人魚の住む森 02






 山奥の集落と言っても、建っている家々は都市部の一軒家とそう変わりは無いし、服装だってどこも古めかしくない。人々は車を所持し、携帯片手に歩いている。少し木々が生い茂っていて建っている家の感覚が広いことくらいしか違いがないように見える。後、舗装されていない道を所々見かけるくらいだろうか。木々より高い建物が無いと言ってもいい。見上げれば青い空がとても近い。補助監督である斉藤は車を運転しながら街の様子を見て感心していた。木々が多いだけで東京よりも空気が透明感を持っているように感じるのはそう思いたいからなのだろうか。

「そーそー、将来民俗学を学ぼうと思って、センパイにお願いして研究についてきたってワケ」
「へぇ、随分勉強熱心なのね。とても素晴らしいと思うけど、人魚塚を見てガッカリしないかしら。本当にただの岩なのよ」
「そのおばば様ってのが詳しいんでしょ? 何か隠し通路とかあったりして」
「……どうかしら。聞いた事は無いけど」

 後部座席では自己紹介に始まり、学生二人が和気藹々と会話に花を咲かせている。正直あの五条悟が会ったばかりの他人とこんなにも前向きに会話を続けている光景に目を疑う。もしやまさかまさかの思春期のあれそれなんじゃないかとついつい勘ぐってしまいそうになる。
 女学生――が言うには、人魚塚は集落の奥にある森の中にあるらしい。その森の手前に五百年生きているとされる巫女のおばば様の住まいがあるのだとか。今この車はそのおばば様とやらの住む家に向かっている。五条は意外にもしっかりと人魚について探りを入れていて、つい斉藤は感心してしまった。先程まで碌に資料も確認せず寝ていたとは思えない。目はずっとに向けられているし、やはり『そう』なのではないかと思考が跳びそうになる。斉藤はプライベートではそういった恋愛話が大好物であるから、少し口がムズムズしてしまう。

「ちょっとした祠が建てられているだけだし、周りにも何も無いわ。おばば様が何か知っているといいのだけど……」
はおばば様から人魚について聞いた事無いんだ?」
「……あんまり、無いかな」
「へぇ、秘密主義?」
「どうかな。……あ、その奥の家です。隣にある空き地に車を停めてください」

 が指をさす方に古民家が見える。周りの家がそれなりに新しい建築であるからか目立って見えた。指示された通りに車を空き地に停めた。各々が車を降りる。車の中はしっかり冷房が効いていたからか生温い風を感じつい顔をしかめてしまう。季節は夏。初夏とは言え、十分暑さを感じる。じんわりとまとわりつく温さは東京と変わりないらしい。滲む汗を拭いつつが指す家を見上げた。
 その古民家は、村のどの家よりも大きい。屋根は茅葺で如何にも年代を重ねた木材で建てられているように思える。に聞けば、大正時代以前には建てられていたものらしい。あまり詳しい記録は残っていないのだとか。おばば様はこの村の村長のようなものを担っているのだろうか。家の建つ場所は村の奥であり、家の裏には広大な森が広がっている。資料によれば、人魚の森と呼ばれる森があるとされている。昔この村の地主が人魚を捕まえて埋めたという伝説が残っているらしい。

「調べたんだけど、人魚を埋めた森があるって?」
「あぁ……この裏の森のことよ。どのくらい昔かは知らないけど、人魚を捕まえて、埋めたんですって。食べたかどうかは知らないけれどね。あの森の中に小さい神社があってね。その近くに人魚塚があるわ。その塚の真下に人魚が埋まってるとか何とか」

 はそう言いながら家の玄関を無遠慮に開けた。しかしすぐに「ただいま」という声が聞こえて、がここの住人であることが伺い知れた。そう言えばこの任務に就く際に渡された調査報告書には特級呪物についてのみ記されていて、この村の事についてはほぼ何も記載されていなかったことを五条は思い出した。呪術師には任務に関わることについての情報が事前に全て開示される。村のこと、村に住む人間のこと、その全てが。渡された資料に村の住人について情報がなかったのは、呪物の回収任務だからかあまり重要視されなかったのだろう。これまでの回収任務も、現場の位置情報くらいで住人の情報など記載されなかった。情報が多くなればなるだけ紙が増え重さが増え嵩張って邪魔になるからだろう。必要になった時に改めて申請して情報を手に入れることになる。手間になるが仕方がない。取捨選択をしなくてはただただ無駄な時間を過ごすことになるのだ。そう言った判断は全て補助監督や窓の裁量で行われる。

「ごめんなさい。おばば様寝てるみたい。もう後一時間もしたらお夕飯の支度をしなくちゃいけないから起きると思うのだけれど……。良ければ中に入って待ってもらっても」
は人魚塚の場所、知ってるんでしょ?」
「え? えぇ、もちろん」
「森の中だっけ、時間かかる?」
「そんなに遠くはないから……。今から行くの?」
「だめ? 案内してほしいんだけど」

 は一度家を振り返って少し考えるような素振りを見せた。ちらりと左腕の腕時計を確認してから五条たちの方へ向き直った。一瞬強い風が吹く。風に吹かれた髪を抑えながらは笑った。

「いいよ。でもお夕飯の準備をしなくちゃいけないからそんなに長くいられないけど」
「オッケー。じゃあよろしく」

 を先頭に森の中に入る。少し登るの、と言われたが道はそれなりに道幅も広く舗装されているようで人の出入りは頻繁にある様だった。山道ではあるが随分と歩きやすい。

「その塚にさ、人魚本当に埋まってんの?」
「まさか。もう何人もの人が掘り返してるけど、何も出て来てないもの」
「まぁそりゃそうか。掘り返すに決まってるよね」

 およそ10分程歩いた所だろうか。前方に赤い鳥居が見えた。恐らくが言っていた神社のものであることは間違いなさそうだ。近づくにつれて塗装が剥がれている所も見受けられるが、全体的には管理が行き届いていて綺麗なものだった。よほどこの村は信心深いらしい。

「あそこよ」

 は鳥居をくぐることなくその前を横切って道から外れた。指さす先には小さな岩がぽつんと置いてある。周りに草が生えていないのは何度も掘り返されているからだろうか。確かに周りに比べて土が柔らかそうに見える。人工的に成形したのだろうという岩だからこそ目立って見えるが、それ以外は何の変哲もない岩だった。目を凝らしてみても何の残穢も感じない。特別な目を持つ五条悟であれば違うものが見えるのだろうか、と伺ってみるも、五条の目は至極つまらなさそうにその岩を映していた。