突然ですが、彼氏が出来ました。








 突然ですが、彼氏が出来ました。
 いや本当に突然に。何の前触れなく。テレビの占いコーナーでも恋愛運は最下位だったというのに。
 目の前に座ってニコニコ(ニヤニヤかもしれない)している相手と自分が、これからカレカノとして付き合っていくなんて、全く信じられない。ドッキリだと言われたのなら納得いくのだけど。しかも、初彼なのだ。これまでの人生十六年、恋人がいた事なんて一切ない。もちろん、好きな人がいたことはある。いたことはあるがいつの間にかその気持ちはどこかにいっているか、相手に恋人が出来ているかで終わる。
 そもそも、小学校を卒業してからというもの、お小遣い制度になったことで趣味が増え、そこに時間をつぎ込んだが故に恋愛に現を抜かしている場合じゃなかったのだ。いや、そう言うと語弊があるかもしれない。恋愛はしていた。漫画やアニメのキャラ相手だけど。
 いやいや誤解はしてほしくない。ガチで「○○と付き合いたーい」とか言っていたわけじゃない。あ、いや口には出していたけど、冗談の範囲内というか。そんなことが出来る訳ないと分かった上で言っていたというか。毎週週刊誌を買って読んで好きな漫画の動向に一喜一憂したり、アニメの声優さんにきゃーきゃーはしゃいだり、正直に言えば年がら年中忙しかった。リアルの男よりよっぽどいい男前ばっかりなのだ。リアルに目を向けている暇なんて無かった。それに、学校じゃ私のヲタクっぷりは有名だったし、影ではヲタクだなんだと馬鹿にするような事を言われていたのを知っている。見た目が美人でもないし、白い目で見られがちなヲタクという人種を好きになる人などいないと分かっていた。自分自身、彼氏が欲しいと思わなくも無いがそんなにガツガツと求めているわけではなかった。ときめく相手はもういて、心は満たされて誰かが入り込む隙間などなかったのだ。
 その点において、今回のタイミングはベストだったと言わざるを得ない。
 大好きだった漫画が連載を終えた。
 アニメ化や映画化などの情報も無く、というか何ならあのタイミングは打ちきりだ。好きなアニメも漫画も沢山あるが、私がこの道に染まった始まりともいえる作品だったから思い入れも一入で、私は何もかもに絶望し、魂も抜けているに等しい状態で、定期購読していた週刊誌も読むのをやめていた。新しいものに手を出す気力もなく、希望の光が見えるまでどこか山奥に籠る生活でもしようかな、なんて非現実的なことまで考えるに至っていた。
 それが良かったのかもしれない。
 見かねた別の高校に行った友人が学園祭に呼んでくれて、そこで中学時代の同級生に声を掛けられたのだ。

「お。じゃん」
 私の名前はだが、男子で私の下の名前を呼び捨てにする同級生は一人しかいない。あ、いや、「元」同級生か。彼は見覚えのない黒い学ランを着ている。確か東京郊外の山奥にある宗教系の高専に進学すると聞いていたから、きっとそこの制服なんだろう。

「え、っと……」
「あれ、もしかして忘れられてる?」

 隣にいた友人が、「五条君だよ」と囃し立てるような、でも小声で教えてくれた。
 キラキラとした白髪に綺麗な蒼い瞳。記憶よりも更に高くなった身長。勿論、教えてもらわずとも覚えている。何せ五条君は中学で一番有名だったと言っても過言ではない。同じクラスだったことは無いが、毎日その名を聞いていた。漫画の中にしか存在しないと思っていたファンクラブだか親衛隊だかがいて、毎日睨みを利かせていたように思う。けれど五条君はそんな人たちを気にすることなく過ごしていた。五条君自体が、漫画の登場人物並みに「持ってる」人だった。容姿端麗で成績も良かったし。部活には家庭の事情とかで入っていなかったけど、誰よりも運動神経が良くってよく勧誘を受けたり助っ人を頼まれていた。全部断っていたけれど。なんでも休日も家の用事で忙しくしているのだとか。学校も偶に家の用事で休むことがあったくらいだ。私は見た事無いが、五条君の家はとても立派で大きな日本家屋で、お手伝いさんとかが沢山いるような名家なのだとか。そしてその名家の跡取りだから、中学生といえども家の仕事に関わっているのだと噂されていた。その噂に乗せられて玉の輿を狙う子なんかが親衛隊たちの目を掻い潜って告白をしていたが、それらも全て五条君は断っている。学校一可愛いと評判だった子も秒で振られたらしい。
 そんな五条君と、先にも言ったように同じクラスになったことは無い。けれどこんなにフランクに話しかけてくるほどには交流があった。何てことは無い、三年間同じ委員会だったのだ。私は三年間、図書委員会に所属した。三年時には委員長も務めている。本が好き、というのも理由の一つだったのだけど、図書委員会は他の委員会と違って任期が一年あった。つまり一度図書委員になると、一年間ずっと図書委員。他の委員会は前期後期で変わる。つまり、また決め直すのだ。決める時、誰も面倒な委員会に所属したくないから部活に所属していない人やまだ委員会に所属していない人への押し付け合いが始まる。それに参加したくないのだ。図書委員は昼休みや放課後に当番があって倦厭されがちだから立候補すれば大体すんなり決まる。後私、じゃんけん強かった。二年時から「また五条君が図書委員会に入るんじゃないか」と考えた子たちが募ったけど、それらを全て降した実績を持つ。ゴミ捨てじゃんけんは負けるのに。
 五条君とは委員会の顔合わせの時に初めて話した。自己紹介して二秒で下の名前を呼んできて面喰ったことをよく覚えている。けれど、五条君は誰に対してもそうだったから、「そういう人なんだな」と早々に納得した。これで私だけ名前を呼ばれるとかいう少女漫画的展開になっていたらきっと刺されて死んでいた。比喩のつもりで言っているけど、もしかしたらリアルであったかもしれない。

「勿論覚えているよ。久しぶりだね、五条君。元気だった?」
「あぁよかった。三年間ずっと同じ委員会だったのに忘れられてんのかと思ってショックで寝込むとこだったわ。が俺の事覚えててくれたから、たった今超元気になった。も元気だった?」
「うん、元気だよ」

 さて問題はこの後だ。
 不幸中の幸いと言うべきか、今の私は一方的に漫画やアニメの話を捲し立てるだけの気力はない。中学時代は五条君相手だろうが好きな漫画やおすすめのアニメの話ばっかりしていた。五条君もそれを興味深そうに聞いて、しかも勧めたものは見てくれて感想も言ってくれるのですっかり嬉しくなってしまって……というループだった。では他の話題を、といっても気の利いた話題を提供できるわけでもない。私の話の風呂敷は非常に小さいのだ。ただ黙って真正面に座る美しい顔を不躾にも眺めつつ、注文した飲み物を待つことしかできない。
 けれど五条君は自分が話の主導権を握れるタイプの人間だった。

「セーラー服がスカーフじゃなくてネクタイなの珍しいな。確か都立の進学校だったよな。俺らの学年でも数人しか行ってないとこ。校則なんてあってないようなもんだって聞いたけど」
「うーん、そうらしいね。勉強していい成績さえ取ってればあまりうるさく言われないかな。五条君は宗教系の学校でしょ? みんな五条君がお坊さんになるんじゃないか、って騒いでた」
「まさか。寺の息子でもないし。ちょっと実習が多いだけで他の高校と変わんないよ」

 五条君は中学の時は掛けてなかったサングラスを掛けている。随分黒くて、その先にあるあの綺麗な瞳をすっかり隠してしまっている。それでも五条君は市井を低くして上目遣いにこちらを見てくるから蒼がちらついて、そうしてもそちらに視線が行ってしまう。
 本当に綺麗な人なのだ。黙っていればまるで神様が丹精込めて作った彫刻の様に完成されている。本当に同じ日本人なのかと疑ってしまいたくなる。その美があまりにも逸脱しているから、比べられることもないと思うと逆に安心して正面に座っていられる。五条君の雰囲気が気安かったから、というのもあるかもしれない。

「なぁ、メアドとケー番教えてよ」
「え?」
 
五条君はそれまでの会話の流れを一方的に切って、ポケットから二つ折りの白い携帯を取り出した。

「まさか、まだ持ってないとか? 中学の頃は持ってないって言ってたけど。じゃあ連絡取りたかったら自宅に電話するしかない? えーでも俺、のお父さん相手に取り次いでもらうようにお願いする勇気はまだねぇなぁ」
「あ、いや」
「買おうぜ。ないと不便じゃん。周りも皆持ってるっしょ? これから付き合っていこうってんだからさ、一緒にいられる時はいいけど、会えない時はメールとか電話したいじゃん」
「あの、携帯持ってるよ、っていうか、え? 待って。今付き合うって言った? そんな話してなくない??」
「えー、じゃあ今彼氏いんの?」
「い、いないけど……」

 そう言って首を横に振ると、五条君は一際明るい声を出して、それまで無意味に開いたり閉じたりしていた携帯を勢いよく閉じた。

「じゃあ決まり! 俺もフリーだし。ね、ケータイ教えてよ。赤外線でいいよな」

 閉じた携帯をまた開いて、ボタンを操作している。「ほら早く」急かされて私も鞄から携帯を取り出した。高校生になった時に買い与えられたものだ。中学卒業した後だったから、電話帳にはほぼ高校で出来た友人のアドレスばっかり登録されている。要求されるがまま赤外線で自分の連絡先を五条君に送る。よく見たら五条君の携帯、この間出たばっかりの新機種だ。

「よし、登録完了。なぁこの後暇? 一人で来たんでしょ? だったらお化け屋敷行こうぜ。ここのお化け屋敷は毎年クオリティが高くて本物が出るって評判なんだと」
「え、いや、私お化けとか苦手で……」
「大丈夫、俺いるから。初デートにピッタリじゃん」

 有無を言わせず手を引かれ席を立たされた。そのままお会計をスムーズに五条君が済ませてしまい、まだシフト中である友人に「後で詳しく」と口パクで見送られながら教室を後にした。手が既に恋人つなぎになっている。本当に付き合うつもりなんだ、と意識が遠のきそうになった。お化け屋敷どころじゃない。