6.eternity-永久-





夏バテというのは、なんとなく体がだるかったり、食欲不振になるなどの夏に起こる体の不調のことを指す。ここで暑いからといって冷たい麺ばっかり食べたりすると栄養失調でぶっ倒れるルートに入る。
寒いのも遠慮したいが、暑いのだって遠慮したい。涼しいだろうと思ってプールに行っても、結局は温水だから期待しているほどの涼を取れない。
学生の頃に出来た彼氏の出身が珊瑚の海の特に北の方で、基本的に涼しい気候だと聞いていた。成人した現在もその恋人と続いており、毎夏の帰省に誘われていた。けれど私はそれに頷くことなく夏を過ごしてきた。理由はいろいろある。海の中で呼吸をするための薬がめちゃくちゃ不味いとか、泳ぐのがそんなに得意ではないとか。けれど一番は、付き合い始めた最初の頃に言われた「夏はウツボの繁殖時期なんですよ」だと思う。彼氏の計画によれば、私は夏のたびに稚魚だかタマゴだかを産まなくてはいけない。そもそもこんなに長く付き合うことになるとも思ってなかったので、こうして成人して結婚妊娠が現実味を帯びてきてしまい、正直に言えば怯えていたのだ。海に行ったが最後、陸に戻れないのではないか、と。恋人であるジェイドは、そんな私の怯えなど知った事ではないと言わんばかりに、海での生活について話していた。ジェイドは確かに私の事を好きなのだろうが、最終的に望んだ形になれば何事も構わないといった面がある。結構世話焼きというか、管理したがりだ。一番望ましいのは、私もジェイドと同じくらいの気持ちを抱くことらしいが、絶対ではないのだそうだ。自分さえよければそれでいい、というタイプ。一応、私が悲しむのはよろしくないと思っているらしいので、私の言い分をある程度聞いてはくれるのが救いだ。
だからこそ、夏の誘いを断っても残念そうに眉を下げて「仕方ありませんね」と引き下がってくれていたのだ。だが今年は違った。
なんというか、私が完全に夏バテにやられて体調を著しく悪くし、あまり食事もとれなく、職場で倒れてしまったのだ。まだ連絡もしていないのにどこで知ったのか、帰省準備をしていたジェイドがすっ飛んできて、医師と私の家族の了承をさっさと取ってしまい「貴女が何と言おうと、今年は海に来ていただきます」と簡単にまとめられた荷物と一緒に海に連れて行かれたのだ。本当に驚いた。病院で目が覚めたと思ったら、とんでもなく険しい瞳をしたジェイドがほぼ何も話すことなく、手続きを済ませていったのだ。ブチ切れてんじゃん……と流石に私もそこで反抗するわけにいかず、大人しくジェイドに言われるままについて行ったのだ。ジェイドが私に対してこんなに怒っているのなんてほぼほぼ無いし、私自身、申し訳ない事をしたなという気持ちもあった。病院の看護師さんに「あんまり心配かけさせちゃ駄目よ」と怒られてしまったし。

「このスープだけでも飲んでください」

海に連れてこられた日、ジェイドの実家に行ったのだが挨拶もそこそこに私はベッドに寝かされた。体調が万全でなかったのは確かなので、間違ってはいないだろう。聞いていた通り、随分涼しい場所だったので、夏バテも順調に回復していきそうだ。
ただ、ジェイドがいけない。
どれだけ「大したことない」とか言っても甲斐甲斐しく世話を焼こうとするし、食事の準備などの雑務以外、ずっと傍に張り付かれている。「僕の見ていないところで勝手に死なれたら困ります」なんて至極真面目な顔して言うから、倒れて病院に運ばれた身としては大げさだと思いつつも反論することが出来ないでいた。

「他に食べられそうなものはありますか? あぁ、陸で買ったスポーツドリンクもありますから飲んでくださいね。欲しいものもありませんか? すぐ買ってきますよ」
「いや、本当に大丈夫だから……。仕事行かなくていいの?」
「貴女を置いて仕事になんて行けるはずないでしょう。心配なさらずとも大丈夫です。従業員一人いなくなったくらいでダメになる組織はそれまで、ということですから。貴女はただ体調を回復させることだけを考えてください」

何を言ってもこれだ。二言目には「気にしなくていい」が出てくる。本当に何で倒れちゃったんだろう。おかげでジェイドに何も言えないし、何だか色々な事の口実を与えてしまった気分だ。私はこの夏が終わったら実家に帰れるのかなぁ、とちょっとだけ思い始めてきたくらいだ。

「はぁ、体調が悪いとはいえ、僕のベッドに貴女がずっといてくださるなんて……。狭くはないですか? もっと大きなベッドに買い替えましょうか」
「十分広いベッドだと思うけど。そもそも人魚ってベッドで寝るの?」
「本来の姿の時はあまり、ですかね。ブランケットなども使用しませんし。このベッドも陸の生活に慣れるために用意したものですから、貴女がこちらに住むようになったら好きなものに買い替えようと思っていたんです」
「いやいいから……」

やっぱり海に住まわされるのか、と思ったけど今は考えないことにした。

「まぁ先の事はおいおい話しましょう。さ、少し眠ってください。食事の時間になったら起こしますから、それまで眠ってていいですよ」
「そうは言われても……毎日寝すぎて全然眠くないんだけど」
「そう仰ると思って、先程のスープに眠くなる効果のある薬を混ぜてます。その内眠くなってきますよ」
「……そんなにさらっと薬盛ったって言わないでよ」
「大丈夫です。貴女の身体に害があるような調合はしていませんから、安心して眠って。早く治してください」

肩を押されて、ベッドに倒される。そしてタオルケットをしっかりかけられた。海の中なのにこんなにふわふわだなんて、やっぱり魔法なんだろうか。
額に置かれた手が昔から変わらず冷たくて気持ちがいい。