりたがる。まぁそのおかげでこっちに都合がいいように仕向けやすくなっているのだけど。
 俺は絶対にチャンスを逃さない。そうやってこれまで様々な契約を勝ち取ってきた。
 ただ昼飯を一緒に食べただけなのに、写真一枚でこんなに事が上手く進むなんて。例え彼女が出社して噂を目の当たりにしたときに否定をしたところで、それに大した効果はないだろう。そんなことをさせないために急いで休みを取ったのだけど。
 今はただ、根も葉もない噂でしかないし、は五条悟の彼女ではない。でも、これからそうなる。
 午後には彼女に会える。その事に思いを馳せると自然とキーボードを叩く手が軽やかになった気がする。鼻歌を歌っていると「真面目に仕事をしろ」と後ろから叩かれたが、一向に気にならなかった。