お昼を一緒に食べただけなのに 01






 有休消化二日目。昼過ぎまで寝て過ごそうと決めていたのにスマホが鳴り響いて起こされた。まだ九時になる前だ。後少なくとも二時間は寝かせてほしかった。
 電話の相手は同じ部署の直属の後輩だったから、もしや始業前に何か確認しないといけないことがあったのかもしれない、と思い直して電話に出た。寝起きで声が掠れたのは向こうにバレていないといいのだけど、別に取り繕わなくてはならないような関係でもないからあまりに気にしないことにした。

「どうしたの? 何かあった?」

 急に決まった有休だった。急ぎの仕事は何とか片付けたし、引継ぎもあらかた済ませたつもりだったけどもしかしたら何か不備があった可能性は十分ある。何せ本当に突然だったからあまり時間が無かったのだ。

「先輩、その……」

 いつもはきはきと物事を言う後輩が、どうにも歯切れが悪い。余程面倒な案件でも飛び込んできたのだろうか。一応出社する準備しようかな、とベッドから出ようとした時、電話の向こうから遠慮がちな声が続いた。

「先輩……今のネイルどんなのでしたっけ。後、スマホのカバーって水色でした?」
「え?」

 思いもよらない問いかけに、聞き間違えたかと思った。

「え、ネイル? カバー? えっと、急にどうしたの?」
「くすみピンクのグラデーションに、薬指だけチェックのネイルで間違いないですよね?」
「……うん、まだ変えてないし」
「……やっぱり……。スマホカバーも」
「水色だよ。最近買い替えたやつ」
「……そうですよね」

 本当に急にどうしたのか。別に会社は派手じゃなければネイルは許可されているし、私のネイルは十分大人しいものだろう。スマホカバーだって、別に変なものじゃない。

「ねぇ、本当にどうしたの?」
「昨日、お昼って外食しました?」
「え? あぁ、うん。パスタ食べたよ」
「じゃあもう……。あの、先輩」

 人に聞かれたらマズい、というように後輩の声が少し低くなった。

「先輩、営業の五条さんの彼女になってます」
「……。は?」

 ベッドから足が落ちた。
 我が社の営業部には、社が始まって以来類を見ない程好成績を上げ続けるスーパーエースがいる。その名も五条悟。売上成績も然ることながら、そのルックスに社内外問わずファンがいる程だ。五条悟がエントランスに表れたら歓声が上がる。基本的には人当たりが良いので、飲み会の席では五条悟の隣をいつも女子社員が争って何とか手に入れようとしている。ただ本人は自他ともに認める下戸なので、いつもメロンソーダを飲んでいる。彼にお持ち帰りされたい女の子が思惑通りにお持ち帰りされたことは無い。見た目に反して、と言うと大変失礼な話だが、随分と身持ちが固いらしい。噂では溺愛している彼女がいて、その彼女に夢中だと聞いた事もあるが本当のところは分からない。私個人の見解を言わせてもらえるならば、多分彼女はいない、だろうという感じ。
 私は部署が違うが、一応五条悟の同期という事になる。入社式や新卒の集まりで何度か顔を合わせ話したことがある。五条悟は入社時から期待の星だったし、とても目立つのでよく覚えている。向こうが私を認識しているとは思っていなかったが、社内ですれ違うといつも挨拶をしてくれるから、五条は随分同期を大事にしているんだな、と意外に思った事もある。単純に、同期として今社に残っている人間が大分減ったということもあるだろうけど。
同じ営業部にいる夏油傑、彼も同期なのだが、五条悟と大変仲が良くまたライバルとしていつも成績を競っては楽しそうにしている。この二人は目の保養として本当に人気が高い。

「な、何で、そんな……?」

 声を落とした後輩が、詳しく教えてくれた事に寄れば、昨日の夜五条のSNSが更新されたらしい。それは五条がその日の昼食が美味しかった、という内容だったそうなのだが、一緒に投稿された写真に写っているものが問題だった。絶妙なアングルで、その人物は写っていないが、明らかに女であろうネイルが施された指と、スマホカバーが写っていたそうだ。
 その投稿がされてからというもの、社内の五条ファンが大騒ぎ。「この写真に写っている女はどこの誰だ」と血眼になって会う女性全てのネイルを確認する者も現れる始末。とうとう五条本人の元に突撃して、「この人彼女ですか」と聞く猛者もいたそうだ。その問いかけに対して五条は、にっこりと甘く笑って、

「んー、秘密(はーと)」

 と。もうこれは絶対彼女だ、とお通夜状態の子が続出し始業開始前だと言うのに暗い雰囲気が漂っているらしい。
 心当たりがばっちりある。頭を抱えるしかない。有休でよかった。
 しかし私は、五条悟の彼女ではない。断じてない。
 昨日、つまり有休初日だが、急に降って沸いた有休に何をしようか迷ってとりあえず出掛けたのだ。適当にウィンドウショッピングでもして、お腹が減ったら家に帰ろうと思って。私は一人では外食をしないので、スーパーに寄るつもりだった。
昼の一時を過ぎた頃、そろそろお腹が空いたなと思ったタイミングで、たまたま外回りに出ていたのであろう五条悟に会ったのだ。
知らない顔じゃないし、そのまま少し立ち話をした後まだ五条も昼食を取っていないと言っていたので流れで一緒に食事を取ることになった。それなら、と以前から行ってみたいと思っていたパスタ屋さんを希望すると快く了解が得られたので、二人でパスタを食べた。それだけだ。別に何もおかしいところはない。同期と街で会って一緒にご飯を食べる。うん、何もおかしいところはない。
確かに、五条は写真を撮っていた。食べ物がより美味しそうに撮れるアプリを落としたのだと楽しそうに言っていたのを覚えているし、何ならその写真も見せてもらった。……あの写真に私の指だなんて写っていただろうか。覚えていない。

「それに五条さん、今日午後から休み取ってるらしくて。話題の彼女とデートだ、なんて噂で持ちきりです」

 それも何となく心当たりがある。
 昨日パスタを食べていた時に、私の有休消化の予定の話になったのだ。全くのノープランで困っている、という事をぽろりと零すと、五条はにっこり笑って「おすすめの過ごし方があんだけど」と言ってそのまま今日の午後に会う約束をしているのだ。

「うーん……。とりあえずわかった。私から五条に聞いてみる」
「え、いや……やめた方がいいと思いますけど」
「でもこのまま噂広がっても困るし……私、有休開けに殺されたくないし」
「まぁ、それは……」
「まだ私だ、とかって話にはなってないんでしょ?」
「なってませんけど、正直時間の問題じゃないですか? 今休んでいる人なんてそんなに数いませんし……」
「だよね……」

 一体五条が何を思って私を彼女に仕立て上げようとしているのかさっぱり見当がつかない。何か理由があると思いたいが……何かあるなら昨日の段階で言ってくれればよかったのに、と思わずにいられない。

「実は今日、五条と会う約束あってね。どうせついでだから」
「えぇ……? 先輩、会わない方がいいと思いますよ。絶対面倒なことになりますから」

 この後輩の忠告を真摯に受け止めなかったことを、後の私は盛大に後悔する羽目になるのだが、勿論この時はそんなことになるとは思っていなかった。