五条悟のストレス発散方法 2.5









 学生だった頃は朝きちんと起きて朝ご飯を食べて、という模範的な真面目生活をしていたのに、一体いつからこんなに朝起きるのが辛いと感じるようになったのだろう。
いや、そういうと語弊がある。
学生の頃から朝起きるのは辛かった。それでも決まった時間に起きて活動していたのだ。学校のない休みの日だって、昼過ぎまで寝ているなんてことはほぼ無かったはずだ。
それなのに、本当にどうして。いつから私はこんなにも自分に甘くなったのだろうか。今はもう、昼を過ぎないとベッドから出ない。朝ご飯を欠かさず食べていたことがちょっとした自慢だったのに、今や朝昼兼用ご飯が普通だ。何も食べずに出かけることさえある。
大学生になった時に実家を出て一人暮らしして、自分の好きに時間を使える生活に味を占めたのか。咎める人がいなくなったからずぶずぶに自分を甘やかし始めたのか。
立派かどうかはわからないが、自分が稼いだお金で生活し自立しているはずなのに、生活習慣はだらしなくなっていく一方だ。そう思っているのに。自分でもわかっているはずなのに。
寝ていたい。
別に誰が困るわけでもないじゃん、と自分を正当化させて、世界で一番安心すると言っても過言ではないマイベッドから出ることを拒否する。何なんだろうね、あのまどろんでいる時間に感じるベッドの心地良さって。
すっかり明るくなった外を閉じられたカーテン越しにも感じるが、今日は休み、何時まで寝ていようが問題ない。そうして寝て起きた時にはもう半日終わっていて、「私はせっかくの休みに何をしていたんだろう……」と虚無に襲われるのがもうルーティンと化している。そうして後悔すると分かっているのに、抗えない二度寝の魔力よ。無理無理。だって私MP足りてないもん。
馬鹿げた思考は入眠の合図だ。そのまま意識を落とそうとした時、玄関の鍵が開く音がした。私以外に鍵を持っているのは一人しかいない。
嘘でしょちょっと待ってよ。何に対して待ってほしいのか分からないけど思わずそんな言葉が浮かんだ。ぎゅ、とシーツを握りしめる。
つい最近、買い物に連れて行かれて大散財したばかりじゃないか。買い物終わった頃にはほくほく顔して満足げに疲れ切った私を無視してファッションショーさせてたじゃない。あんなどこで着るか予定もないドレスやアクセサリーを買って、文句を言った私に、「じゃあ着る機会があればいいわけだ」とか言ってドレスコード有りのレストラン連れて行かれて。めちゃくちゃ美味しかったわ。緊張で味分からないとか全然なかった。だって私、庶民のくせに何故かそういう店に行く機会が多いから、ちょっと慣れてきた。
いや、そうじゃない。慣れ始めたのは間違いなく、今鍵を開けて家に入ってきた男のせいだけど、今はあの時の美味しい料理を思い出している場合じゃない。また連れまわされたら堪ったもんじゃない。
合鍵を持つ唯一の人物。それは小中一緒だった幼馴染で、高校進学時に一度離れたのだが、大学在学中に街中で偶然再会した。そこからまた付き合いが始まったのだけど、この幼馴染、相当家が金持ちかつ、自身も相当稼いでいる。そして何故か、ストレスが溜まると私を連れまわして散財するという訳の分からない癖を持っているのだ。
経済回しているんだからいいじゃん、とはその幼馴染の言い分で、それなら自分のものを買えよと何度も伝えているのだが、「楽しくない」の一言で終わっている。彼にとってはただのストレス解消方法なので、自分が楽しくなければ意味が無いのだと言う。
その理屈は分からなくもない。買い物でストレスを発散するなんていう方法は一般的だし、それは楽しいからそうするのであって、楽しくないのならそれは発散方法にならないだろう。それに付き合わされている私のストレスは? と思わなくもないが。
家の中に入ってきた悟の足音に耳を澄ませる。リビングのカーテンが閉まっているから、私がまだ寝ている事はすぐ分かるだろう。あぁほら、カーテンを開ける音がした。
そのまま遠慮も無しに寝室のドアを開けて寝ている私を叩き起こす様に布団を剥ぎ取る、というのがストレス発散買い物行脚始まりの合図だ。
枕を抱え込んだ。だってまだ寝ていたい。
昨日はしなくてもいい残業をさせられたのだ。私の仕事はきちんと定時に帰れるように調整し終わるはずだったけど、終業間際になって突如飛び込んできた案件があった。普段ならそのまま明日に回すのだが、上司が気軽に「明日の朝までに」とか言って引き受けたものだから、部署の社員一同、残業決定である。そのくせ上司は後は任せたと言わんばかりに帰るし、おいおい責任者ぁ! と全員の殺意が高まった。殺意が高まろうが、上司の身勝手であろうが、既に相手先には納期が伝わってしまっている為、やるしかない。
そうして何とかかんとか退勤したのは定時から五時間後。しっかり残業代が出るとは言え、それで疲労が回復するわけでもない。日付が変わる前に帰れてよかったね、と自分を慰めてコンビニで弁当を買って早々に帰宅した。家に帰ってからご飯を作る気力も湧かなかった。
寝たのも三時過ぎで、とにかく私は今日の休みをゆっくり過ごす気満々だったのだ。
本当にお願いだから寝かせて。そうは思っても悟はストレスが溜まると発散するまで機嫌悪いし、機嫌の悪い悟に何を言っても無駄だから本当に諦めるしかない。期限が良くても大概人の話を聞かないけど。
祈る気持ちで目を閉じる。眠気は覚め始めていた。でもまだ寝られるはずだ。目を閉じて呼吸を深くすれば夢の世界に入れるに違いない。ベッドの中の温度もまだぬくい。
暫らく息をひそめて様子を伺うが、一向に寝室のドアが開かれる気配がしない。その内に扉の向こうから甘い匂いがし始めた。
多分悟がキッチンで何か作っている。
今日は機嫌が良い日らしい。
悟は機嫌が良いと食事を用意し、勝手にベッドに入りこんできて褒めてと言わんばかりに擦り寄ってくるが、私を無理やり起こそうとはしてこない。
良かった。今日はラッキーデーだ。
悟の作る食事は大概が甘いパンケーキだったりするが、人が用意してくれる食事に文句をつけるつもりは無いし、何より美味しい。自分で用意せず出てくる食事の何と有難いことか。身長一九〇オーバーの大男からサーブされるパンケーキは中々衝撃がある。昔はそうして料理をするようなイメージはなかったのに、いつの間にか大抵の家事は出来るようになってきて、何だか寂しく思うのはきっと私の我儘なんだろう。
いつの間にか肩に力が入っていたらしい。もう布団を剥ぎ取られる心配がなくなったから力を抜いた。自然と覚めたはずの眠気が戻ってくる。意識が白く遠くなっていく。
眠りに落ちる直前、寝室のドアがゆっくり開く音と、名前を呼ぶ声が聞こえたが目を開けることなくそのまま落ちた。
次に目が覚めた時、やっぱり悟がベッドに入りこんでしっかりと私を抱え込んでいたけれど、髪を撫でる悟の手がとても優しかったから危うくまた寝るところだった。流石にお腹減ったし、せっかく作ってくれたであろう食事を無駄にしたくなくて起き上がったけど。
悟の大きな手に撫でられるのは存外悪くないというか、安心するからどうせなら夜寝る時にもあればいいのになぁ、と思うけれど流石に恋人でもないただの幼馴染にそれは言えなくて最近困っている。恋人になってくれるよう頼んでみる、という選択肢は断られた時が怖いので今後も実行に移すことは出来なさそうだ。