30.faithlessness-不実-





「どうです、この後一緒に食事でも行きませんか?」
「すみません、まだ仕事が残っているんです」

きっちり45度で礼をして踵を返す。これから友人達と焼き肉を食べに行くのだ。もう開始時間寸前だから急がないと食いっぱぐれてしまう。120分食べ飲み放題なんてあっという間なんだから、一秒でも無駄にできない。しかも今回はボーナス出たばかりだからいつもより高い良い肉が入ってるコースで予約しているのだから。
月に1、2回程、職場の取引先の方と打ち合わせをする。毎回やってくる人はジェイド・リーチさんという人が固定で、何と取引先の副社長さんだ。そしてそのジェイドさんは打ち合わせが終わると、毎回食事に誘ってくる。最初の内は付き合いだと思って行っていたのだが、連れて行かれる店はコース料理がメインの大変お上品なところばかり。仕事でスーツを着ているからギリギリドレスコードクリアしてますかね? くらいの雰囲気の店だ。夜景の見える窓際の席に座ってワインで乾杯した時なんか、シチュエーションだけでいけばこれからプロポーズが待っているような、そんな雰囲気の店ばっかり。
もちろん食事は美味しい。何せこの食事は全て「僕が誘ったのですから」と奢りなのである。いや、申請すれば多分経費から落ちるから全然支払うんだけどね。でも領収書くれないからこっちに。ただで高級で上品なお料理を食べられるのは良かった。
しかし、私は一般庶民。高級食材とスーパーで売ってる食材の味の違いなんてほとんどわからないし、ちまちまお上品に食べるよりはどんぶりでかきこみたいタイプだ。美味しいのは本当だけど、堅苦しい場は苦手で、胃が小さくなる。加えて、相手もとても上品に食べるのだ。もうマナーを何とか詰め込んだだけの人間が一緒に食べてるなんて思うだけで恥ずかしくなる。
そんなことが積み重なって、私はその食事の誘いを断るようになったのだ。こちらが「仕事が残っている」だったり「予定がある」と言えば向こうもあっさり引いてくれる。あっさり引いてはくれるが、とても残念そうな顔をされるので、罪悪感が芽生えてしまう。だから5回に1回は誘いに乗るようにしているのだが、了承の返事をするとそれはもう嬉しそうな顔をしてくださるもんだからさらに罪悪感が募る。どうせなら毎回毎回食事に誘うのをやめてくれないかなぁと思ってしまったり。

「その副社長ってモストロ・ラウンジんとこのでしょ? あんな顔の良い男の誘いを断って焼き肉に来るなんて、随分なご身分ねぇ」
「それ嫌味なの? ていうかそっちが私の立場でも焼き肉取るでしょどーせ」
「えー、でもワンチャンあるかもしれないじゃん?」
「あるわけないじゃん。一体何を間違えたらあると思うの。それにさぁ」

とても紳士的な態度で仕事も誠実な人なのだが、どうにも二つ心ありそうというか。こんなスーパーパーフェクトなビジネスマンいるわけなくない? と猜疑心が生まれてしまうというか。そう言えば、友人にも思い当たる事があるのか頷いてくれた。
正直言えば、本来の姿だとか本性が酷いとしても、打ち合わせの時にそれが出ないのであれば私は別に構わない。プライベートで付き合いがあるわけじゃないから。職場の取引先という立場があるから優しいのだと思えば、コロッとその優しさに私が落ちてしまうこともないだろうな、と考えたのも事実だ。私は本当にちょろい人間なので、彼みたいな人に毎度食事に誘われたら『もしかして私に気があるんじゃ……』と勘違いしてしまいかねない。そうならない為にも事実を事実として見て受け入れられるような精神を鍛えたつもりだ。
「美味しかったね」なんて言いつつ店を出る。やっぱり奮発して高いコースにした甲斐があった。本当においしかった。まだ時間あるしどこか二軒目で軽く飲もうか、なんて話していた時、後ろから名前を呼ばれた。
誰だ、と振り返ると、そこには数時間前に食事の誘いを断った取引先の副社長がいたのだ。驚いたような顔と目が合って冷や汗が流れた。ばっちり焼き肉屋から出てきたところを見られただろう。

「何故ここに……?」
「ジェ、ジェイドさん……」

驚いたような顔から一転し、ジェイドさんはニッコリ笑った。

「ふふ、まさか貴女がそんな嘘つきだったなんて思いもしませんでした」

そう悲し気に言う割に、口角はしっかり上がっていて随分と楽しそうな笑顔に見える。
しくしく、と涙を流す真似までされる。いや、でも友人との約束が先だったので、とか苦し紛れにぼそぼそ言うとしっかり聞こえていたようで、

「打ち合わせがある度に食事に誘っていたではありませんか。あらかじめ予定を空けておいてくださってもよかったでしょう? それともご友人との約束は半月前からされていたのですか?」

この焼き肉食べ放題は三日前に決めたものだ。もうぐうの音も出ない。諦めろ、と言わんばかりに友人が私の肩を叩いた。ついでに背中を押される。少しふらつく形で一歩前に進めばがっしりとジェイドさんに腕を掴まれた。

「僕、とっても傷つきました。これは貴女に付き合っていただかないと……。プライベートの連絡先、教えてくださいますよね?」

そう言われて大人しく私はスマホを差し出した。