8.gravity-引力-
少し先を行くジェイドの背中を追って階段を降りていた。
新学期が始まって間もない9月後半。外はまさに秋晴れといった涼しい快晴模様だったけど、どことなく薄暗さを感じる学園内は少し肌寒さを感じた。まるで、というよりまんま城である学園は、魔法や妖精の力を借りてとても快適な温度に保たれているが、視覚効果というのは絶大なる効力を誇る。少し薄暗いだけで肌寒さを感じるように人間は出来ているのだ。多分。
休み時間や放課後は大体周りに見せるようにジェイドと過ごすようになった。ジェイドとは友人であったが、こんなに距離が近い関係に変わったのは最近である。
つい先日、数通の手紙を持ったジェイドが「お願いしたい事があるんです」と尋ねてきた。まずはこれを読めと渡された手紙は全てジェイド宛のもので、随分と可愛らしいデザインの封筒と便せんに、本当に読んでいいのか何度も確認した。いいから、と言われて渋々読んだその内容は、一応は想像通りのものだった。可愛らしく丸っこい字でどれだけジェイドの事を思っているか書かれた手紙に、何故このようなものを私が読まなくてはならないのか、と辟易したが読み進めるうちに(おや?)と首を傾げた。可愛らしい内容ではなくなっていく。
「え、これストーカーか何かなの?」
「あぁやはりそう思いますか?」
「ラブレターにしては行き過ぎてると言うか、随分過激じゃない」
困ったような顔をして眉を下げているジェイドが、実は困っていないなんてことは多々あるのだけど、今回はそれなりに困っているように思えた。むしろ楽しみそうだと思っていたのだけど。
渡された手紙の内、まだ読んでいなかったものを指さし、よく読めと促される。
「この文、恐らく貴女の事を指していると思われます。僕と親しい異性の友人なんて貴女以上に思いつきませんから」
「えぇーちょっと、変なことに巻き込まないでよ」
「むしろ巻き込まれる前に何とかしようとこうして来たのですよ。僕と付き合いましょう」
「は?」
『ブスのくせにジェイドさんの近くをうろつきやがって、マジ殺す』端的に言えばこんな文だった。それを見せて付き合いましょう、というのは悪い冗談だろうか。この手紙の送り主を何とかするまでなるべく距離を取りましょう、というなら分かるのに何故わざわざ距離を近づけるのか。
「つまり僕に恋人がいないからこのような手紙が送られてくるわけでしょう? なら恋人を作ればよいかと思いまして。それなら貴女を恋人にすれば、これからこの送り主が貴女に何かしらの危害を加えようとしたときに、守って差し上げられるでしょう?」
「恋人がいようがいまいが関係なさそうだけど」
つまり恋人の振りでもしてくれ、という事だろうか。確かに放置して、あのヤバそうな手紙を書いて送り付けてくるような人物に逆恨みされても困るなとは思う。対価として提示しなくても守ってくれよ、と思わなくもないが傍に居れば守っていただきやすそうではある。
「恋人の振りねぇ……バレないかな」
「振り? 何を言っているんです。そんな事は一言も言っていませんよ」
「は? え、じゃあ私にどうしろって?」
「振りではなく、本当に恋人になっていただこうかと」
「……どうして? 恋人って何だか知ってるの?」
如何にも「何を言っているんだお前は」と怪訝に思っているかのような顔でこちらを見るジェイドに、それは私のセリフだと言いかけてやめた。ジェイドに口で勝てた例がない。
「勿論です。相思相愛の間柄にある関係のことです」
「そうだね。私達って両想いだったかな」
「少なくとも僕は、貴女を恋しく思っていますよ。でなければこんな提案しません」
「じゃあそれなら」
「貴女が僕を好きになればいいんです。出来るだけ早く僕を好きになっていただけますか」
「お、横暴だよそれは……」
あまりの暴論に開いた口が塞がらない。はしたないですよ、と開いた口を閉じられる。「ウツボの求婚では大きく口を開ける、というのがありまして」再び口が勝手に開かないように手で口を押えた。
「僕と付き合う気にはなれませんか?」
そのジェイドの問いに私は上手く答えを見つけ出せなくて、結局ジェイドの恋人(仮)になった。好きになるもならないも傍に居た方が判断しやすい、とジェイドに丸め込まれあたかも恋人の様に傍に張り付かされている。一応近しい人には話しておこう、とアズール達に話したところ、アズールに三度ほど正気かどうか確認された。残念ながら正気である。
階段を先に降りるジェイドのつむじが見える。私より断然背の高い彼の頭を上から見るだなんて早々ない。そうしてぼう、っとしていたら足がもつれたのか引っかけたのか、バランスを崩した。とっさに上げた声にジェイドが反応してこちらを向く。階段から落ちる瞬間だというのに、やけに世界がゆっくり動いているかのように感じた。階段を転げ落ちるか派手にずり落ちるか、どちらにしても相当痛いだろうと、落ちると言うのにどこか冷静な頭が判断して目をしっかりつぶった。
「大丈夫ですか」
痛みに身構えていた体が暖かいものに包みこまれ来るはずだった衝撃が緩和された。「降ろしますよ」足が宙に浮いていたことも今気づいた。面積の広い踊り場まで抱きかかえられたまま連れられて、降ろされる。しっかりと地に足を付けて立った。
「痛いところはありませんか?」
「うん……ありがとう、ジェイド」
「いえ」
見上げたジェイドの瞳に私が映っている。背に回った腕はいつになっても離されない。いつも少し口角を上げて笑顔を作っているジェイドが、しかし今は表情がない。目が合ったままなのに、ジェイドから何の感情も読み取れなかった。
回された手に応えるべきなのだろうか、とジェイドの背に手を回すか考えて結局実行に移せず手のひらを握った。
ジェイドはどちらかと言えば体温が低いのだろうと思っていた。けれど彼の腕の中は確かにぬくもりも感じる。例えばこの関係を、本当に「ごっこ遊び」で終わらせたなら、このぬくもりを感じることがなくなるのだと思うと、それはとても残念な事だと思った。