たんぽぽ-dandelion-





コーヒーを飲むようになったのは、よく眠れないのだとぼやいた時に、祖父が庭に咲いていたたんぽぽを持ってきて「これを飲めば眠れる」と言ってきてからだ。コーヒー豆を使っていないのにコーヒーだと言って出されたそれを嫌々飲み、土と草の味しかしないと辟易したけれど、不思議とあっさり眠りにつけた。後々調べてみると、ノンカフェインなので不眠症患者が飲めると書いてあるのを見た。別に不眠に聞くとかではなかった。味は良くなかったけど、祖父の気遣いが嬉しくて良い思い出になっている。コーヒー豆を使用しているコーヒーは当然カフェインを含んでいるので、寝る前に飲むのに適してはいない。初めて飲んだコーヒーの苦さに、結局コーヒーって不味いのかと思ったくらいだ。けれどどうしても祖父との思い出を綺麗なものにしたくて、コーヒーに砂糖やミルクを大量に入れてミルク(コーヒー風味)にしてまで飲んだ。意地だった。この体たらくで私はそれでもコーヒー党を名乗っているのだから、自分でも笑えてしまう。

「紅茶をいかがですか?」

特に何の用事もない放課後、近いからという理由で中庭を通り抜けようとしたときに、ふいに声を掛けられた。呼ばれた方を向けば、中庭に用意されたティーセットとそこに立っているジェイド・リーチがいた。
これまでに彼と特に話したことは無かった。寮も違えば、クラスも違う。特に話す用事も無かったからだ。だからどうして突然声を掛けられたのか分からなかった。

「ごめんなさい、私、」
「コーヒーがお好き、なんでしょう? けれどたまには紅茶もいいではありませんか。コーヒー党だからといって紅茶を飲んではいけない、なんて決まりはないでしょう?」
「それは、もちろんそうだけど」
「それはよかった。どうぞお座りになってください。今日は試したい茶葉がいくつかあって、ぜひ意見を聞かせていただきたいと思っていたんです」

オクタヴィネル寮のジェイド・リーチといえば、あまり良い評判を聞かないけれど、それは彼らと契約を結びそれを守れない人たちに対してであって、現在契約者でも何でもない私に酷い対応をしてくるとも思えなかったので、大人しく促された椅子に座った。
にこやかに笑って紅茶を入れる横顔を見る。他に見るべきものもない。手持無沙汰なので、ジェイドを見るか紅茶が入れられていく様子を見るかしかない。
コーヒーに美味しい淹れ方があるように、紅茶にも美味しい淹れ方があるのだろう。ジェイドの手つきは慣れたもので、きっと形式に則った美味しい淹れ方をしているに違いない。時計を確認するジェイドはどこか楽しそうに見えた。
私は……せっかく淹れた美味しいコーヒーであろうが、砂糖とミルクをぶち込むので元の味なんて分かったものじゃない。間違っても人に出せる訳もない。ジェイドはきっとそれなりに自信があるのだろう。他人をいきなり呼び込んでも困らないくらいに。

「どうぞ」

出された紅茶は、すでにミルクが入っているようだった。

「ミルクティーです。もし必要でしたら砂糖はこちらに」
「ありがとう」

紅茶なんてほぼほぼ飲んだことがない。コーヒーみたいに苦いのだろうか。あぁでもミルクティーなら多少なりとも甘いのだろうか。

「……甘い」
「えぇ。だってあなた、甘党ですよね? いつも食堂で必ず甘いケーキを食後に食べていますし、コーヒーにだって砂糖とミルクを入れているでしょう」
「何で……そんな」
「ふふっ。これでもよく色々なことを見ている方なんですよ。特にあなたはよく視界に入ってきますし」

視線を合わせた先のジェイドの笑顔が輝いたように見えた。知られたくないことを知られているはずなのに、まずいとすら思っていない。

「そう。でも私が甘党だなんて知ったところで何もないでしょう?」
「そうでもありませんよ。実際、今あなた好みの紅茶を出せたでしょう?」

東から吹いた少し強い風に髪が舞い上がり、顔が隠れた。冷たかった風が今やもう随分穏やかになった。まもなく暖かい季節がやってくるのだろう。

「次はフルーツ系のフレーバーティーをお淹れします。きっとこの紅茶もあなたの口に合うかと思いますよ」

春風が吹いた日、これまでと違う新たな生活が始まりそうだと何となく思った。