欲望-greed-




仰向けで空を見上げたまま落ちていく。空じゃなくて海だけど、海水越しの空だ。昼間なのか明るく青く、きらきらしていて、それを見上げながら沈んでいく。不思議なくらい痛くも苦しくもない。息継ぎの必要がない。ただ明るい水の中を沈んでいくだけだ。
夢を見る。毎日毎日飽きもせず、同じ夢ばかり。同じところで始まって同じところで終わる。

「何かお困りごとがあるのではないですか?」

先日占星術の授業で占星術と心理学についてまとめたレポート提出するよう課題が出た。占星術も心理学も苦手だから、提出期限までまだ日にちはあるが早めに取り掛かろうと図書館で本を漁っていた。レポートでは出典を明らかにしなくてはいけないので、本を選ぶのも一苦労する。とくにこの学校の蔵書はとてつもなく、占星術や心理学に関する本だけでも途方もない量ある。こんな時に自身の要領の悪さを呪うが、すぐに改善されることはないので、意地で本に齧り付くしかない。
そうやって馬鹿みたいに本と向き合う中で、心理学における夢分析についての記述をたまたま見つけた。
夢占いだとか、見た夢は願望充足にあたるだとかいうこじ付けを気にしたことがなかったけれど、夢の目的は無意識による補償作用だという記述を見て、ふとここ最近見続ける夢を思い出したのだ。
海が身近にあったわけでもない。夏の度に海水浴に行くなんてこともないし、正直に言ってしまえば海に興味すらない。夢であんなにも具体的にイメージ出来るほど海の中について知識があるとは思ってなかったくらいだ。

「ここ最近のあなたはずっとその本に夢中で、僕が話しかけても上の空じゃありませんか」

私の見る夢を大雑把に言ってしまうと、綺麗な海の中に沈んでいく夢になるだろうか。これを眉唾物だと言っていた夢占いに当てはめると、運気が絶好調だという記述もあれば、悩みごとから抜け出せないだとかいう記述もある。一体どっちなんだと悩ましくて放り出したくなる。放り出してしまえばいいはずなのに、そうしないのは、どこかであの繰り返し見る夢に何らかの意味があると思っているからなんだろう。

「別に、ジェイドに話すような悩みごとじゃない」
「そう言わずに。僕はいつでもあなたの力になりたいと思っているんですよ」

いつの間にか隣に座っていたジェイドに持っていた本を取り上げられた。「こんな古い本、何の助けにもなりませんよ」パラパラと軽く本を開いてすぐに閉じてしまった。いくらでも話させる方法はあるんだ、というように瞳をのぞき込まれた。わざわざジェイドに話したいとも思わないが、別に私の弱みになるような話でもないか、と諦めて繰り返し見る夢について話した。

「夢で海を見るんですか? どうせ見るなら本物の海はどうです。海に馴染みがないと以前仰っていましたよね。僕の故郷の珊瑚の海でよろしければ案内しますよ。もちろん、特別価格で」

あなたは僕の特別な人ですから、と歯を見せずに笑うジェイドを一瞥して、取り上げられた本の表紙を見やる。確かにこうしてみると日に焼けて色褪せて、随分年季の入った本だと分かる。なぜあの本を手に取ったのかいまいち思い出せない。
この男は何でもすぐ海への誘いに繋げてくるきらいがある。

「別に、海が見たいわけじゃないから」
「そうですか。けれどよく言うじゃありませんか。夢は無意識の現れ、あなたは口ではそう言って思っているのかもしれませんが、心の奥底では海に沈んでみたいと思っているのかもしれませんよ」
「まさか」
「有りえないことは無いでしょう。実際海の夢を見ているのですし。どうです? 僕と一緒であれば溺れる心配はありませんよ」
「……いつもいつも飽きずに海に誘ってくるけど、私を海に連れて行くメリットが何一つ浮かばないんだけど。あなたが何の思惑や打算も無しにただ誘ってくるだけとはあいにく思えないの」
「ふふふ、恐縮です」
「何が? 褒めたつもりないんだけど」

何処か機嫌が良さそうに笑うジェイドを訝しげに見るが、その視線すら可笑しいと言わんばかりにジェイドは笑い続けている。

「いえ、僕の事をよく理解されていらっしゃる、と思いまして。……そうですね、僕はあなたが僕の海に来てくださることを酷く渇望しているのです」
「はぁ?」
「ふふ。分からないでしょうね。何せあなたは……」

そこまで言いかけて、ジェイドは私の手を取って立ち上がった。コンパスの差を一切配慮されず、引きずられるように腕を引かれる。

「ちょっと!」
「海に行きましょう。あなたの夢の続きを作りに」