五条悟のストレス発散方法 01







 寝ている時にインターホンが鳴って起こされるのがどうしても嫌だ。だから、と何故それを思いついてしまったのか分からないけれど、宅配ボックスを設置した時についでに鍵を渡してしまったが、やっぱり失敗だったろうか。けれど鍵を渡したからと言って頻繁に家に来ていい、とまで言った覚えはないから、やっぱりそれは悟の独自解釈だろう。
 休みの日くらい、好きな時間まで寝かせてほしいと思うのは間違いじゃないはずだ。「お前さぁ、いっつも寝てるよね」となんて呆れた様に言うが、そっちが私が休みの日にばっかり来るからだ。どうしてそんなにタイミングよく来られるのか、シフト制の私の勤務状況をまるで知っているかのようでちょっと恐ろしい。
 五条悟は幼馴染である。他に何という関係性で呼べばいいか分からないから人に聞かれた時はとりあえず幼馴染だと答えるようにしている。小中が一緒で、家の方向が同じだったからか悟が学校を休むとよく担任からプリントを渡す様に何度も頼まれていた。
五条家はとても大きなお屋敷で、クラスでも五条悟が所謂お坊ちゃんであることは知れ渡っていた。悟は幼い頃から家業の手伝いといって学校を欠席することが多く、その分プリント運搬係が必要だった。子供ながらにお綺麗な容姿も相まって非常にモテていたから、その係は家の方向がたとえ真逆だとしても大変に人気があった。それでもどうしてか担任は申し訳なそうにしつつも必ず私に頼んできていた。効率と防犯面について考えた結果、結局帰り道にちょっと寄るだけで済む私に頼むのが、一番面倒が無かったのかもしれない。私は私で、五条さん家にプリントを持っていくと美味しいお菓子やジュースをお礼に、とお土産にもらえるので全然苦じゃなかった。むしろ役得だな、くらいに思っていた。たまに五条悟本人も在宅していて、そういう時は多分五条悟の私室にまで招かれていた。「どうせ暇だろ」と手を引かれずるずる連れて行かれるのだ。私は一応口先だけ「遅れてでも学校に来たら」とは言うだけ言っていたけれども、美味しいお菓子を食べる時間が少なくなるのは嫌だなぁと思っていた。何せ家では絶対に出てこないような余所行きのお菓子がぽん、と出てくるのだ。五条悟も、私が本気で言っていないことをきっと理解していたのだろう。私が言う忠告なんて大して耳に入っていなかったに違いない。「ふぅん」「へぇ」とだけ言って流していたから。とは言え私自身、建前上言っていただけだし、特に気にもしていないけれど。その内に好みのお菓子を聞かれるようになって、私の好きなお菓子が出てくるようになった。こんなに歓迎されるくらい、五条悟には家に呼べるような友達いないんだな、と思うとちょっと哀しくなる……というか同情する。家の人に。いや、でも五条悟をあんな傍若無人に育てたのは五条さん家なんだし、自業自得になるのかな。仕舞いには休みじゃなくても五条家にお邪魔するようになった。いや、帰る方向一緒だから。特に示し合わせることもしなかったけど、普通に一緒に帰って、そのまま招かれていた。我が家は両親共働きで、私は鍵っ子だったから家に帰っても一人だったし夕飯の時間までに帰れば特に何も言われなかった。そんなこんなで家に五条悟がいれば、二人でお菓子をつまみながらポケモンをやるのが主な放課後の過ごし方だった。
 中学を卒業すると、高校は別になった。五条悟は家業を継ぐだとかで専門の学校に行った。未だに五条家の家業とやらに皆目見当が着かないのだけど、それとなく聞いてもはぐらかされるだけだったので、随分前に聞くのを諦めた。高専に行くような専門性のある家業で、かつ古くから続く名家の職業なんて……と考えた事もあるけど結局全然思いつかなかったのでこっちも諦めた。どうせ何であっても私には到底関係のない話なのだし、と。
小中と結構仲良く遊んでいたし連絡先を交換はしていたけど、高校が別になれば特に用事も無いし、ぱったりと交流が途絶えた。そうしてもうこれっきり会うことは無いだろうな、と思っていた。けれど大学に進学し一人暮らしも板についた頃、偶然にも渋谷で再会した。ふらふらとウィンドウショッピングしていたら、急に腕を引かれてびっくりしていたら、明るく弾んだ声で名前を呼ばれて更にびっくり。振り向けば、記憶よりもさらに背の高くなった幼馴染がこちらを見ていた。そのままずるずると近くのカフェに連れ込まれて……その時をきっかけにまた交流が始まった。交流と言っても、小中の頃とは逆になって私の家に悟がやってくるようになっただけだけど。
 外はもう既に明るくなっていて、太陽も真上に位置する時間だと分かってはいたけれど、まだ眠れるなとベッドから出る気はなかった。もう一度夢の中に戻ろうと布団を掴んで潜り込もうとした時、勢いよくはがされた。

「もう昼過ぎてる。さっさと起きなよ」

 五条悟の訪問はいつも突然だ。連絡先は変わっていないから事前に一報を入れろと毎回言っているけどそれが実行された例ほぼはない。いつもはここで文句の一つも言ってやるところだけど、今日はやめた。
 悟の機嫌がすこぶる悪い。
 いつもそうだ。ストレスが溜まって機嫌が悪くなると、朝方にやってきては寝ている私を乱暴に起こす。そうでないときはご丁寧に甘ったるい朝食を用意してからベッドに潜り込んでくるのだけど。ベッドに潜り込んで、自分が用意した朝食が冷めるのも厭わず二度寝三度寝を推奨してくれるくらいには私を甘やかしてくれるのに、本当にストレスって嫌になる。悟のストレスは、どうやら職場の上司だか役員だかに物凄い嫌がらせをされていることらしい。「僕が何でも出来るから、って僻んでいるんだよ。本当に嫌になるよね。さっさと引退しろクソジジイ、って思わない?」とは本人談。悟の職業は教師であるが、それが家業ではないらしいので、家業の傍ら教師もやっている二足の草鞋と解釈している。悟が言うには、この教師も全く家業に関係ないこともないらしいのだけど、やっぱりそこら辺ははぐらかされてしまっている。あまり詳しく話したくないのならそれはそれで別に構わないのでいいのだけど。
 とにかく、悟はストレスを覚えてそれが限界に達すると私を買い物に連れまわす。ストレス発散にショッピングをする人なんていうのは別に珍しくも無いけど、ただ悟のショッピングは常識の範囲を大きく逸脱している。使う金額が私の想像しうる金額からかけ離れているのだ。それでも悟が自分で稼いだお金だし、どう使おうが本人の勝手だ。それが本人の買い物ならば、私は何も言わない。だが違うのだ。悟はストレス発散に、何故か私のものを買い漁るのだ。本当に何故か。おかげで私の部屋のクローゼットの中身はこれまで悟が私に買い与えたもので溢れかえっている。
 今日もまた連れまわされるんだな、とこればっかりは抵抗しても無駄だから素直に起き上がった。もうすでに勝手に開けられているクローゼットから服を投げつけられる。今更何も言うつもりはないが、ここは幼馴染とはいえ女性の家で、クローゼットの中には下着類も収納されているのだけど、そこらへんこの男はどう考えているのだろうか。

「ねぇ、何このパーカー。僕が買ったヤツじゃないよね」
「ちょっと肌寒い日に軽く羽織れるものが欲しくてこの間買ったの」
「はぁ? 前買ったカーディガンあるじゃん。アレ着れるでしょ。着てよ」

 あんなバカ高いもの普段に着られるか。
五条悟は本当に金銭感覚がおかしい。この間放置していったシャツを洗濯しておいてやろうかなーと手に取って、ふと目に入ったタグを検索したらシャツ一枚でとんでもない値段が表示されたから洗濯機に放り込むのをやめてクリーニングに持っていった。
悟はぶつくさ文句を言いつつ、クローゼット漁りを続けている。悟に連れまわされる日は、服装も全て悟が選んだものを着ることになっている。らしい。別に私はこだわりが無いので構わないのだけど。でもやっぱりクローゼットを好き勝手に漁っている幼馴染を見るのはちょっとなぁ、と思わなくもない。例えこれが彼氏であったとしても納得は行かない。まぁ言ったところで悟が聞くわけないと分かっているから口に出したりしないけど。

「それにさぁ、リビングにおいてあったかばん、前欲しいって言ってたディオールの白いやつ買ったのに何で使ってないの」
「私程度の会社員が出勤にディオールの新作なんて持っていけません」
「かばんは使ってなんぼでしょ。ディスプレイ用じゃないんだよ」

 万が一同僚とかに見つかって聞かれても困る。ただでさえ、今も出勤時の服装にかなり気を遣っているのに。まだ社会人として暦の浅いOLがハイブランドで身を固めている、なんてどう考えても良い目で見られない。お給料もボーナスも平均より少し低いくらいの金額なのだから。世の中世知辛い。もっと基本給上げてくれ。
そもそもちらっと雑誌見て「可愛い」と言っただけで欲しいとは言っていないのだ。でもそれを言ったところで既に買い与えられてしまっているので意味はない。

「まぁいいや。じゃあ今日はお前が会社で着る用の服とか靴の他に普段着ももっと増やそ。だからこの辺捨ててね」

 いつの間にかご丁寧にもきっちり私が自分で購入したプチプラの洋服たちが分けられている。あ、あのブラウス着回ししやすくて重宝しているやつだ。後でこっそり隠しておかないと。
 五条悟はストレスが溜まってくると私を買い物に連れまわす。そしてひたすら問答無用で私を着せ替えては服やアクセサリー等を馬鹿みたいに爆買いするのだ。最初はそれこそただの幼馴染にこんなにお金使うなんて、と申し訳なくって何度もいらないと断ったのだけど、断れば断る程見せつけるかのように使う金額を増やしていくので、素直に受け取るべきだと諦めた。本当に私は諦めてばかりだが、悟と上手く付き合うには諦めが肝心なのだ。これ本当に大事。向こうはこちらが思う以上に話を聞かない上に頑固で粘り強い。もちろん褒めてはいない。本人に文句も言えないけど。

「これ以上服とか増えてもしまうところないんだけどなぁ……」

 わざと大きなため息をついて当てつけるように独り言ちてみたが、悟には痛くも痒くもなかったらしい。

「ふぅん。じゃあマンションでも買う? ウォークインクローゼットついてるとことかさ。前々から思ってたんだけど、このアパート、セキュリティ薄っぺらいし。僕の家でもいいんだけど、ウォークインクローゼット無いからさぁ」
「いらない。身の丈に合った生活したい」
「慣れるよ、その内」

 片手に車の鍵を持っている悟が着替え終わった私にかばんを押し付け、背中をぐいぐい押してきたのでそのまま玄関を出た。いつの間にかしまい込んでいたヒールの高いパンプスが並べられていた。


 ふかふかの椅子に座らされて足は恭しく跪いた悟に持ち上げられている。さっきからいくつのかの靴を履かされては少し歩かされて、を繰り返している。並べられている靴は全て十万を下らないものばかり。こんな高くて細いヒール、まともに歩ける気がしない。私はせいぜい七センチくらいが関の山だ。悟はいっつも、ヒールの細くて高い靴ばっかり買う。どんなに私が歩きづらいから嫌だ、と言っても「いくらでも支えてあげる」とズレた事ばかり言って話を聞いた例がない。その言葉通り、私に高いヒールを履かせたらすかさず腕を貸してくれたり腰に手を回してしっかり支えてくれはするのだけど、でもそういう事じゃないんだよなぁ、という思いは届かない。

「じゃあこれとこれとこれ。今履いてるのはそのまま履いていくから」

 そう言って悟はお馴染みのカードを店員に渡している。ここでもうお店は三軒目だ。

「次は何がいっかなー。ねぇ、何欲しい?」
「それよりお腹空いた。何か食べたい」
「えー、しょーがないなぁ。じゃあそこのホテルのビュッフェでも行こっか」

 もう諦めた。本当に諦めてばっかりだけど、もうしょうがない。悟には好きなだけお金を使わせてやるのが一番いい。それがストレスの発散になるのだから。困るのは私だけなのだから。……いや困りたくないんだけど。これだけたくさん買って、傍から見たら私に貢ぎまくっている形になるが、これだけのお金を使っても五条悟の懐は何ら痛まないのだ。よく知らないが、随分と稼いでいるらしい。本当にマジで金持ってるんだなぁ、と私はただ感心するしかない。ぽんぽんと購入されていく品々の値札を見て頭の中でパチパチとそろばんを弾く。これだけお金を持っていても、悟は日々仕事でストレスを溜めているそうだから、世の中というのは本当に儘ならないものらしい。ただの幼馴染にこんなにお金使うくらいなら、その美しい顔を生かしてさっさと彼女を作って彼女に貢げばいいのに。そうしたらきっとウィンウィンでみんな幸せなのに。……まぁ、悟はちょっと性格に癖があるというか。小中一緒だった頃、育ちはいいくせに口は悪かったし……。それでも構わないわ、と女の子に人気あったからその気になれば秒で彼女出来るだろうに。悟がそういう事に興味がなかったのか、そうやって近づいてくる女の子達を無碍に扱いまくっていたけど。何故か悟に彼女が出来たとかいう話を一切聞かないのだ。というかそもそも彼女いたら私のところに来ないよなぁ……。

「食べ終わったらジュエリーショップね。お前ピアスだったら素直につけてくれるし、欲しいもの言ってくれるし」

 新作沢山あるといいね、と大分機嫌が上向いてきたらしい。
買い物二軒目までは無言で服を選んでは会計していたから、今回は相当ストレス溜まっていたんだなと少し遠巻きに見ていたのだ。いつもはもうちょっと気さくにおしゃべりしながら買い物しているんだけど。悟は暢気に指を折りながら後はかばんとーコートとー、と買う予定のものを数えている。随分と楽しそうで何よりだ。
 昔っから、ちょっと無邪気に笑う悟の顔は好きなのだ。これまで言ったことは無いけど。悟に彼女が出来たら、こうして一緒に過ごすことも無くなるんだよなぁ、と思うと何となく寂しく思うのだから、何やかんや言いつつ私は、悟の事を憎からず想っているのだろう。
 他人に「どういう関係なの?」と聞かれた時にどう答えていいものか分からないから、とりあえず幼馴染だと答えている。私はそうしているけど、悟は私の事を何という関係性だと説明しているんだろうか。自分は「幼馴染」だと答えるくせに、いざ悟に幼馴染だと思われてるとなると釈然としない、なんて何て我儘なんだろう。だって、ただの幼馴染にこんなにばかすか色々買い与えて、そしてマンションまでぽんと買ってしまうことを平然と言ってのける。何なら同棲まで仄めかされているのだ。自分が鈍感だとか思ったことは無いし、自意識過剰だとも思ったことは無い。それを踏まえて考えれば、悟は私の事を憎からず思っているとは思うんだけど。でも別に、「好き」とかそういう言葉も一切聞いた事無いんだよなぁ、と思い返すとどうにも踏み切れずにいる。好きだなんて感情に気付かなければ、ただの幼馴染にばかすかお金を使いまくる馬鹿な幼馴染だなぁ、って呆れるだけでいられたのに。
 どうして自分の感情は、自分の思うように動いてくれないんだろうか。
 すっかり機嫌を良くしてビュッフェのデザートコーナーからいいだけ色んな種類のスイーツを皿に盛って頬張っている悟を見て、内心ため息をついた。
 この馬鹿。