彼女番号bV








 ふかふかで座り心地の良い黒い革張りのソファーは、悟君の家にある家具の中で一番お気に入りと言ってもいいくらいだ。そこに並んで座って、肩を寄せ合い今日一日の出来事なんかを話すのが常だった。今日は仕事を終えた私を悟君が迎えに来てくれた。そのままどこかのお店で外食することもあるけれど、出張から帰ってきたばかりの悟君が「の手料理が食べたい」と言ってくれたので、スーパーに寄って買い物をしてから悟君の住むマンションにやってきた。
 手料理が食べたい、とは悟君が私によく言ってくる可愛い我儘の内の一つだ。別に私は料理がとても得意だというわけではないけれど、悟君は初めて私が作ったものを食べた時から「こんなに美味しいご飯初めて食べた」と頬を染めて本当に美味しそうに食べてくれる。ただ家でたまに母の手伝いをする程度で、自分が食べられれば問題ない程度にしか料理をしなかった私が、いつでも悟君の要望に最大限応えたいと料理を母に教えてもらうようになった。母は昔、食堂で働いていたことがある人で、私は母の料理が一番美味しいし、母は言えば何でも作って出してくれるので憧れてもいる。私も悟君に食べたいと言われたものをさ、っと出せるようになりたいと日々精進しているところだ。
 悟君の長い腕がソファの背から回って軽く引き寄せるように私の肩を抱いている。

を連れて行きたい店があるんだ。きっと気に入ると思うな」

 と言ってポケットからスマホを取り出そうとしたけれど、その手は空振った。

「あれ、スマホ無いな……」

 パタパタと服の上から軽く叩いているが、見つかる様子はなさそうだ。

「鳴らそうか?」
「うーん、お願いできる?」

 そう言われて自分のスマホを取り出して悟君の番号に掛けた。けれど着信音は聞こえてこない。

「鳴らないね」
「あ、音切ってるかも」

 耳を澄ませてみるが、バイブ音も聞こえてこない。

「んー…さっき突っ込んだ洗濯物の中に入れっぱなしにしちゃったかな。ちょっと見てくるわ。悪いんだけど、そのまま鳴らし続けててくれない?」
「いいよ。じゃあ私、あっちの部屋探してくるね」

 そう言って悟君はバスルームへ、私は寝室へ向かった。
 寝室は、悟君本人が「ほぼ寝るだけの部屋」と言うだけあって、あまり家具が置かれていない。そこそこ広い部屋に、悟君が寝転がっても余裕がありすぎるくらい広いベッドが置かれている。キングサイズではないと言っていたけれど、私にはキングもクイーンも大きさにどれだけの差があるのかわからない。大きなクローゼットに少しの私服が入っているくらいで、本当に必要最低限しかない。「まるでフランス人みたい」と話題になった本のタイトルに掛けてからかって見た事があるけど悟君にはわからなかったようだった。と言っても私もその本を持っていなかったから提示することは出来なかったけど。仕舞われている少しの私服は全ていい値段するハイブランドものばっかりで、これらを無造作に洗濯機に突っ込んでいる悟君の神経を少し疑っている。そんな扱いしていいの? と。
 部屋があまりにも殺風景だから、何か観葉植物でも置けば、と提案したことがあるが聞き入れられたことは無い。逆に、「君の使うドレッサーなら置く場所あるよ」と言われてしまって何度か断っている。あまり人の家に遠慮なく私物を置いていきたくない。悟君からは忙しくて中々会う時間を取れないことが多いから一緒に暮らそう、と何度も誘われているけれど、庶民感覚の中で生きている私に、こんな家賃も想像できないマンションで暮らすことなど現実味がなさすぎて考えられない。悟君は「すぐに慣れるよ」なんて簡単に言ってくれるが……。
 ベッドボードにスマホの充電ケーブルがあるから、きっとそこに差しっぱなしなっているんじゃないかと思って寝室を探しに来たのだけど、白いコードの先に悟君のスマホは差さっていなかった。一度電話を切ってもう一度かけ直してみる。少し静かに窺っていれば、何となく振動しているような音がベッドの中から聞こえてきたような気がした。
 充電しようと思ってそのまま放り投げちゃったのかな、と起きたそのままに布団が捲れあがっているベッドの上に手を這わせた。左手に固いものが掠って、あぁやっぱりここにあった、とそれを持ち上げた。うつ伏せになって震えているスマホをひっくり返して、その画面が目に入り、目を疑った。え、と声が出たと思う。
 黒い背景に白い文字で、着信相手を知らせる登録名が表示されている。その名が『彼女7』となっている。掛けっぱなしにしていた電話を切ると、その表示が消えて、ロック画面に『着信 彼女7』と表示される。もう一度電話を掛ける。電話マークが表示され、『彼女7』から今まさに着信が来てることを示す表示が現れる。

「え……?」

 『彼女7』って何だろう。これが、私を指す登録名なんだろうか。手にしているスマホは間違いなく悟君のスマホだ。透明のスマホカバーの端にひびが入っている。この間落としちゃったときに入ったひびだ。落とした時にひびが入ったのを私も見ているし、間違いない。頭の後ろから背中に掛けて、何か冷たいものが滑り落ちるような感覚がする。

「ねぇ、そっちにあった?」

 寝室の外から聞こえた声に、びくりと肩が跳ねた。
 私は、私が見てはいけないものを見たのだ。このままこの手に悟君のスマホを持っている事が恐ろしくなったし、何よりこの現場を見られてはいけない、と強く思った。震える手に力を入れ直して、悟君が部屋に入ってくる前に、慌ててスマホをベッドと壁の隙間に入れ込み落とした。

「……見つかったよ。でも、どうしてか奥に入り込んで落ちちゃってるみたいで、私じゃ届かないみたい」

 逸る心臓の音が、漏れて悟君に聞こえてしまうのではないかと思ってしまうくらい煩い。あんなに手は震えていたし、声もきっちりと動揺を隠せていたか不安だ。
 悟君はベッドの上に乗っている私の横からベッドと壁の隙間に手を伸ばし、スマホを回収する。そのままホームボタンに親指を当ててロック画面を解除した。

「はは、からの着信履歴で全部埋まってる」

 ……あぁ、やっぱり私が『彼女7』なんだ。
 悟君がとてもモテることは良く知っている。職場に迎えに来てもらう時だっていつも女の子に騒がれている。それでも私より若くて可愛い子がいても、目もくれずに私の元に一直線に来てくれるから、と自惚れていた罰が下ったんだろうか。
 七、だって。上に一から六があるってことだ。悟君に「好きだ」と愛の言葉を貰い、優しいキスをくれていて、どれだけ「美味しいよ」と溶けるような笑顔を向けられていても、私は七番目、ということらしい。
 そうだよね、悟君だもの。どうして私と付き合っているんだろうってこれまで何度も自問自答してきたことの答えを今貰った。私は七番目の彼女なのだ。上に六人いて、もしかしたら下にもいるかもしれない。

「あぁこれこれ。ね、、ここのカフェ、パンケーキがすっごく美味しいんだって」

 とても楽しそうに調べてくれたカフェの情報をスマホに表示させて、私に見えるように画面を寄せてくれる。とても、嬉しかったのに。私の好きそうなお店を調べてくれているってすごく嬉しいことの筈なのに。これと同じ、もしかしたらそれ以上の献身を受けている悟君の最愛の彼女は私ではない、という事実を知ってしまったら。
 悟君の態度は何一つ変わらず甘やかだというのに、何だか悲しくてしょうがなかった。