デブ専とは二度と付き合わない。 01







 滅多に来ない先輩からのお誘いメールに、嫌な予感が一つも無かったとは言えない。

 「え、っと……それはつまり、別れるってことですか?」

 恋に盲目すぎた、と言えば自分を慰められるだろうか。
 中学の頃、一つ上の先輩に所謂『王子』と形容される人がいた。テニス部の部長に生徒会長も兼任していて、成績も良い。ファンクラブも出来るくらいかっこよくってみんなが憧れていた。先輩目的にテニス部のマネージャー希望が殺到したくらいだ。
 例にもれず私も先輩に憧れて恋心を抱き、記念だと割り切ってでも少しだけ夢を見て思い切って告白をした。先輩はテニス部でも何でもない私を知りもしなかっただろう。けれど先輩は少し考えた後、「いいよ、付き合おうか。君が僕の好みになってくれるなら」そう言って笑ったのだ。それだけで私はもう浮かれに浮かれ、二つ返事でその要求を飲んだ。

「まぁ、端的に言えばそういう事になる、かな。でもこれは双方、引いては君の為を思って言っているんだよ。決して君が嫌いだとかそういう訳じゃないんだ」

 悪びれた様子もなく言い切った先輩の隣には、私より一回り……いや二回りは横に大きい、控えめに言っても太ましい女性の姿が。
 思わず私は自分の身体を見下ろした。
 目の前で甘えるように先輩の腕にしなだれている彼女程ではないけれど、同じ年代の女の子達と比べると格段に肉を蓄えた体。いいや、誤魔化すのは止めよう。つまりデブは、元々は細くてどちらかと言えば華奢と言える体型だった私の、血と汗と涙に濡れた努力の結晶だった。
 世の中は一応ぽっちゃり女子に一定の需要があるかもしれないが、それでも細くてくびれがしっかりある女の子の方が可愛いという一般的認知があるけれど、それでも私がこんな体型をしているのには勿論理由がある。
 それは彼氏である先輩が、肉付きのとてもよいふくよかな女性を好む性癖の持主……所謂『デブ専』だったからだ。この事実は意外にも先輩に近しい関係の人にしか知られていなかった。ファンクラブに所属していた女子達が綺麗になろうと日々ダイエットに励んでいたことからも、この事実が知られていないことが伺えた。
 別に秘密にしているわけではないらしいのだけど、先輩に告白した時に言われた条件がこれで、『僕が好きなのはとってもふくよかな女の子なんだよね。だから、僕の為に太ってくれる?』と言われた子たちは(これは遠回しに断るための嘘なのだろう)と思い込んでしまい、身を引いていく。これまでダイエットに励んで自分に自信を持ったからこそ告白をしたのに『太って』と言われて心が折れてしまうのだ。私も言われた時心が折れかけた。けれど太れば付き合ってもらえるのだから、と必死にその要望に応えた結果がこの体型だ。
 食べたくもない大量の脂っこい食事を吐きそうになるまで無理やり詰め込み、以前は好きだった甘いお菓子も美味しいと感じることが出来なくなる程ひたすら頬張ってきた。ただただ先輩に好かれたい、その一心で苦しい日々を送ってきた。
 そんな私が周りに何て言われているかくらい知っている。自分の体型すら維持できない、『王子』の優しさの上に胡坐をかいている自堕落なデブ。
 それでも、先輩が好きで取られたくなくて「先輩は太っている女の子が好き」と反論したい気持ちを必死に抑えて、先輩が求めるがままに食べ続けひたすら肥える努力を続けてきた。家族や友人に「健康に悪いからやめろ」と言われても全部無視してきた。それもこれも私の身体がむちむちしてくる度、体重が増えたと言う度に本当に嬉しそうに笑って「頑張っているね。可愛いよ」と先輩が頭を撫でて抱きしめてくれるのが嬉しかったからだ。先輩の指が背中ぎりぎりまでしか届かないことに少し悲しくなったとしても。それなのに、こんな仕打ち。
 先輩が、私が想う程私の事を好いてくれていると思ってはいなかった。それは分かりきっていたけれど、私に何が足りなかったというのだろう。いや、肉付きが足りなかったのは分かっているのだけど、それだけなのだと認めてしまうのはあまりにも悔しすぎるし、何より虚しい。

「君も僕の為に凄く頑張ってくれていたのは分かっているんだよ。そこは感謝してる。でも、僕の理想には至らなかった。それだけなんだ。その点、彼女はとっても素晴らしいだろ?」

 ぴしりと心にヒビが入った音がした気がした。あまりの言いざまに、もう返す言葉もない。
 この人は……最初から私など興味なかったのだ。彼の理想の体型でさえあれば中身なんてどうでもいいらしい。
 改めて目の前の女性の姿を見てみる。
 肉に埋もれているが、顔の造形そのものは悪くない……と思う。染めている茶髪を綺麗に巻いて、勝気そうなアイラインを引いた瞳はやけに自信に溢れていて非常に印象的だ。
 先輩の理想そのものであろう彼女は、私に優越感に満ちた笑みを向けて、見せつけるように胸を先輩の腕に押し付けた。うん、多分胸だ。胸と腹にあまり差がないけれど。

「彼女は僕の通っている高校の後輩でね。偶然知り合えたんだけど、その時に僕が一目惚れしたんだ。君には本当に、申し訳ないと思っているんだけど……分かってくれるよね?」
「……はい」

 上目遣いでこちらの機嫌を窺うように見つめられて、もう諦めるしかないんだなと理解して頷いた。大丈夫、知っていた。先輩の気持ちが私のところに無いなんてことは。つまり、私はもう用済みというわけだ。
 けれど、必要以上に太った身体を抱え、無様にも振られた私はどうやって生きていこうか。
 惨めな姿をこれ以上晒していたくなくて、早々に先輩の元から離れた。早く帰ろう。早く帰って自分の部屋に籠りたい。
 家の事情で入学した学校は、全寮制の高専だった。表向きは私立の宗教系学校となっているそこは、あまりにも特殊すぎるが故に、関係者以外においそれと話すことも出来ない。自由な時間も少なく、高専に入学してから私は碌にデートにも行けなかった。きっとこの事も別れに一役買っていたのだ、と思いたい。そうであってほしい。

「あれ、早かったじゃん。カレシとデートなんじゃなかったの」

自室に戻る時に必ず通る共用の談話室に、珍しく同級生三人が揃っていた。任務が入っている、と聞いたけれどもう終わらせたのだろうか。可能性はある。何たって皆、才能あふれる期待の星々なのだから。私はと言えば、ちょっと見えて感じられる程度で、大した術式ですらない。最初から呪術師ではなく補助監督になることを想定され、無理やりに在籍しているのだ。口の悪い同級生は何故か私に向かって言って来ないが、「雑魚」であることは重々承知している。もしかしたら最初から補助監督志望だと言っていたことが功を奏しているのだろうか。補助監督に祓う力は必要ないから。

「……別れたの」

 別れた、と言うと本当は納得いかない。別れさせられた、という気持ちだ。だって私は先輩と別れたくなんてなかった。でも明らかに「太っていればいるだけ良い」という、言うなれば誰だっていい、とはっきり告げられてショックを受けたのも事実。頑張っていたから、とかその過程をずっと見てきてくれていたものだと思っていたけれど、そうじゃなかった。
 私の事が嫌いだと、嘘でもそう言ってくれたならよかったのに。嫌いだとかではないなら、そんな簡単に別れを告げないでほしかった。

「え! マジ!?」

 ガタリと椅子から大きな音を立てて立ち上がったのは、同級生の中でも色々な意味で一番目立つ五条悟だった。私が先輩に振られたことが、そんなに面白いのか。喜色満面といった笑顔でにこやかにこちらに近づいてくる。

「まぁでもよかったんじゃないかな。もうこれで無理やり食べ物を詰め込む不健康な生活をしなくていいんだろ」
「ほんと、アンタあんなに苦しそうな顔して吐いても食べて。先輩の好みだか何だか知らないけど、ただ単に寿命縮めてるようにしか見えなかったからね」

 寮生活になって、すぐに私の異常な食生活に気付かれた。気付かれない筈はないと思っていたからそれは構わないのだけど、同級生たちは家族よりも熱心に私に苦言を呈してきた。特に硝子は医療行為に携わる身だからなのか、毎日のように「体に悪い」「そんなに苦しめる男なんかさっさと別れろ」と言っていた。その気持ちは有難かったけれど、私は先輩と付き合えている事に幸せを感じていたのだその頃は。
 大して遠くもない昔に思いを馳せようとしていたところ、がしり、と肩を掴まれた。

「やった! あの男と別れたの! じゃあ俺と付き合ってよ、いいでしょ?」

 無理やり視線を合わされた後、がっつり両手を握られて見惚れてしまうくらい優しい微笑みを浮かべられた。
 五条悟は顔がいい。正直言えば、先輩よりもよっぽど綺麗な顔をしていると思う。運動神経もいいし、術式の関係上、勉強も出来る方だ。ただ性格は自他ともに認めるクズであったけど。五条は唯一、私の無理な食事に付き合ってくれた。「いい加減やめといたら?」と言われた事はあるけど、少しでも美味しく食べられるようにと色々なお店に連れて行ってくれた。夏油や硝子があまり甘いものを好まないということもあって、よくスイーツ巡りに付き合わされた。行く先々は有名なホテルのラウンジや雑誌で紹介される有名店が多かった。きっと節度を保って食べればとても美味しいものだったに違いない。ただ食べて肥えることに必死だった事が、今思えばとても勿体ない。
 五条は基本的に私を甘やかしていたと思う。それは夏油も硝子も呆れるくらいに。こんなかっこいい男に甘やかされて、気持ちが傾くことがなかったと言えば、それは嘘になる。五条の事は嫌いじゃない。むしろ好きだと言ってもいいくらい。でも私は先輩の望む彼女になりたかったから。努力も虚しく、振られたわけだけど。努力は報われないのだと、まさかこんな形で実感することになろうとは。
 握られた手を見る。色白で細いけれど、私の手でさえも包み込めるくらい大きい男の人の手だ。そう言えば、先輩にこんなにしっかり手を握られたことはあっただろうか。
思いがけない言葉に、先ほどまで絶望の真っ只中にいたのが嘘のように感じる。

「冗談でしょ。同情ならやめて」
「冗談でも同情でもねぇよ。……ずっと好きだったけど、お前彼氏いたから。でももう別れたんだもんな。好きだ、って言っても何の問題もないわけだ。な、俺の彼女になってよ」

 まさか五条が私を好きだと言うなんて。
 軽いと言われようが、落ち込んでいるところに「好き」だと言われてころりと落ちてしまうのは珍しくもなんともない事だと思う。もう私の目には五条が誰よりもかっこいい人に見えていた。
 そのまま頷こうとして視線を下げた途端、まるでソーセージのようにぱんぱんに膨らんだ自分の指が視界に入ってハッと我に返った。
 嘘に決まってる。そんな都合のいい話があるわけない。
 誰がこんな肥え太ったデブ女を彼女にしたいと思うのか。それこそ先輩みたいな特殊な性癖の持主でもない限り、あり得ない話だ。
 いつでも現実は残酷なのだ、と改めて気付いた私は握られたままの手を振りほどこうとして、でも、とある考えが脳裏をよぎって動きを止める。
 五条にどんな思惑があろうが、好きな人と付き合えるなら、それはそれでいいんじゃないだろうか。
 先輩と付き合っていた時から、家の事情がついて回って付き合い続けることが出来ないだろうことは薄々気付いていた。見ない振りをしていただけで。その内家の為親の決めた相手と結婚するだろう。私自身に大した術式はなくとも、家自体は古くから続く呪術師の名家だ。私から相伝の術式を持つ子供が生まれる可能性は十分にある。五条は私の家よりもっと名家だけど、先輩とよりは長く続く可能性は高いし、何より不自然に隠さなくていいという点は楽になる。

「……五条は、本当に、こんなにもみっともないデブの私が彼女でいいの?」

 問いかける声が緊張で震える。五条に私と付き合うメリットなんてほぼほぼ無いだろう。本当に私の事が好き、だなんてあり得ないと分かってはいてもそれでも、と思わず見上げた。
 五条は握っていた私の手を再度ゆっくりと優しく握りなおして、真っ直ぐと視線を合わせてきた。その蒼い瞳が熱で潤んでいるように見えるのは、私の願いが見せた幻覚かもしれない。

「当たり前だろ。俺はお前の全部が好きなの。太っていようが何だっていい。むしろそのまま今の姿のままでずっといて欲しいくらいだ」

 そう言って五条は私の指先を持ち上げて、見せつけるように口付けた。
 胸をときめかせるシーンかもしれないが、私は五条の言葉にまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けて、その場で立ち竦んだ。
 『むしろそのまま今の姿のままでいて欲しい』、だって?
 それはつまり。五条も先輩と同じように特殊な性癖の持ち主……まさかのデブ専被りだとでもいうのか。
 そうか。だから五条は私を甘やかして優しくしてくれて、彼女にと言っているのか。
 デブ専なんてそうそうゴロゴロいるもんじゃないと思っていたけど、そんなことはないらしい。
 心に灯っていた熱が急速に引いて、凍り付いていくのを感じる。ほらね、やっぱり。都合のいい話なんてあるはずないのだ。

「……ふ、ふふっ」
?」

 あまりの虚しさに、乾いた笑みが零れた。もう笑うしかない。
 顔を上げて、訝し気にこちらを見る五条に向けてにっこりと微笑んで見せた。

「ありがとう、五条。嬉しい。改めてよろしくね」
「……! マジ? やった! ぜってー幸せにする!」

 ぱっと顔を輝かせ、嬉しげな声を上げる五条に対して、昔から躾けられた綺麗な微笑みをしっかりと顔に貼り付けた。
 なんだか、吹っ切れた。いや、正確に言えば、キレた。
 誰かのために自分を殺して我慢して、振り回されるのはもう沢山だ。
 先輩の時の様に、相手の好みに合わせて涙ぐましい努力を重ね、そして同じ様に五条に捨てられたら、きっと今度こそ私は立ち直れなくなるだろう。
 決心した。
 もう、無理に太ろうとするのはやめよう。
 元の私の姿に戻って、私は私のなりたい私を目指そう。諦めていた可愛いワンピースやアクセサリーを諦めなくてもいい私になろう。その結果五条に嫌われたとしても、それでいいじゃないか。偽りの私が愛されたとしても、そんなのは虚しいだけだ。
 嬉しそうにはしゃぐ五条と、表面上はにこやかな私。
 そんな私たち二人を、よかったよかった、と夏油と硝子が万事解決とばかりに見守っていた。