主役-diva-






海に留まらず陸にもその名を轟かせる歌姫となった人魚は、その尾ひれの持つ色彩が一際目を引いた。
しかし、そんな輝かしいばかりの彼女は出身である珊瑚の海では、非常に目立たない地味な人魚だった。
真紅に燃え盛る炎を想起させるその尾ひれは、光の届かない深海においては保護色となり、彼女の存在を隠す。
地味で目立たない彼女は、その見た目通り引っ込み思案な性格で、決して人前に立って……ましてや歌を披露するだなんて考えらない事だった。
そんな彼女がわざわざ歌を歌う理由。それはたった一人の人魚を退屈させない為だというのは、勿論彼女しか知らない。

深い海の底では陸ほど色彩鮮やかに映らない。光が届かないからだ。陸で見れば極彩色の魚たちも、深海では保護色だからそのような色をしている。そこで生きていく深海魚たちの殆どは、視力を捨て聴力によって生存の道を見出したものが多い。
人魚は、魚類よりも弱点を多く克服した存在であるからして、海の生態系の頂点に立つようになった。人間と同じように文明を持ち、言葉を解し、娯楽を嗜む。進化した存在ともいえるだろう。
文明を持った人魚に特に人気の娯楽が「音楽」であった。どこのスクールでも演奏会は頻繁に行われるし、ステータスの一つに「歌が上手い」が必ず入る程の熱の入れようだ。声に魔力を乗せ、人魚に限らず人間をも魅了した者もいたそうだ。
人魚は人間が想定するより数がいない。だから一度同じスクールであれば大体ずっと一緒になる。だから彼女も、彼とはずっと一緒であった。親から「関わり合いを持つな」と口を酸っぱくして言われ続けていたから、自分から進んで話しかけにいくこともしなかった。それに、彼女自身、自分の様な地味な人魚が彼の視界に入れるとも思っていなかった。

彼――フロイド・リーチは、彼女にとって目が眩むほどの存在だ。一種の憧れとも言えるかもしれない。性格的にも、黙っていいれば一生関わり合いになる事のない部類の存在だろう。
過去に一度だけ、遠い存在である彼の目に留まったことがあった。
飽き性で有名な彼は、スクールで開催される演奏会を相当嫌っていたのはよく知られていたと思う。時期が近付くにつれて機嫌が悪くなっていくその姿が顕著であったからだ。聞いた話だと、似たような曲ばかり退屈だったのだとか。人魚は新しい曲を覚えるより、一つの曲を極める傾向にあるから、それが当たり前だと思っていた。やはり感性が違うのだな、と感心した記憶がある。
その日彼女はスクールの教師から「声が小さい」と指導を受け、一人音楽室に残り歌い続けるよう言い渡された。この頃彼女にとって歌は苦痛でしかなかった。ただ自分の惨めさを実感するだけの罰だとすら思っていた。

「めっちゃキレイな声してんじゃん。もったいないねー」

誰も残っていないとばかり思っていたから、声がしたことに驚いたし、何よりその内容に衝撃を受けた。小さくてか細い声で嫌々歌っていたから、まさかそんな事を言われるとは尾ひれの先ほども思っていなかったのだ。

「ぇっ……」
「つまんねー演奏会だけど、カサゴちゃんがメインで歌うんだったら退屈しなさそう」

フロイドのどんな琴線に触れたのか全く分からない。彼がこんなにも褒めるところを彼女は見たことがなかった。これまで縁のない人種だからと遠ざけていた彼を、意識しだすには十分な切っ掛けだったと思っている。
自分の友人でもない人魚に手放しで褒められた事は、ある種の自信につながった。目先に控えている演奏会に間に合うことは無かったが、彼女は努力した。努力を続け、歌を磨き、ついに演奏会における主役を勝ち取った。
演奏会で一番上手く歌えるミンネを歌った。席にフロイドがいるかは確認できなかった。初の大舞台で緊張していたからだ。誇り高き騎士の精神を歌いあげながら、フロイドは喜んでくれるだろうか、と考えることは声に感情を乗せるには適していたのかもしれない。おかげで彼女の歌の評判は瞬く間に広がった。友人が増え、自分の周りに集まる人魚が増えた。
けれど一度も、彼女はフロイドに相まみえることは出来ないでいた。飽き性であることを考えると、もう自分の事を覚えていないかもしれない。何せ声を掛けてくれた時から時間が経ってしまっていたから。
それでも彼女は歌い続けた。あの時フロイドから出た言葉は紛れもない本心だと信じている。忘れられていたとしても、また私の歌を聞いて貰えたら、彼は喜んでくれるかもしれない。そう思うとやめられるはずもなかった。
この気持ちを何というのか、彼女はまだ知らない。
退屈だと言っていた彼の、歌に興味を持ってくれた時の彼の笑顔を思い出すと胸が満たされる。それだけで十分だと思っていた。

聞いてくれているかもわからない彼の為に、今日も彼女は歌い続けるのだ。