14.drop-落ちる-





ここはゲームの世界なのだと唐突に思い出した。
モストロ・ラウンジの事務室、ジェイドがいつも書類作業をする場所で、いつものように毒々しくいろどった紫の唇から似合いの毒を吐きだしていた。何を吐きだして詰っても全く相手にされないで、でも毒を吐きだすことをやめないでただひたすら一人で喚き散らしていた。ソファに座って向かいの机で書類を見て、全く私を見向きもしないジェイドを眺めている内に、ふと、見た事のない海の中の博物館の絵が浮かんだ。そして、見た事のない人魚姿のジェイドの立ち絵。
そう、ちょうど私は先日アトランティカ記念博物館に行ったというジェイドを詰っていたのだ。連れて行ってもらえるはずもないのに、文句を喚き散らす。厚かましいまでの文句を言い、その都度頭の中に知るはずもない光景が浮かぶ。勝手に浮かぶその映像に抵抗しようと頭を振る。その内に頭が鈍く痛みだしてきた。アプリを立ち上げて、画面を何度もタッチする光景が浮かぶ。私だ。アプリゲームのタイトルコールが頭の中で再生されたと同時に、ソファから立ち上がっていた。
急に言葉を途絶えさせ、いきなり立ち上がった私を、ジェイドがどこか驚いたような顔で見ていた。
そうだ、彼はジェイド・リーチ。オクタヴィネル寮の副寮長で、ウツボの人魚。嫌いなものは予定調和。物腰が柔らかく、誰に対しても丁寧な口調で接するが、腹黒く仲間内の悪巧みにも積極的且つ誰よりも愉快そうに乗っている。
知っている。ゲームで見ていた。覚えている。
ツイステッドワンダーランド。アプリゲームだ。魔法の鏡に導かれ、異世界である「ツイステッドワンダーランド」へ召喚されてしまった主人公。辿り着いた先は名門魔法士養成学校「ナイトレイブンカレッジ」。行く当てのない主人公は、その学園の学園長の保護を受け、元の世界へ帰る方法を探し始める。そんなゲームだ。ジェイドはそのゲームに出てくる個性豊かで協調性皆無の問題児が揃うキャラクター達の内の一人だった。
もうすぐウィンターホリデーがやってくる。ジェイド達はこのホリデー、去年も帰らなかったから今年も帰らないだろう。私もジェイドに会いたくて去年帰らなかったし、今年も帰るつもりはなかった。けど、今年のウィンターホリデーはスカラビアで事件が起こる。何でそんな事を私が知ってるの。そう、だって、ゲームで。
ぐるぐると回る思考と一緒に目も回したのか、頭が酷くくらくらする。目が開いているはずなのに視界が徐々に暗くなってきた。立ち上がった足に力が入らないが、掴み寄り掛かれるような支えもない。そうしてついに耐え切れなくなったのか、そのまま意識がおちた。

目覚めた時、見慣れた寮の自室でベッドに横になっていた。様子を見に来てくれた保険医によれば、三日間寝込んでいたらしい。
何だか、今私がいる世界がゲームの世界だなんて不思議な気分だ。いまいち実感が湧かないのは、私が私として生きてきた17年をしっかりと記憶しているからだろうか。ゲームの記憶も前世の記憶と言われるとしっくりこない。特に死んだ記憶も無ければ、生きていた記憶もあまり馴染んでいないからだろうか。とても長い映画を見せられたような、そんな気分だった。
ただ、一つだけ。
これまで私が突き進んでいた破滅しかない未来に、歯止めをかけることが出来る。いいや、本当は手遅れだ。だって、本当は、本当はジェイドに振り向いてもらって好きだと言って欲しい。私の望むことは何一つ叶わないから、手遅れだ。もっと早く気付いていれば、何て言うのもただの言い訳にしかならない。結局は私の行いなのだから。もう無理だけど、でも、もう止めよう。これ以上、ジェイドの心が手に入らないなら傷を付けてやろうだなんて馬鹿な真似は止めるのだ。
これまで分かってはいてもどうしてもやめられなかったけれど、これを機にそう思えるようになった。それでいいじゃないか。
そもそもあのゲームでは「ナイトレイブンカレッジ」は男子校で、女子生徒はいない。何故かこの世界では共学校になっているけど、本来ならば私は存在しないことになる。であれば、彼とどうこうなろうだなんて可能性すらないだろう。ゲームの知識が入ってきたおかげなのか、私がジェイドにやっていたことが本当に何の意味も成せないだろうと今ならわかる。ジェイドにトラウマを植え付けてやろうだなんて、あのジェイド相手に達成できるものか。物騒で、腹黒くて、同じように毒を吐く男だ。きっと私のやっていたことなんてそよ風ほどの衝撃もなかっただろう。
もう、ジェイドに会いに行くのをやめよう。このまま残りの学生生活、ジェイドの視界に入らないように大人しく過ごそう。一年の時は同じクラスだったけど、二年になった今、クラスは別れていたし、私が会いに行かなければ会うこともないくらいに接点がないのだから。
ジェイドに謝りたい気持ちもあるけど、そんなことされても迷惑だろう。もう何もしたくなかった。もうすぐやってくるウィンターホリデー、帰らないと実家に連絡してしまったけど、帰ることにしよう。ジェイドに会いに行かないなら残っていたってしょうがないから。
目覚めてからもしつこいくらいに様子を見に来る保険医を追い返して、そっと息をつく。スマホを確認したところで、何一つ通知がない。友人のいない私には心配してくれる人もいないのだ。以前までの私なら、「目の前で倒れたというのに見舞いの一言もないのね」だなんてジェイドの元に文句を言いに行ってただろう。けれど私は、もうやめると心に誓ったのだから。愛の裏返しで暴言や毒を吐きだすなんて真似、もうしない。
自棄になって3日と開けず言っていたモストロ通いをやめると、やることがなくなって時間を持て余すようになった。周りの寮生達からは訝しげな視線を送られることもあったが、別に話しかけられることもない。ただ、寮長だけは、「とうとうアタシの言う事に耳を傾けたのね」や「もうあんなウツボ、金輪際関わるのをやめなさい」とやけに機嫌よく話しかけてきては、暇な私を連れまわした。モデル業の付き人であったり、メイクの実験台であったり。元々ジェイドの隣に立つための自分磨きに余念がなかったので、寮長にはその「美」を追い求める姿勢を評価していただいていたのだ。何もしないでいるとジェイドの事を考えてしまうから、こうして何でもいいから何かやる事があると、毒を意識せずに済んだ。特に、寮長が個人で生育している毒花の世話の手伝いは楽しかった。植物園にはジェイドも来るから近寄りたくはないと思っていたけど、寮長が調整していたのか会うことは無かった。普段の学園生活でも、こちらが意識して避ければ、ジェイドを目にすることは無くなった。胸が締め付けられて苦しい思いをするけど、これは私が受け止めなくてはいけない罪の苦しみだから、仕方がないのだ。