12.mirage-蜃気楼-
誰にも言っていない秘密がある。もちろん家族にも言っていない。
私の自室にある壁掛け式の全身が映る鏡には、普段カバーを掛けている。埃が被るのが嫌だというのもあるが、最大の理由はプライバシーの保護のためだ。
元々、全身がしっかり映る鏡が欲しかったので、ずっと両親にお願いしていた。結局壁掛けにするにもスタンド式にするにもスペースがないから、と4千円くらいの小さいサイズの鏡を買ってもらった。少し離れれば全身映るのでまぁいいかとそれを壁に掛けた。欲を言えばまるでお姫様が住む城に置いてあるようなアンティークっぽいデザインのものが良かったけど、そういったものは値段が桁違いなので手も足も出ない。
そんな、新品で、何の曰くもないただの鏡だったはずなのだが、聞いて驚け、実はこの鏡、こことは別の異世界に繋がっているのだ。私は相当驚いて腰を抜かした。
鏡で繋がった先にも、もちろん私の世界に繋がっている鏡がある。その鏡の所有者はジェイド・リーチという同い年の学生だ。彼曰く、自身の鏡も特に何も謂れのないただの鏡だそうだ。心底驚いた私と違って彼は、予想だにしないこの事件を相当に楽しんでおり、「せっかく繋がったのだから」と言って情報交換をしようと言い出した。私はさっさと訳の分からない鏡を外してしまいたかったのだけど、何とジェイド君は魔法使いなのだとか。ファンタジーが大好きな人間としては、是非魔法の話を聞かせて欲しいと思ったのだ。それにジェイド君、イケメンだし。ジェイド君も私も異世界の事に興味がある、という利害が一致したため、取引は成立した。それ以降、ほぼ毎日夜にジェイド君と話している。気分は画質の良いテレビ電話をしているようなものだ。ジェイド君は私の話をそれはそれは面白そうに聞いてくれる。食文化や神話寓話というものについて話すことが多いのだけど、本当にジェイド君の食いつきがいい。キノコの話をしたら10日間はずっとキノコの話をされた。わざわざ図書館からキノコ図鑑を借りてきたくらいだ。私も魔法植物に属する見た事も聞いた事もないキノコに興味があったので、あまり苦痛に感じなかった。どうやらジェイド君は好きなものに一途というか、飽きることなく同じものを食べ続けられる性質らしい。けれどそれに誰も付き合ってくれないのだと(少しも悲しそうには感じなかったが)嘆いていた。まぁ普通二週間近くもキノコ料理出されたら飽きると思う。私がずっとキノコの話に付き合ったからなのか、一気に好感度が爆上がりしたようで、ジェイド君のニコニコ度合いも上がったし、話す時間も回数も長くなった。もちろん私の話も大変興味深そうに聞いてくれる。私自身、ジェイド君の熱意に影響されてか、部屋でしいたけの栽培キットを世話し始めた。その話をした時のジェイド君の喜び様ときたら。流石ぼっちでも『山を愛する会』とか訳の分からない部活動を続けているだけある。「貴女がこちらにいらしたらぜひ一緒に山に行きたいです」とちょっと照れくさそうに言われたけど、あれは一体どういうつもりで言っていたのだろうか。もし私が異世界に行けたとして、一番に想像するのがジェイド君との山登り、ってあまり現実味がない。どうせならもっとマジカルな体験をしたいものだ。
もちろん、この鏡が繋がった時に、お互いの世界へ行き来出来るのか確かめた。鏡面に触れれば、まるで水面の様に波打つのだけど、それだけだ。すり抜けられるという事は無かった。ジェイド君はそれを見て何事かを考え込んでいたけど、結局どういう結論に至ったのかは知らないままだ。
「今日、入学式があったのですが、異世界から魔法の使えない方がやってきたんですよ」
ジェイド君の通っている学校は9月から始まる。時間経過は同じようで、こっちが9月ならあっちも9月の同じ日だ。
「え? どうやって?」
「さぁ……詳しい事は分かりませんが、僕たちが入学した時と同じように馬車が迎えに来たようですね」
「魔法使えないのに? そんなことあるんだ……」
「ふふ、もしかしたら貴女をこちらにお連れする何らかの手掛かりになるかもしれませんね」
「えぇー? まだそれ諦めてなかったの?」
ピン、と人差し指で鏡面を弾けば波のように揺れる。もちろん向こう側に侵食しない。
「この鏡はずっとこの有様だし、そもそもジェイド君の学校って招待制なんでしょ? 素養があるとかそんな感じの判断基準で」
「まぁ、端的に言えばそうなりますかね」
「ジェイド君から見て、私が魔力ありそうに見える?」
「分かりませんよ? 環境が変われば変化があるかもしれませんし」
「現状無い、って事でしょそれ……」
それより、と今日の私の一日について聞かれる。お互いの近況を話すのが一番最初のルーティンになりつつある。近況と言っても、昨日も一昨日もそして明日も話すのだから大して変わった話が出来る訳でもない。それでも楽しそうにしてくれているから、まぁよかったな、と思う。
数日後、行方不明になった学生についてのニュースを見かけたから(まさか……)と思ってジェイド君に聞いた。朝からずっと、そのニュースを見てから違っていて欲しいと祈り続けてたから、名前が一致していなくて少しほっとした。これで一致してたら、行方不明の子が帰る手がかりをもしかしたら私が握っている、なんてことになるかもしれなかったから。
ジェイド君の世界に表れた子は、雑用係から生徒にメタモルフォーゼしたらしい。どうやら元の世界に帰れるまで学園長に支援してもらいながら魔法学校で学ぶのだそうだ。
「いいなぁ」
「監督生さんがですか?」
「うーん、単純に魔法学校っていうのに通ってみたいな、って」
「この鏡で移動できれば、授業にお連れするんですがね」
「行き来出来るんだったら体験してみたいよね」
「ふふっ、そうしたら僕がしっかりサポートして差し上げますよ」
「それは心強い。だったらジェイド君がこっちに来た時は私が全力で案内するね」
「いいですね。とても楽しみです」
元の世界に焦がれたまま、知らない世界で知らない人に囲まれて知らないことを学ばなくてはならないその監督生さんには申し訳ないけど、私は安全なところで楽しんでいるのが一番だ。ジェイド君というお友達もいるし。聞けば学園長というのはとても優秀で強い魔法使いらしいから、きっと無事に監督生さんは元の世界に帰ることが出来るだろう。
そうして私はすっかり安心しきっていた。数か月後、鏡に触れた手が沈むまでは。