1.twsted-ねじれた-





『私』はただ、好きな人に振り向いてもらいたかっただけのはずだった。それなのに、口から出てくる言葉は大好きな『彼』を傷つけんとばかりにあふれ出てくる毒ばかり。そんなつもりはなかったのだ、と思ったところで結局何も変わらない。こんなことをしたって彼が振り向いてくれないことは分かりきっているのにやめられない。ただ一人空回り続けている。
初めて彼――ジェイド・リーチを見た時、何故か目を惹きつけられた。入学当初から何かと良くない意味で噂に上がってくる彼の片割れと共に、関わると碌なことがないと影で言われ続けているにも関わらず、本人は全く気にする素振りもなくいつも一人で佇んで居た。別クラスの双子が時々遊びに来ると楽しそうに笑う顔を見て、どうしてもあの顔を私に向けて欲しい、とどうしようもなく思ったのを覚えている。
ずっと遠くから眺めているだけだった。一人で机に座って何かを読んでいる姿を見るだけ。きっと彼の視界にすら入っていないだろう。そんな日々を何日も過ごして、せめて何の本を読んでいるのかだけでも聞いてみよう、と話しかける意を決してジェイドの座っている席に近づいた。「ごきげんよう。どんな本を読んでいるの?」そうあくまでもお淑やかに話しかけようとシュミレーションもした。するとジェイドはこちらの気配を察知したかのように顔を上げて、私の方を振り向いたのだ。予想よりも随分早く目が合ってしまい、動転した私は完全に頭がのぼせ上って、言おうとしていた言葉が全てすっ飛んでいった。

「何その本、きのこ? 子供向けの図鑑じゃない。信じられない」

頭が真っ白になった私の口から飛び出したのは、エレメンタリースクールに通う子供でも分かる程に酷い言葉だった。まるで嘲笑うかのように聞こえただろうその声は、緊張で裏返ったためだと誰も思わないだろう。
それに加えて、『私』の見目も良くなかった。
暗闇を思わせる漆黒の長い髪に、葡萄色の瞳は物語に出てくる悪い魔女を想起させるだろう。プラスして、自分に似合うと思って学生の身ながらしっかりと化粧をし、極めつけには瞳に合わせた赤紫の口紅を付けていた。間違いなく似合っていたし、自身の所属する寮の美に厳しい寮長にすら褒められたのだが、その唇の色のせいで高慢で傲慢な物言いに見事マッチングしてしまったのだ。
『私』――は元来、大人しい性質で礼節を弁えた行動を取れる、いわば淑女であった。見た目こそ物語に出てくるような悪い魔女の様な出で立ちであるが、「人は見かけによらない」とはまさにこの事だと近所でも評判だった。友人も多く、輪の中心になることだって多々あったくらいだ。だからそれまでそんな事を言うような性格でもなければ物言いでもなかったのに、一気に高慢な女だという印象を教室内の生徒に印象付けてしまったことだろう。教室の生徒と言わず、目の前のジェイドもきっとそう思ったに違いなかった。
私の放った言葉が聞こえていたのか、教室内は静まり返ってこちらの様子を伺っている様だった。ひそひそと「あの子終わったな……」なんて、この時は同情の言葉もあったのだ。
けれどジェイドは、読んでいた本を閉じて席を立ち、困ったような笑顔でもって「そうですか」とだけ言って教室から出て行った。自分の言ったことが信じられなくて未だショックから抜けきれていない『私』をその場に放置して。目もくれなかった。
いいや、私がショックを受けて立ち尽くし傷ついたと思うのは間違いなのだ。そんな事は分かっていたのに、まるで「全く興味ありません」とばかりの対応をされた事の方がショックだった。とても酷い事を言った自覚はあった。けれどジェイドは歯牙にもかけず、どうでもいいと言わんばかりにいなくなったのだ。爪先が白くなるほど拳を握った。手のひらに爪が刺さって痛いはずなのにそれを感じない。私の言葉は彼を傷つけなかった。傷つけたかったわけじゃない。そうじゃないのに、なぜか私は、それがとても悔しかったのだ。それからというもの、『私』は素直に話せなくなった。それなりにいた友人達でさえ付き合いをやめて離れていくほど、『私』は酷く毒にまみれ転げ落ちていった。
何度となく彼に話しかけにいってもおざなりな言葉と社交辞令、貼り付けた笑顔であしらわれる。その度に酷く私の心は傷ついた。初めに彼を傷つけるような仕打ちをしたのは私なのに、そんな事はすっかり忘れ去って、私が傷つけられた以上に彼を傷つかせてやろう、だなんて16歳の学生がやる事じゃない。まるで幼子の我儘だ。まるで、じゃない。まんま我儘だった。
何とかして彼の貼り付けた笑顔以外の顔が見たいと意地になって、馬鹿の一つ覚えみたいに毒を吐きだしぶつけていった。彼の飛行術の成績が悪い事を知れば、それを嘲笑うかのように扱き下ろしたし、何か覚束ない動作が見えた時に、それが彼が人魚だったことに由来するのだと知ればすぐにそれを挙げ連ねて馬鹿にした。
沢山沢山酷い事を言ったけれど、それでも彼の双子の片割れが彼より上手く飛べることや身体能力が高い事等と比べて貶したり、彼の幼馴染であるオクタヴィネル寮寮長のカリスマ性などと比べて扱き下ろすことは出来なかった。毒を吐いてばかりだけど、彼を好きな気持ちは変わりなかったから、別の男と比べるなんてとても出来なかったし、したくなかった。
自身の所属する寮の寮長に「あの男に入れ込むのはやめなさい」とか「碌なことにならないわよ」だの何度も忠告をされたが、それすらも無視して突き進んだ。
ジェイドが「関わるとヤバイ」と認識されているような男だったから、周りが近寄ってこなかったのも一役買っていたように思う。とても見目のいい男だから、密かに女子生徒に人気があった。けれど毒を吐く私への対応とは違って紳士然と接せられているのを見てどうしようもなく嫉妬する私が(資格もないのに)そんな女子生徒たちを威嚇して遠ざけていけば、自然と誰も寄らなくなった。それに比例して随分と私は嫌われたけど、どうでもよかった。
彼の傍にいられるのは私だけ、傍に居るのは私しかいないのだからいつかきっと私を見てくれる。だってジェイドは私を遠ざけようと直接的な対応はしないもの、と思い上がって。そんなわけないのに、ずっとそんな事を考えて毒を吐き続けて一年経った。
異世界から魔力を持たない生徒が入学することになった。使われていないオンボロ寮の監督生となった彼女を双子の片割れと一緒になって追いかけている姿を見て、愕然とした。もう私に振り向いてもらえることなどないのだと、分かりきっていた事実を今更突きつけられた気がした。
結局何も変わらなかった。いいや、変えられるはずもない。ただひたすらずっと彼を傷つけようと毒を吐いていただけなのだから。
だから、最後に悪あがきをしようと思った。無かったことにされて存在を消されるのは嫌だった。彼の心に残れないよりはずっとマシだから、憎まれようと思った。心の奥底で「おいで」と手を招く地獄が見える。転がり落ちていく先にジェイドはいない。
彼の所属する寮で運営しているモストロ・ラウンジに通って、ずっと彼に張り付いて。営業妨害だろうことはわかっていてわざと繰り返した。給仕の仕事をしていない時は事務室で書類作業する彼の元に押しかけて、毒を吐く。私は完全に周りから白い目で見られていただろう。けれどそんな事はどうでもよかった。形振り構っていられなかったのだ。寮長の忠告を素直に受け入れていればよかったのかと思う時もあるけど、でも結局私はこの道を行くしかなかったように思う。
なんて愚かなんだろう。自分自身の毒にまみれて、自身まで毒に侵されているというのに、そのまま毒に浸り続けることを喜んだ。本当は好きで好きで仕方がないだなんて、言ったところで誰も信じやしないだろう。最後まで救いようがない。我が寮は『毒』に対してある種のプロフェッショナルだ。なんといっても、寮長の条件の一つに「誰よりも毒が上手く作れる」があるくらいだから。私はポムフィオーレ寮生として失格だろう。何せ自分の毒に侵されて、自力じゃ抜け出せなくなっている。
分かってる。分かっているのに、どうにもならない。
私ね、ジェイドの事が好きよ。好きなのに、もう自分から吐きだされる毒を解毒できないの。