超完璧彼氏と別れたい EX03






大きな黒い冷蔵庫を開ける。
一緒に暮らすことになった時にジェイドは揃える家具家電について「の好きなものにしましょう」と穏やかに(見える)笑顔で言っていたが、冷蔵庫だけは「大きくてたくさん入るものがいいです」と言うので、二人暮らしだというのにめちゃくちゃ大きい冷蔵庫を買った。同棲開始初日に馬鹿みたいに食料を買ってご機嫌に冷蔵庫に詰めていたジェイドを今でも鮮明に思い出せる。今まで一度も冷蔵庫の中の食品をダメにしたことがない。ジェイドの管理能力を日々実感している。
見た目のわりによく食べるジェイドの腹を満足させようとすると、食事の量や品数を増やすよりは間食の回数を増やした方が効率的だから、といつも何かしらの軽食を作っている。学生時代から飲食店で働いていたジェイドは勿論料理の腕前もしっかりしている。自分で色々作っていたそうだが、忙しい学生の身だし購買で菓子パンやらを買う事も多かったそうだ。なのに今、私が朝早くから起きてジェイドにお弁当やらホットサンドだとかを作って持たせているのだ。同棲始めたばかりの頃にゲームで負けた時に「僕にお弁当を作ってください」と言われて以来ずっと作っている。期限を設定しなかったせいだ。家を選ぶときに、私が「このキッチン使いやすそうだね」と言ってしまったから私が料理する機会の方が多いのも、今思えばジェイドが仕組んだのではないか、なんて考えすぎだろうか。私にとって使いやすいということは、ジェイドにとっては作業するに当たって少々低いことになる。腰をかがめてたまに戸棚に頭をぶつけるジェイドを度々見かけて、私がなるべくキッチンに立とう、と思わざるを得なかったのだ。
料理に関して言えば、私の腕前は可もなく不可もなく、といったところだと思いたい。とんでもなく美味しいものを作るときもあれば、しょっぱすぎるものを作るときもある。レシピサイト様様、めちゃくちゃ頼りまくっている。ちょっと検索するだけでお手軽で美味しいご飯が作れるのだから重宝しないわけがない。ジェイドはいつも「とても美味しいです」と言ってはくれるが、同じものでも私より断然ジェイドが作ったものの方が美味しいのは分かりきっているから、そう言われて嬉しくないわけじゃないがいまいち信用できない。
明日、ジェイドが誕生日を迎える。
当日は双子の兄弟と一緒に誕生日パーティーをするのだとか。私はどうしても外せない仕事が入ったので、どんなにジェイドにネチネチ言われようが拗ねられ続けようが明日は一緒に祝えない。その代わりと言っては何だが、前日にジェイドの好きなものばかり食卓に並べてあげよう、というわけだ。ジェイドからの要望で、すでに冷蔵庫の真ん中の段には昼間に作ったホールケーキが鎮座している。わざわざ今日は有休を取って一日中キッチンに立っていたのだ。そうして有休を取ったことを言えば、「どうして5日に取ってくださらなかったんですか」「もう少し早く言ってください。そうしたら僕も休みを取ったのに」に始まり「今日は仕事休みます」と出勤時間になっても動かなくなる始末。いいから仕事に行けと動かない背中を押して(全然びくともしなかった)、最終的にはアズール君に電話をかけてようやく渋々と家を出て行った。ドアが閉まるその瞬間まで「後ろ髪が引かれまくっています」と言わんばかりの拗ね切った顔をしていた。きっとそうなるだろうと、持たせたお弁当はハート型に整えたおかずで埋め尽くした。するとお昼にはとてもご機嫌な様子で「今日は早く帰りますね」と電話してきたので、そこそこ機嫌は回復したのだと信じたい。わざわざおかずをハート型にするという手間はもう二度とやらない。
時計を見ればまもなく16時といったところ。何時に帰ってくる気なのか知らないけど、そろそろ揚げ物に着手しようと思い油を溜めたフライパンをコンロに掛けた。学生の頃は母が揚げ物用の鍋にたっぷりの油を入れていたからそうするものだと思っていたけど、例えばレシピ動画を見ても少し深めのフライパンに少しの油で普通に揚げ物やっているから「あ、これでいいのか」と世界が広がってからはそのようにしている。これなら油の処理もそこまで面倒でもないし楽だし。やはり自炊を続けるコツは効率化なのだと声を大にして言いたい。
フライパンに油を注いで火にかけ、肉に衣をつけていた時にスマホから着信音が聞こえた。何てタイミングが悪いんだ、とテーブルに置いてあったスマホの画面を覗けば『ジェイド・リーチ』と出てる。早く帰るだとか言ってたけど何か急な仕事でも舞い込んだかな、と思って手を洗いスマホを手に取った。画面をスライドさせる。

「どうしたの?」
「これから帰ります」
「え、もう?」

さっき時計を見たばかりだったけどもう一度見てしまった。長針はまだ12に達していない。

「まだ16時前なんだけど」
「早く帰ると言ったじゃありませんか。……ふふ、アズールが珍しく仕事を最低限だけで終わりにしたんです。15時には片付けに入ってました」
「へぇそうなの。これから私、油調理始めるから電話切るね。あ、そうだ。どうせならスーパー寄ってきてよ」
「構いませんけど、何か足りない物でもありましたか?」
「今日でいろいろ使いきっちゃって。卵とじゃがいもとエリンギ買ってきて。あ、パスタももうないかも」
「分かりました。急いで買って帰ります」

その言葉を聞いて電話を切った。油は既にパチパチ言っている。少し温度を上げすぎただろうか。いやでもまあ許容範囲内だと信じよう。衣をつけた肉をフライパンの中に入れて定期的に転がし続けて数十分、終わりが見えてきたところでまた電話が掛かってきた。ジェイドからだ。

「今度は何?」
「すみません、頼まれてたものを忘れてしまって。卵とじゃがいもと、何でしたっけ?」
「え?」

まさかそんなはずがない、と思ってしまったのは間違いなんだろうか。嫌味なくらい色々なことを覚えているジェイドが数十分前の会話で、しかもキノコについて忘れるなんてありえないだろう。

「エリンギだけど……もしかして話聞いてなかったの?」
「まさか! 貴女との会話を少しも逃さないよう常に神経を集中させていますよ」
「……あっそう。じゃあとりあえずエリンギね、エリンギ。よろしく」
「まだ揚げ物をやっているんですか?」
「え? いや、もう終わるけど。でもまだやることあるから切るからね」

もしかして柄にもなく疲れているんだろうか、と少し心配になってしまった。そんなたまじゃないと良く知っていると思っていたのに。もし疲れているなら先にお風呂入りたいだろうか。帰ってくる時間も早くなりそうだし、それならご飯をすぐ食べはしないだろう。それならお湯を用意しておくか、と昼間に磨き上げたばかりの浴槽にお湯を張った。濡れた手をタオルで拭いていると、また電話が鳴った。またもやジェイドからである。

「一体何なの?」
「エリンギなんですけど、一個パックのものですか? それとも2〜3個入ったものでしょうか?」
「はぁ? いつも3個パックのやつ買ってるじゃない」
「あぁそうでした。すみません、うっかり忘れていました」

電話越しに聞こえる声は、言葉と裏腹に全く申し訳なさそうに聞こえない。あぁわざとやってるな、と気付いたが何故そんな事をするのか分からない。

「そんなに忘れっぽくなったんならメモでも取ったら? 私忙しいから切るよ」
「あ、待ってください。スピーカーにすればハンズフリーで通話できるでしょう?」
「何をそんなにしてまで話す事があるの」
「朝から貴女はキッチンに籠って全然僕と話してくださらなかったじゃないですか。もっと僕に時間を割いてもいいでしょう?」

拗ねているかのように聞こえるけれど、どうせ電話の向こうでは半笑いしているんだろう。眉を愉快そうに寄せてギザギザの歯を覗かせて。もう何度も見てきているから容易に想像が出来る。誕生日にかこつけて私に色々要求してやろうと思っているんだろう。不本意ながら何年もジェイドの誕生日を一緒に重ねてきた身として、この予想が外れていないことは疑いようもない。

「何を言ってんの……。あー……ジェイドはそう言うけど今日は朝からずっとジェイドの事考えてたよ」
「本当ですか?」
「勿論もちろん。ジェイドのこと考えてジェイドの好きなご飯を考えてジェイドの為にたくさん作ってるから。ケーキも焼いたし。だから早く電話切ってさっさと買い物終わらせて帰ってきたら? あ、パスタも忘れないで買ってきてよ」
「あ、待ってください。じゃがいもの種類は」
「いつも買ってるヤツ!!」

無駄に会話を長引かせようとしているのかよく分からない絡み方をしてくるジェイドに面倒になって電話を切って電源を落とした。何がじゃがいもの種類だ。次は卵が何個パックのものか聞いてくるつもりだったに違いない。はぁ、とため息をついた。そろそろお風呂のお湯が溢れてしまうかもしれない。時計を見ればそれなりに時間が経っていた。お湯を止めてから洗い物をしよう、とお風呂場に向かっていると玄関の鍵が開く音がした。え、と玄関に向かえば「ただいま帰りました」とエコバック片手に微笑んでいるジェイドがいた。つい数分前に電話を切ったばかりでその時にスーパーにいたなら到底帰りつける時間じゃない。

「早く帰ってきて、なんて言われましたので頑張って早く帰ってきました」

語尾にハートでもつけてんのかというくらい上機嫌そうに笑っているジェイドを見て確信した。さっきまでの電話、やっぱり全部わざとだったなと。まぁいつものことかとも思ったので何も言わないことにした。

「おかえり。ご飯ももうすぐできるし、その前にお風呂に入ってもいいよ」
「……他には?」

どうする? と聞けば何かを期待するようにこちらを見るジェイドに首を傾げた。

「僕誕生日なんですけど、プレゼントとかありませんか?」

ちらっと寝室の方を見たジェイドにようやく思い当たった。誕生日ムーヴをかましてくるけど、誕生日は明日だ。それにいつもいつも「プレゼントは私」みたいなことを好んで要求してくるけど、別に記念日だとかじゃなくても手に入ってるものをわざわざ記念日にかこつけて欲しがるなんて、ジェイドも結構ロマンティストだ。人魚はロマンティストなんですよ、なんて言っていたのはジェイドだったかアズール君だったか。

「明日ね」
「約束ですよ。ちゃんと日付が変わった瞬間にお願いしますね」