15.envy-嫉妬-
人魚が言うには(魚人と呼んだら本気で水の中に引きずり込まれそうになった)、人魚がこの池にいる時だけ世界が繋がっているのだとか。そう、突然家の池に表れた人魚は地球日本産の人魚ではなく、ツイステッドなんちゃらの何とかの海出身なんだとか。つまり、異世界人。いや、異世界人魚。どうして繋がってしまったのかは人魚にも分からないらしいが、繋がってしまったものはしょうがない、と人魚は度々この池に姿を現すようになった。こんなに頻繁に世界間を移動できるというのは物凄くとてつもなく凄い事なのだとか。人魚のいる世界は魔法が使えるらしく、どんな大魔法士であろうとそう易々と世界を渡ることは出来ることではない、そもそも出来ないと些か興奮気味に言っていた。この世界、少なくとも私の周りには魔法というものは所詮ファンタジーであるという認識がなされている。創作上のものだよね、ってことだ。それを知ったジェイド(人魚の名前。何度も魚人と呼びそうになっては人魚と言い直す私に見かねて名乗ってきた)は大層驚いていた。ジェイドの世界に、魔法を使えない者は多くいるが、全く魔法の無い国や地域は無いのだとか。ますますジェイドは私の世界に興味を抱いたようで、「貴女の世界で過ごしてみたいものですね」と鋭い眼光をまるで子供の様に輝かせて何度も何度も飽きもせず言うものだから、「機会があればいいね」と返すようになった。最初は人魚なんて見つかったらただじゃ済まされないだろうと懸念して「やめたほうがいいよ」と言っていたのだけど、本人がどこ吹く風なので気にしないことにした。
出会った頃はまだあどけなさを残していた面影も今や消え失せ、青年然とした精悍な顔つきになった。身長(いや体長と言うべきか)も4m近くあり、それなりの広さがあるはずの池が中々手狭に見受けられる。膝から下を水につけて池のほとりに座る私の横に、肘をついて上体だけ起こしているジェイドの、先が見えない尾ひれを眺める。手を伸ばしても届かない。ジェイドの機嫌が良ければ、長い尾ひれを器用に折り曲げて、先っぽを私の膝の上にパシン、と乗っけてくる。尾の先までしっかり神経が通っているらしく、結構自在に動くし感覚もあるのだそう。「人は膝の上に乗る生き物を可愛いと言って撫でるのでしょう」と言うジェイドは、まさか自分の尾ひれを可愛いと思っているのか。青いしぬめぬめしてるし、可愛い要素欠片もないのだけど。ただし撫でないとパシンパシンと私の膝の上で跳ねさせては水を飛ばしてくるので、撫でてやるしかない。どうせ撫でるならジェイドの頭だろうと思うけど、別段撫でたい訳じゃないので、言ったことは無い。言ったとして、本当にジェイドの頭が膝に乗ってきたら困る。
まぁ、しかし。私よりも随分大きい図体しているが、その殆どが水に浸かっているうえ、いつも上目遣いに話すジェイドを可愛いと思う事もある。ウツボの人魚だと教えられた後、それなりにウツボについて調べた。そうしたら海のギャングだとか物騒な文言が飛び込んできて、海の中では強者に入るのであろう人魚を思い浮かべて少し怖くなった。私なんぞ簡単にどうとでも出来る。だって出会った日に掴まれた足は、彼が力を緩めるまでびくともしなかったのを今でも覚えている。ジェイドは何が気に入ったのか、足に興味津々で水の中に足を入れろと毎回毎回要求してはペタペタと足を触り楽しんでいる。人魚にないものだから珍しいのかもしれない。いい加減慣れたが、一応同年代の男子に無防備に足を晒して触らせているというのは、どことなくマズい気がしないでもない。そのような事を言ったところで、「僕と貴女しかいないのに?」と言い返されて黙ってしまった。この池で会っている時は、ジェイド以外は来ないしうちの家族もいない。まぁ深夜の時間帯だし、うちの家族は大体寝ている。時間の進み方はどうやら同じらしいので、こちらが夜ならジェイドの世界も夜である。ジェイドの方こそ家族は心配してないのか、と聞けば護身術があるし何よりそこら辺は放任主義だとか言っていた。人魚の護身術というものに興味はあるが、それを言うと「お試しになります?」とか何とか言って池に引きずり込まれては堪らない。一度「見降ろされているが癪に障りますね」とか言われて勢いよく引きずり込まれた。しっかり尾ひれや腕で支えてくれたけど、うちの池は温度管理なんかされているわけもなく、私はしっかり風邪を引いた。一週間は寝込むそれなりにしつこい風邪で、少しはジェイドも反省したのか水に引き込む際は魔法で空気の層を張るようになった。引きずり込まないようにしろ、と言ってもただニッコリ笑うばかりで返事は返ってこない。
「ナイトレイブンカレッジという陸の魔法士養成学校に通うことになりました」
「陸? どうやって」
「魔法薬で人間の姿になるんですよ」
「へぇ、わざわざ大変だね」
ジェイドが言うには、その学校は鏡に素質を見込まれたもののみが入学できる超エリート校なのだとか。そんな学校に入れるジェイドは、きっと凄い魔法士になるのだろう。ただ話を聞いている限り、山に登りたいだとか陸ならではの楽しみを見出すことに重きを置き、学校で何を学び何になりたいとかそういった内容は一切出てこなかった。まぁ、ジェイドが楽しそうで何よりである。
さて、ということはイコールジェイドが故郷の海から離れるということであってつまりはもうこの池に来なくなる。なんだかんだと毎回お互い仲良く盛り上がって話をしていたと思っているので、普通に寂しい。けれど私も高校に入学するし、お互い環境が変わって忙しくなるだろう。改まって別れの言葉を言うのは恥ずかしいから、せめてジェイドの事をよく覚えておこうと普段よりジェイドの様子を見ていた。
一方ジェイドは、見る限り全然気にしていなさそうだ。もしかして仲良しだと思ってたのは私だけだったのか、と思うくらい普段通りいや普段より機嫌良さげだ。「こちらの陸では見ないものを見つけたら見せて差し上げますね」あいや違ったこの人魚、もう中々会えなくなるとかそういうことに思い当たってないだけだこれ。ジェイドは馬鹿じゃないというか頭が恐ろしく回るタイプのはずなのに、どこかネジが外れているのか『うっかり』しているところが見受けられる。
私はこんなに寂しいなーとか思ってノスタルジックになっていたというのに、この人魚は……。何だか悔しくなって会えなくなるであろうことを言わないでおこうと思った。精々陸に上がっていつもの時間にここに来ようとして来れないことに思い当たればいい。連絡先の交換なんて勿論していないのだから、どうやっても話せないことに遅れて気付けばいいのだ。この馬鹿。
陸に上がって興味が惹かれた事に、兄弟や幼馴染を巻き込んでのめり込んで「いい加減にしろ」と怒られて、でもそれでも話を聞いてくれる私に話せないことを後悔すればいいんだ。
そこまで考えてようやっと溜飲が下がった気がした。この好奇心旺盛な人魚が、陸で生活してどんな感想を抱くのかリアルタイムで聞きたかったなぁ、と思う。やっぱり寂しい。
いつもより少し長く話して、月が下がり始めた頃にようやくジェイドは海へ帰っていった。その背中を、まぁ暗くて大して見えはしないのだが見送った。約2年間ずっとあの人魚と話していた。人魚と友達になるだなんてまるで夢かおとぎ話みたいだ。ようやく酔いから醒めるかのような気持になる。お酒なんか飲んだことないけど、長い事夢に浸っていたようなもんだから夢に酔っていたと同義だと思おう。寂しいなぁ、と一つため息をついて部屋に戻った。
あれから数日後、これまでならジェイドが来ていた日に癖がついてしまったのかふらふらと池にやってきて座り込んでいた。きっとジェイドは来れないだろう。入学して忙しいのもあるだろうし、何なら今日、ジェイドはこちらに来られないことに気付くだろう。前は後悔すればいいとか色々思ったけど、でももしあの日言っていれば優秀な魔法士になる予定のジェイドなら何か道を見つけられたかもしれない、なんて。今更思いついてもジェイドに言えないし、結局後悔しているのは私とか本当に悔しい。
「こんばんは。お待たせしてしまいましたか」
足先でパシャパシャと水遊びしていたら、聞きなれた声がした。顔を上げれば、変わらないジェイドの姿があった。
「……陸の学校に入ったんじゃないの?」
「えぇ、入学しましたよ」
「人間の姿になる、って」
「元の姿に戻れるに決まっているじゃありませんか」
「……何でここに居るの?」
「おやおや。では何故貴女もここに居るのでしょう?」
僕に会う為じゃないのですか? と意地悪そうに笑うジェイドに何も言葉が出てこない。
「もうここに来れなくなるだろうな、ってずっと思ってたから」
「そのような事を? ふふ、まぁそうですね。珊瑚の海へと繋がる道は学園にはありませんから。ですが、僕の所属する寮は海の中にあるので」
「は? 海の中に寮?」
「あぁやはり驚きます? 貴方はきっと驚くだろうと思っていました。後でお話しますから」
そう言ってジェイドは、寮の海からこの池に繋がる道を見つけただか作っただかで、ここに来られるようになったらしい。そんなご都合のいい話ある? って思ったけど、それが魔法云々の話なら私に言えることは何もない。ただ一つだけ確かなのは、これからも変わらずこの人魚は家の池にやってくるということだ。
自然と口角が上がっていたのを同じく口角が上がっているジェイドに指摘されるまで気が付かなかった。