私は当て馬婚約者
愛されるヒロインはやはり明るく健気で気遣いもでき、何事にも真っ直ぐで、何より愛嬌がある事は外せない。そんなヒロインと幸せゴールインを果たすヒーローは非の打ちどころのないハイスペックなイケメンだろう。物語は当然の様に運命的に導き、二人は惹かれあっていく。……そう、間違っても「抱くつもりなんか無かったのに」なんて決して言われたりしない。私は、ヒロインにはなれないらしい。
東京都立呪術高等専門学校本校舎一階事務室。そこが私の職場だ。父が呪術界における上層部の一員で、所謂コネ入社ということになる。視えるし術式もある私が呪術師はおろか、補助監督ですらないのは、父の意向だ。娘を危険な目に遭わせたくない、と口に出してはいるが実際のところはわからない。一人娘でまだ血を引く子供がいないのは困るから、というありがちな理由なのではないかと少し勘ぐってしまう。幼い頃から父と会話すらした記憶がほぼ無いのだから。ただ父の言う通りにここで働いている「お人形さん」が私だ。父は地位も名誉も権力も全てを欲している。だからなのか、持ちうるコネやらを利用できるだけ利用して、私を特級呪術師の婚約者に据え置いた。約三年前の話である。高専を卒業したばかりの時に父に呼び出されて、「今日からお前は彼の婚約者だ」と紹介されたのは先ほど学校で別れたばかりの同級生・五条悟だった。あの時の五条君の目、あまりにも温度を感じなくて少し恐怖を感じた。望んでいない婚約に、でも五条君でもきっと抗えなかったのだろうと思う。
学生時代、五条君と仲が悪かったという事は無い。むしろ私自身は五条君に惹かれ、身の程知らずにも想いを募らせていたくらいだ。勿論誰に言う事もしなかったけれど。それこそ、初対面では私が上層部に深い繋がりがあるということで随分警戒されたものだ。特に五条君は上層部を「腐ったミカンのバーゲンセール」と呼ぶほど嫌っている。私に対する当たりも、まぁそれなりに強かった時期もあった。何せ私は、術式を持っているが万年三級、早々に呪術師となる道を諦めるように先生にも言われるほどにしょぼかった。よく「雑魚」と言われていたが、本当に返す言葉も無い。どういう訳か、時を重ねていくごとに態度が軟化していき、最終的には二人でスイーツ巡りをするまでになっていた。
校内では、五条君は教師として勤めているのでそれなりに顔を合わせることが多い。もちろん、教師をしつつ特級呪術師として全国各地を飛び回る五条君は非常に忙しいので、毎日とはいかないが。私の仕事は事務全般なので直接現場と関わることはほぼ無い。報告書類も今はデータファイルとしてメールで送られてくる事が多い。けれど、五条君は必ずその手にお土産を持って任務が終わったら事務室を訪れてくれる。仕事がもう無ければ、そのまま一緒に帰宅しようと誘ってくれる。
正直に言おう。めっちゃ自惚れてしまう。五条君の性格が悪いなんてことは良く知っている。それでも私にとっては世界一かっこよくて最高で自慢の婚約者だ。硝子には「やっぱ頭イカれてんね」と呆れられてるけど。内心、硝子がそう評価していることに安心すらしている。これで硝子が五条君の事を好きだとかいう事態になったら、私では太刀打ちできない。本当によかった。
スマホからメッセージの通知音がする。『もう仕事終わった? 終わったなら帰ろう』スタンプも絵文字も何もないメッセージは、五条君の一人称や話し方が変わった今でも学生時代から変わらないものの一つだ。素っ気無く見えるけど、それが逆に五条君らしくて好きだ。今行きます、と返信して急いで身支度を整えて校門に向かう。校門には車に背を預けてスマホを眺めている五条君がいた。いつも着ている黒い服ではないし、目隠しも外してサングラスを掛けている。あぁ、やっぱり最高にかっこいい。
「今日はさ、前行ったレストランにしない? 美味しいし穴場なのか人少なくてゆっくり出来るしさ」
「うん、いいよ。あそこのパエリア絶品だもんね」
「じゃあ決まり」
そう言って五条君はスマートに私を助手席に乗せた。いつもながらエスコートが本当に上手だ。いつの間にこんなテクニックを身に付けていたのか。学生時代はこういったところに気を回すようなタイプじゃなかったのに。これが私の為に身に付けたものならいいのにな、といつも思う。そんな訳ないんだけど。
「今日ちょっと遅かったね。やっぱり事務員少ないと大変?」
「まぁ、ちょっとは。でも補助監督の方を事務に回すわけにもいかないし。万年人手不足だからね、この業界」
「それはそうだけど。疲れてない? そうだ、いつも気にしてるのか飲まないけど、お酒飲んでもいいんだよ。ちゃんと送り届けるし」
「いや、でも」
「気にしないで。僕が下戸なのは知ってるでしょ?」
「いいの、私もお酒強いわけじゃないし。それより、五条君、何か言われたりしてない?」
「何かって?」
「その……生徒さん達から私が事務手続きすることについて、やりにくい、とか」
「上の人間の娘だからってこと? そもそもお前がそうだってこと知らない子の方が多いんじゃない? ……あぁでも、君が僕の婚約者だから報告書チェック甘くしてもらってるんじゃないかって言われてるかな。君のチェック厳しいって有名なのに僕は一発OKだから、って」
「そんなこと、」
「ね、僕が最強で報告書もいっつも完璧なんだって言っても信じてもらえないんだよ。酷くない? まぁでもどっちでもいいけどね。甘くしてくれてても僕が特別ってことだし。どうせならそう言いふらそうかな。そうして見せつけたら牽制にもなるでしょ?」
なんてね、と言って笑う五条君は本当にずるい。もう学生を卒業して数年経って、すっかり大人の男の人になったのにこうしてたまに昔に戻ったみたいに子供っぽく笑ってみせるのだから。
「いつも送ってくれてありがとう。明日も朝から任務なのに」
「気にしないで。普段一緒にいられない分を埋めてるだけだから。むしろ、こんな時間まで憑き合わせちゃってごめんね」
時刻にして二十二時前。とっても健全な時間だ。私としては朝まで連れまわしてもらっても構わないのに。でもそう言ったら五条君は困ってしまうだろう。
「じゃあね、」
軽く触れるだけのキスを車内で贈られて、そのままさようなら。「お義父さんには内緒にね」と人差し指を唇に当てて微笑む五条君の色気に倒れてしまいそうだ。
……なんてね。
五条君にとってこんなデートもキスも、ただ「婚約者」に対する義務でしかないのだ。だって所詮、私との縁談なんて政略結婚でしかない。学生時代に向けられたあの楽し気な笑顔を受けていたあの頃の私が羨ましい。
婚約から三年、私と五条君の関係は至って健全そのもの。触れるだけのキスから先に進む気配すらない。一人暮らしだというのに、五条君は私の住む家にすら入ったことがないのだ。当然か。義務でしかない婚約者の家なんて煩わしいものでしかないだろう。だからこそ、内心五条君に胸をときめかせながらも、まさか自分が好かれているなんて思った事は一度も無い。けれど、いつか。いつかあの綺麗な蒼い瞳に私を映し、求められたい。そんな来るかも分からない日を夢見て、私は毎晩全身を磨き上げる。そんな生活を繰り返しているのだ。
珍しく五条君の提出してきた報告書に不備が見つかった。今は任務に出ていないはずだし、この時間帯なら授業しているだろうか。もう少ししたら授業時間も終わるだろうし、と事務室を出て五条君が担当するクラスへ向かう事にした。
廊下ですれ違う呪術師や補助監督がこちらを見ては眉を顰め、ひそひそと何かを話している。きっと「監視されているみたい」だとか「事務室から出てくるなよ」系だろう。彼らは私の見聞きしたものが全て上に報告されていると思っているらしかった。そんなことするはずないんだけど。私は上層部の娘としてここに務めているわけじゃないのだし。そもそも父と話す機会など滅多にないから報告しようにも出来ないんだけど。というか、もし本当にそう思っているなら、そうやってこそこそ話をすることをやめた方がいい。私はこれでも地獄耳なのだ。
目的の教室が見えてきたところで、授業終了のチャイムが鳴る。ちょうどよかった、と教室の扉に手を掛けたところで、窓から見えた光景にその手を止めた。
教卓越しではあるけど、それなりに近い距離で五条君の完璧な笑顔を惜しげもなく振り撒かれている若くて可愛い女の子は一体誰なんだろう。いや、制服を着ているから多分生徒だとは思うんだけど。おそるおそる教室のドアを開けたらその音に気付いたのか二人がこちらを見る。
「あぁ、ちょうどよかった。紹介しないとね。が休みの日に編入してきた姫川愛梨だよ」
「あ、五条君が任務先で保護したっていう……?」
「そうそう。中々タイミング合わなくて会わせるの遅くなっちゃった」
そう言えば、女子制服の発注をやった気がする。つい最近まで有休でいなかったからその他事務手続きはもう一人の事務員がやったのだろう。そうだ、話だけはずっと前から五条君に聞いていたのにすっかり忘れていた。確か、突発的に呪力が解放されて呪力制御し呪霊を寄せ付け無くなる様にトレーニングしなくてはいけなくて……そうだ。その為に五条君がつくって聞いた気がする。と、いう事は……この可愛らしい女の子と五条君が四六時中一緒にいるって事なのでは……いや仕事だからしょうがないけど、でも……嫌だ。
「初めまして、事務を務めてます、です」
「はこの高専で事務員やってるんだ。これから学校生活以外に任務でもお世話になるからね」
「はい。よろしくお願いします。あの、さんはご結婚されているんですか? その指輪、素敵ですね」
「あ、これは」
「と僕、婚約してるんだ。があんまり大きい石がついた物は嫌だって言うから小振りになっちゃったんだけど、褒めてもらえるのはいいもんだね」
結婚はしていない、と言おうとしたら左手を取られて良く見えるように持ち上げられた。それを見た姫川さんは、明らかにショックを受けていそうな顔で目を伏せた。
「あ、そう……なんですね……」
姫川さんは、私の思う理想のヒロインそのものといった姿かたちをしているように思う。これで性格悪かったりしてくれたら良かったんだけど、きっとそんなことは無いだろう。何せこの子は、報告によれば見ず知らずの他人を呪霊から庇おうとして呪力を暴発させたらしい。見るからにいい子。ヒロイン体質としか思えない。
「それで、どうかしたの?」
「あ、五条先生が出してくださった先日の報告書なんですが、直して頂きたい箇所がいくつかありまして……」
「あれ、ホント? すぐ直すね。あ、でも愛梨に校内設備を案内しなきゃな。どうしようか……」
「先生、私の事は気にしなくても……」
「あ、じゃあ私が案内しましょうか。もう事務室に戻るだけですし」
「じゃあお願いしようかな。女性の方が愛梨も安心だろうし」
「いいんですか? お仕事の途中なのに……」
出来れば二人きりになんてなりたくなかったのに、五条君の前だからってついついイイ子ぶってしまった。好きな人に良く見られたいから、ってカッコつけたがりの自分が憎い。
「寮の設備やセキュリティについてはもう説明受けた?」
「え、あ、はい! その……」
「あ、そんなに緊張しないで。私ただの事務員なんだし」
「で、でも五条先生の婚約者さんですし、失礼とかあったら……」
「全然気にしなくていいよ。職場ではただの同僚として接するようにしているし、だから気にせず普通にしてくれると嬉しいかな」
「あ、はい! ありがとうございます!」
……うーん、小動物みたいで非常に可愛い。
「これまで呪霊なんて関わりなかったのに、いきなりこんなことになって大変だったでしょ?」
「あ、いえ……。そりゃあ初めは不安でいっぱいだったんですけど、五条先生がいたので」
……おや?
「あ、変な意味じゃなくって! 先生が優しい人で良かったな、っていう意味で!!」
おやおや? 五条君が優しい人かという点にも色々ツッコミたいけれど、でも。
「ふふ、そんな気を遣わなくてもいいよ。そんな事で嫉妬したりしないから」
「あ、ですよね! すみません!」
いや内心穏やかじゃないけどね。気が気じゃないけどね。絶対この子五条君のこと気にしてるじゃん!
「……婚約はいつ頃からされてるんですか?」
「三年位前かな。同級生でね、高専を卒業してすぐ婚約してるから」
「そんな前に! じゃあ五条先生から申し込まれたんですか?」
「……ううん、決めたのは私の父だよ」
「あ……そうなんですね。じゃあさんってお嬢様だったりするんですか?」
そう言って姫川さんは何かを考えるように俯いた。この子は、一般家庭出身者で、まだ呪術界の事とか御三家の事とか知らないのだろう。それでも私の父が決めた、と聞けば容易に「政略結婚」という本人の意思ではない縁談だと思うだろう。いや、間違っていないんだけど。
「……でもね、五条君昔からずっと優しいの! 夜食事に行ったら必ず家まで送ってくれるし、任務後には必ずお土産持って事務室まで来てくれるし、父が決めた事だけど、私は五条君が婚約者で良かった、って心の底から思っているの!」
満面の笑みでもって姫川さんを見る。ぽかんとした顔でこちらを見ていたけれど、すぐに笑顔になって「そうなんですね! お二人とってもお似合いですもんね!」と言った。
私の器の小さいこと。何今の婚約者なのよアピール。内容も薄っぺらいし、よくよく考えてみたら、そんなに特別優しいということでもない。それくらいのこと、別に婚約者相手じゃなくてもするだろう。
「さっきも五条先生、指輪を自慢したり、さんのこと大事そうに紹介してて、凄く羨ましいです!」
「……そんな、羨ましがられるようなことでは……」
姫川さんの後ろから後光のエフェクトが見える気がする。やっぱりこの子、めちゃくちゃいい子だ。呪術界においてとっても珍しい根明ちゃんだ。
私、めちゃくちゃ感じ悪いことしてる。素直でかわいい生徒に対して、嫉妬心でみっともなく相手を牽制する婚約者。物語のヒーローがどちらを選ぶかなんて分かりきっている。
つまり、こういう事か。
素直で真っ直ぐで心優しい物語のヒロインと、ハイスペックなイケメンヒーロー。出会うべくして出会った二人は必然的に恋に落ち、結ばれてハッピーエンド。では何にも面白くないから、これぞ悪役! といった婚約者登場。邪魔者であるが、この婚約者こそ二人の恋路を盛り上げる最高のスパイス的存在。この障害を乗り越えて二人の絆はより深まり、ハッピーエンドが更に強調される、と。
はい、では、自己紹介が遅れました。最高のスパイス・当て馬婚約者ことです。こんにちは。