27.karma-業-





例えば前世、とんでもない徳を積んでいたとか。そうでも考えない限り納得いかない。いや、そう考えても納得いってない。

平凡な一般家庭に生まれ、可もなく不可もなくといった成績を維持し、そこそこの企業に入った。山も無ければ谷も無い、そんな人生である。不満の一つもなかった。強いて言えば、そろそろ結婚して子供が欲しい、と思ったくらいだろうか。今現在恋人もいないのに。だから職場の友人にそんな話をしたところ、「出会いが足りない」のだと言われた。確かにそうかもしれない。特にこれといって人と積極的に関わる生活をしていない。職場と家を往復し、休みの日は大概家にいる。その事を指摘された。

「今度、会社の創立記念パーティーがあるでしょ? 私達みたいな下っ端は自由参加だし、堅苦しいのは嫌だからって不参加にしてたじゃない。出席して出会いがあるかどうかはわからないけど、社外の方々も沢山来るらしいし、きっかけにしてみたら?」

私も一緒に参加してあげるからさ、と友人が言ってくれたから、じゃあ参加してみるか、とパーティードレスの準備をした。中々着る機会のないドレス等所持しておらず、急いで買いに行った。これもきっかけの一つにしようと思ったというか、買ってしまえば逃げ道も消えるだろう、とどこか後ろ向きな気持ちを振り払うかのように支払った。
パーティー当日、参加してみれば結構見知った顔がいた。何でも提供される料理が有名なリストランテのものらしく、それ目当ての社員が多いのだとか。なるほどなぁ、とついつい納得してしまった。聞けば詳しくない私でも知っている超有名店だった。まだ出来て新しいのにどんどん業績を伸ばしているリストランテだ。参加して正解だったね、と友人と二人笑ってしまった。
招待客に挨拶する、なんてことは一切なく、ただ単に美味しい料理を食べて、ちょっと上流階級のパーティーの雰囲気を味わう……ただそれだけで十分楽しかったから、本当に参加して良かったと思っている。
お手洗いに向かった友人を見送って、ホールの壁側に設置されていた一人掛け用のソファに座った。実は慣れないパーティー用の靴に足が悲鳴を上げていたのだ。鞄の中に絆創膏など入っていないし、入っていたとしてストッキングを脱がなくてはいけない面倒を思うと、友人が戻ってきたらタクシーで帰ってしまおうかなぁなんてぼんやりと考えていた。もし私が魔法を使うことが出来たらよかったのに、なんて。知り合いに魔法士もいないのだから考えるだけ無駄か。
そうして物思いに耽っていると、頭上が暗くなった。あぁ友人が戻ってきたのかな、と顔を上げると、知らない人が立っていた。
知らない人だ。だけど随分と顔が整っている。こんな人、パーティーにいれば話題になっているだろうに。

「失礼します。もしかしてどこかお加減が悪いのですか?」

最初こそ見上げていたが、私が気付いたと同時に、目の前の人が私に目線を合わせるように屈んでくれた。随分身長が高い人だったから、見上げているのも辛かったので、屈んでくれて助かった。

「いいえ、平気です。お気遣いありがとうございます」
「本当に?少し足を引きずっていらしたでしょう?」
「え? あ、あぁ……多分靴擦れをしてしまいまして」
「それはいけない。僕、魔法士なんです。治癒魔法も使えますから、見せて頂いても?」
「いえそんな! 大したことじゃないですから」
「いいえ、たかが靴擦れと侮ってはなりませんから」

そう言って跪いた彼は問答無用で私の右足を取り靴を脱がせた。ストッキングの爪先に血が滲んでいる。

「あぁやはり血が出ていますね」

胸元にさしていたペンを取って、彼が何事か呟くと、靴擦れで血が出ていた所が仄かに光った。何だか温かい。

「さぁ、これで大丈夫でしょう」
「あ、ありがとうございます」

光が消えた爪先は、ストッキングに付いた血もろとも何事もなかったかのように元に戻っていた。すっかり綺麗に治っていた。

「ですが、今お履きになっている靴ですとまた靴擦れを起こしてしまいかねませんね」
「あ、もう帰宅するつもりですので……」
「そうなのですか? あぁそうだ。こちら、僕の連絡先です」
「え? あの」

差し出されたスマホに戸惑う。

「簡単な治癒魔法ですが、万が一があっては困りますから」

魔法の事は私にはよくわからないが、そういうものなんだろうか。「貴女の連絡先も教えてくださいますか?」という言葉に抵抗なく教えてしまった後に、会って数分の人に教えてしまうのは良くなかったんじゃないか、と思ったけど、よくよく考えてもこんなにかっこいい人が平凡な私に一体何を期待するというのか。わざわざ怪我を直してくれた心優しい人に失礼なことを考えてしまったな、と反省した。

「ジェイド・リーチ。モストロ・ラウンジ支配人の右腕。凄いね、玉の輿じゃん」
「何言ってんの。真面目に話聞いてよ」

あのパーティーの後、助けてくれた魔法士ジェイドさんから連絡が来た。それは徹頭徹尾私の靴擦れのその後を気遣うものだった。そう言えばお礼をしなくてはいけないとようやく思い当たり、こちらからジェイドさんを食事に誘ったのだ。快く了承してくれたジェイドさんと食事に行って、その数日後、今度はジェイドさんから食事の誘いが来た。特に断る理由もなく、そうしてたまに食事を繰り返していたある日、「結婚を前提にお付き合いしてくださいませんか」と言われたのだ。
混乱する頭で何とかその返事を保留しこうして持ち帰って友人に相談している。

「真面目に聞いてるよ。真面目に玉の輿じゃん、って思ってるの」
「もっと根本的なとこから考えてよ。あの人が私と結婚を前提に付き合いたいと思うわけなくない?」

自分で言うのもなんだけど、本当に平々凡々な容姿でしかない。ジェイドさんであればもっと綺麗な人だって選び放題だろう。

「まぁ、それはねぇ……。けれど何度も食事行ってたんでしょ? 内面の何かに惹かれたんじゃないの?」
「それも考えられないよ。だって本当に当たり障りのない世間話しかしてないし……」

お互いのプロフィールすらまともに知らないのだ。本当に。仕事の話もしていない。

「まぁまぁ。どんなところに惹かれるかなんて個人によりけりじゃん。それより、アンタはどうなの? 付き合いたいの?」
「……それが全然想像できなくて。好きか嫌いかって言われたら、そりゃあ好きだよ。でも恋愛的な好きかって言われるとどうだろう。本当に、どうしてジェイドさんがあんなことを言ったのかわからなくてそれどころじゃないっていうか」
「じゃあそれはもう本人に聞くしかないんじゃないの」
「そうだよね……」

けれどジェイドさんに会うのに随分勇気がいる。何せあの日以降毎日連絡が来るのだ。返事を急かされている訳じゃない。今日はこんな事がありました、貴女はどうですか、みたいな世間話が送られてくる。

「案ずるより産むがやすし、って言うでしょ。ほら、連絡入れてみなって」
「うぅーん……」

煮え切らない私の態度に業を煮やした友人が私の手からスマホを奪い取り、ささっとメッセージを送ってしまった。『今夜お話しできませんか?』早々に既読がつく。もう取り消せない。そしてジェイドさんから、『是非』というメッセージとお店の住所が送られてきた。

「はい、じゃ頑張ってね」
「うん……」

それからはもう、常に時計を見ては時間が進んでいくのを内心ため息をつきながら過ごした。
指定された店にはすでにジェイドさんが待っていた。この人は本当に、いつでも時間より早く来て私を待っている。私だって5分前行動を心掛けているというのに。「お待ちしておりました」とニッコリ微笑まれ、怖気づく。いいやこれでは聞きたいことも聞けずに終わってしまう。それではこうしてやってきた意味がなくなってしまうだろう。意を決して単刀直入に聞くことにした。

「あの、私考えたんですけど、どうしてもジェイドさんに交際を申し込まれる要素がないと思うんです。なので」
「おやおや。貴女はとても魅力的な方です。少なくとも僕にとっては。まるで恋にからめ捕られた囚われの身です」

そう言われて気恥ずかしい気持ちはあるが、やはり何というか信じ切れない。
何度も繰り返して言うが、私は平凡な人生を歩んできた凡人だ。それがこんな条件の良さげな人に交際を申し込まれるなんて、どれだけの善行をしたって有りえる話だとは思えない。本当に一般家庭だし、例えば何らかの強いパイプになりそうな後ろ盾やら権力があるわけじゃない。勤めている会社で重要な立場にいるわけでもない。どうしても納得いかないのだ。むしろ、何か裏がありますと言われた方が納得できるのに。

「ねぇ、もうお分かりなのではありませんか? ただ貴女が好ましいと思ったからこうして交際を申し込んでいるんです。それ以上の理由なんて、どれだけ疑ったところで出てきませんよ」

そうなのかもしれない。でも本当に、ここで頷いてしまっていいのか躊躇してしまう。

「ではこうしましょう。一か月、僕に時間をください。どれだけあなたの事を好いているか証明いたしますから」
「それはつまり……?」
「まずはひと月、僕と試しに付き合ってくださいませんか?」

いいでしょう? と首を傾げられる。
悪くない、のかもしれない。ここでどれだけ言葉を重ねられても私は納得できないだろうし。ジェイドさんの提案に乗れば、彼の真意を知ることが出来るかもしれない。それにたった一か月だ。長くも無ければ短くも無い。悪くないかもしれない。

「じゃあ、それで……お願いします」
「よかった。こちらこそよろしくお願いしますね」

こうしてジェイドさんとの一か月お試し交際が始まったのだ。