4.diva-主役-





毎週木曜日は、調理研究会の休みの日だった。
今や部員は幽霊部員と化しており、どんな人が部員なのか知らない。実質私一人で活動している。だから活動日なんてのも、私がやりたいときにやる、そんな自由がある。けれど何となく固定休が欲しかった。それで友人達と予定が合わせやすい木曜日を休みとしたのだ。何処かに届け出する必要もないから、ただ自分の決めた通りに気ままに活動していた。
いつかのある木曜日。
その日は軒並み友人達と予定が合わなかった。放課後の時間を持て余した私は、一人で遊ぶ気にもましてや勉強する気にもならなかった。それで無意識のうちに学園の調理室に向かっていたのだから、部活動に真面目に励んでいたのだなと我ながら感心してしまう。
この学園のカリキュラムに、当然の如く『調理実習』なんてものはない。似たようなことは『錬金術』や『魔法薬学』で行うが。それらの授業を行う実験室は数多くあり、その中の一つ、使われることのない実験室を改修し調理室を作った。元々実験室には水回りや保存庫関係が設備としてあったので、それを少しカスタマイズし調理器具を揃えれば何一つ問題なかった。つい最近、ゴーストの若年層が増えてきたこともあり食堂の調理設備を近代化する時にちょちょっとやってもらったのだ。持つべきものはゴーストのご意見番の友達である。
一般家庭では必要のないほどの火力を搭載した業務用のコンロやオーブンは、限られた(それも短い)時間で行う部活動にとても役に立つ。家や寮のキッチンで作るより大幅に時間短縮が可能だし、出来ることも多い。ごくたまにハーツラビュルの副寮長がオーブンを使いに来る事があるくらいだ。あの先輩は実家がケーキ店だとかで、お菓子作りに造詣が深い。彼自身はサイエンス部なのだが、実質一人で活動しているこの調理研究会にたまに顔を出してくれる良い先輩だ。入部を勧めても断られるばかりだけど。
とにかく暇を持て余した私は、調理室の冷蔵庫内を思い出しながら購買で適当に食材を買う。勿論部費を使っている。さて何を作ろうか、と徐に窓を見て……大量のキノコを抱えたジェイド・リーチと目が合った。
ジェイド・リーチ。クラスも違えば寮も違う。選択授業で見かける事があるくらいだけど、ある程度の人となりは耳にする。実際はヤバイ方のリーチ、だとか何とか。つまりは刺激しなければ特に害はない、という事だと思っている。

「そのキノコ、何?」

目が合ったまま、お互い視線を逸らすことなく数分過ぎたが、キノコの豊潤な香りはしっかり鼻に届いていた。適当に何かを作ろうとしていた私は、それとなくお腹が減っていたから余計に空腹を感じるようになる。

「僕が部活動を通じて栽培しているキノコです」
「そんなに大量に育ててるの?」

キノコに目線を落としたことでようやっと目をそらすことが出来た。

「えぇ。まだ収穫していないものもあります。これからこのキノコ達を食堂に卸そうと思いまして」
「食堂に? ……あぁなるほど」

見るからに肉厚なしいたけを始めとしたキノコ達は、例えばスーパーに並べばそれなりの値が付く代物になりそうだ。相当手間暇をかけているに違いないそれは、それを生業にしているわけでもないなら、おいそれと手を出しづらい部類の趣味だ。あそこまで立派に育てようと思えば、の話である。キノコ類自体は、種類によるが育てようと思えば一般家庭でも気楽に栽培できるし、何なら栽培キットなんかも売っている。けれどそれで出来上がるキノコはあくまで個人で楽しむものでしかない。ジェイドの持っているキノコは充分、値が付く物に見える。
そう言えばたまに食堂のキノコ料理のグレードが上がるときがあるんだよなぁ、とこういう事だったのかと納得した。

「凄くおいしそう。……ねぇ、ちょっと分けてくれない?」

キノコのリゾット、本当に美味しいんだよなぁと思っていたら無意識にそんな言葉が出ていた。言ってしまった後に、マズいとジェイドの顔を見れば、意外にもきょとんと驚いたようなあどけない顔をしていた。噂に聞くような悪どさとはまるで遠いところにある顔に思う。

「このキノコをですか? ……そう言えば貴女はなぜここに? 普段ここに人はいないと思っていたのですが」
「私、調理研究会のただ一人の部員なの。名簿上はもっと部員いるんだけど。ここの教室は調理研究会の活動場所として使ってて……今日はいつもなら休みの日なんだけど、でも時間あるから活動しようかな、と思って」
「あぁなるほど。そういう事でしたか。いいですよ、キノコ差し上げます。ただし、」

両手で抱えていたカゴを片手に持ち直して、開いていた窓枠に手をかけて一瞬で飛び越えて調理室に入ってきた。あまり活動的に体を動かすイメージはなかったから、そんなに軽々と窓枠を飛び越えてくる姿を純粋に珍しいと思った。カゴを片手で抱えたまま、まるで騎士や軍人の敬礼のように胸に手を当てている。

「作った料理、僕にも食べさせてください」

オクタヴィネルの寮生、特に寮長周りは慈悲の心だとか言いながらもその慈悲に正当な対価を求める。だから勿論、私もキノコを貰うに当たり何かしらは払わなくてはならないと考えていた。出来ることなら部費で賄えるものがいいなぁ、と思っていたのだが、提示された条件はただ「作った料理を食べさせろ」である。正直に言って拍子抜けした。
けれど悪い条件じゃない。作る分が多くなっても問題ないし、私自身料理の腕にそれなりの自信はある。味の好みとか言われるとそれは知った事ではないが。
だからそれを了承して、差し出されたカゴからキノコを選んだ。選ぶ際、上からジェイドがこのキノコはあぁでこうで、とキノコについて語られていたが、そのほとんどを適当に聞き流した。キノコにしては色彩豊かなものが多かったのだけど、全て食べられるという部分だけはしっかり聞こえていたし、何度か確認もした。どれだけ貰っていいのか聞けば、お好きにどうぞと返ってきたので遠慮なく頂くことにした。どうせ対価は全て料理にして還元すればいいのだし。

沢山あったキノコを余すことなく使ってみるか、と張り切って本当に色々な料理を作った。5品目に手を付けたところで、流石に作りすぎじゃないかとジェイドの顔を見れば、どこか嬉しそうにきらきらとした笑顔でこっちを見ている。作りすぎてるのではないかと聞けば、「問題ありません。食べられます」と断言されたので、料理に戻る。キノコのパスタ、煮物、炊き込みご飯、キノコのあんかけ、肉詰めキノコ……冷めるから食べていいよと言えばジェイドはいそいそと席について食べ始めた。ひと段落して私も食べようかな、と思った頃にはあんなに沢山作った料理も恐らく私の分として分けられたのであろう分を残してほぼジェイドの胃袋に収まっていた。思わず「マジで?」と声に出た。それはもう美味しそうに頬を膨らませてまるでリスの様に食べる長身の男を可愛いだなんて思う日が来るとは思わなかった。あんなにニコニコとして輝かしい笑顔なんて見た事無い。目が眩むかと思った。一応味の好みについて心配はしていたのだけど、概ね問題なさそうで安心した。これなら対価として満足いただけただろうと。

「おいしい?」
「えぇとても! ふふ、こんなにたくさんのキノコ料理を作っていただけるなんて思っていませんでした。どうです? モストロ・ラウンジのキッチンでバイトしませんか?」
「喜んでいただけたようで何より。私は自分の好きなものを作りたいから厨房係は向いてないかなぁ……」
「ふふ、残念です。けれど、そうですね。こんなに美味しい料理をその辺の見知らぬ小魚さんに食べさせるのは勿体ないですね」

残念といいつつ、でもその口調は何一つ残念と思っていないようだった。

「そんなに褒められるとは……」
「本当に美味しいです。もうずっと貴女の料理だけ食べていたいくらい」
「えぇ? 専属の料理人とか? 別に将来調理師になる予定はないしなぁ」
「いいえ、そうではなく。あぁそうだ、『貴女の味噌汁を毎日飲みたい』です」
「? 何それ?」
「監督生さんがこの間話しているのを聞いたのですが、故郷ではプロポーズの言葉として有名だそうですよ」
「あぁあのオンボロ寮の……。へぇそんなプロポーズを。……プロポーズ?」

ふふふふふ、と可笑しそうに笑っているジェイドにプロポーズの言葉を口にしたとは思えなくて、あぁ冗談か、と肩の力を抜いた。

「勿論、冗談ではありませんよ。僕、すっかり胃袋を掴まれてしまいました。もう貴女の作るご飯以外美味しいと思えません」

それ以来、ジェイドが作ったキノコの持ち込みと足繁く調理室に通ってくるジェイドに口説かれるようになった。その内に教室や寮に迎えにまで来られるようになり、学園内では付き合っていると公然の認識になっていた。何でもオクタヴィネル寮寮長とジェイドの双子の片割れがそんな噂を流しまくっているらしい。
何せ彼らは、私がジェイドのキノコ消費をしている事についていたく感謝しているらしく、先日菓子折りを持ってお礼に来たくらいだ。そしてそのままジェイドの面倒を見てほしいと内心思っているようだ。そんな思惑がスケスケだった。だから外堀から埋めちゃえ、ととても精力的に噂を流し続けているらしい。発信力のある彼らと、一般人の私ではもう土俵が違うのでされるがままだ。相手が相手なので、誰も私に噂の真相を確かめに来ない。聞いてくれれば違うと言えるのに。
もうジェイドは完全に私を恋人かなんかのように扱うし、大分詰み。
作る料理を美味しい美味しいと言われて悪い気は全くしない、というか凄く嬉しい。だからジェイドを拒絶できないでいる。
もっとも、次は何の料理を食べさせようかな、とジェイドの好みなんかを踏まえて考えている辺り、おそらく私に彼の好意を断る選択肢はないのだが。