2.crescent-三日月-




新月から三日目の月を三日月という。そして三日月には満月に劣らない程様々な呼び名がある。それだけ人々にとって身近な形の月ということなんだろう。
真夜中の唯一の光源と言っても良いほど、明るい月を頼りに散歩する。あまり夜中に出歩くなと苦言を呈されるが、どうにも眠れない時がある。私にとってそれは、三日月が出ている日が多かった。ぷらぷらと何処か目的地があるわけでもないから適当に学園内を歩く。たまに生徒を見掛ける。中庭で何かの特訓をしているイグニハイド寮長とか。もちろん話しかけたりはしない。
そう言えば、夜中にだけ咲く花が植物園にあると小耳にはさんだ。明るい月に照らされたその花はとても幻想的だとか。ただ触れるだけでもかぶれるほど強い毒性があるから、生徒の手が届きにくい所で管理されているそうだ。とは言っても、別に鍵がかかっているなどの制限はない。基本的に学内の施設は自己責任で自由に解放されている。少し見に行くだけなら特に準備をしなくてもいいだろう、と目的地を植物園に定めた。行く当てのない散歩も楽しいけど、目的のある散歩も中々わくわくする。
案の定、植物園に鍵は掛かっていなかった。中は暗いので、マジカルペンで光魔法を発動させて懐中電灯の代わりにした。そういえば噂の夜行花はどこにあるのだろう。あるという事だけ聞いていたから場所などは知らない。それなりに広い植物園を当てもなく歩くのは避けたいところだ。

「女性がこんな時間に出歩くなんて、感心できませんよ」

ふいに後ろから話しかけられて肩が跳ねた。

「リ、リーチ君」
「ジェイド、とお呼びくださいと何度も申し上げているでしょう? リーチと呼ばれますと、フロイドか僕か分かりませんし」
「う、うん……。その、ジェイド君はどうしてここに?」
「僕は育てているきのこの様子を見に来たんです。貴女こそ、こんな夜更けに何故ここに?」

私はどうもこの男が苦手だった。人当たりの良い笑顔で対応しつつ、でも決して自分の懐に踏み入らせようとしない。踏み入りたい訳じゃないけど、あからさまに一線引かれるとこちらも警戒してしまう。そのくせ、しょっちゅう話しかけにやってくるので、何を考えているのか読めない。

「夜行花……あぁ月の涙ですか。それでしたら今日は見れませんよ」
「え?」
「今日は三日月でしょう? 光源が足りません。満月じゃないと咲きませんから」
「そう……残念」

満月となると来月まで待たないといけない。来月になればもう夜は肌寒い季節だから、夜の散歩に出るのは難しいだろう。もう今日も寮に戻ってしまおうか、と思ったところだった。

「夜行花とまではいきませんが、今でも見られる夜に輝く植物を知っています。せっかくここまでいらしたのですし、見て行きませんか?」
「夜に輝く……」
「えぇ、何とも不思議な植物ですよね。ですが夜行花より安全に見られますよ。どうでしょう?」
「そうだね……」

断ってしまおう、と口を開いた時、ごく自然に手を取られた。まるでエスコートでもされるかのように手を引かれる。

「さぁ、こちらです。暗いですから足元にお気を付けてくださいね」
「ちょ、ちょっと」

離してほしい、と手を引いても全く動かない。こうなったら大人しくついて行くしかないかと諦めた。

「あちらです」
「……キノコ?」
「えぇ。昼に集めた光で発光するんです。中々色鮮やかでしょう?」

示された先は、赤、青、緑など確かに色とりどりに発光しているキノコの群生地があった。

「中々この植物園に定着させるのに苦労したんですが……何とかここまで育ってくれました」
「え。これ……ジェイド君が育てたの?」
「はい」
「凄い……」
「ふふっ、こうして褒めて頂くのは初めてですね。とても嬉しいです」

ニコニコと機嫌良さそうに笑いながら、キノコについて詳しい説明をしてくれた。

「最初はテラリウムに植えて部屋に飾っていたのですが、フロイドに眩しいからやめろと言われまして……」
「へぇ……」
「このキノコは炒めるととてもおいしいんですよ」
「食べれるんだ……」

何がそんなに嬉しいのかますます笑みを深めて、弾んだような声で次々と話している。あまり興味はなかったけど、知らないことを知るというのは存外悪くない。それなりに真面目に話を聞いていた。
時間を全く見ていなくて、肌寒さを感じ無意識に腕をさすってたのをジェイド君が見たらしく、キノコの話が止まった。大分長い事話していただろう。

「僕としたことが……。失礼しました。これ以上は体を冷やしてしまいますね」

さらっと、まるでそうするのが当たり前だというように、ジェイド君が着ていた制服のブレザーを肩にかけられた。「送りますよ」とそのまま肩を押される。遠慮しようにもガッチリ肩を掴まれている。彼相手にあまり施しを受けたくはないのだけど、向こうが勝手にやっていることに対価を求められることもないだろう、と素直に好意だと思って受け入れることにした。
次の週、寮まで迎えに来られて植物園に連れて行かれた。これを皮切りに週一でジェイド君と夜の植物園に連れ出されるようになった。温かい紅茶をジェイド君が持参までして、夜明け近くまで過ごすのだ。
なんやかんやで、その時間が悪くはないと思っている。