Blooming Villain -悪役の栄え-
古今東西世には数えきれないくらい乙女ゲームがあるそうだ。小中一緒だった友人が特に詳しくて面白いと思ったゲームをよく紹介してくれた。残念ながら私はゲームにハマることが出来ず勧められたそれらをプレイしたことは無い。友人から届くプレイ日記を流し見して適当な感想を抱くだけだった。今はそんな日々を後悔している。
応接に使っている部屋のソファに小さく縮こまる様に座り、きょろきょろと周りを見回している彼女の名前は姫川愛梨。誰もがその姿を見て、守ってあげたいという庇護欲を募らせるだろう愛らしい容姿をしている。高校一年の初夏、彼女の両親が交通事故により亡くなり、その身を祖父母が引き取った。その事をきっかけに、昔祖父が通っていたという超お金持ち校である宝生学園に編入してきたところからこのゲームは幕を開ける。
そう、ゲーム。
ここは乙女ゲームの世界なのである。残念ながら私はヒロイン役ではないので親愛パラメータ等は見えないし選択肢も表示されないが、まず間違いなく乙女ゲームの世界である。そもそもヒロインたる姫川愛梨にそういったパラメータが見えているかは知らない。それでもここがとある乙女ゲームの世界であるという根拠はいくつかある。まず、私の名前がその乙女ゲームに出てくる悪役令嬢と同じ名前であること。地名や建物名がゲーム内のものと合致すること。つい先日に行われた茶会にて紹介された人の中に攻略キャラと同じビジュアル・同じ名前の人がいたこと……。違うものを探す方が難しいくらい一致するものが多いのだ。幼い頃から付き合いのある攻略キャラもいる。もしやと思って準備をしてきた甲斐があったと、今まさに安堵のため息をつきたいくらいだ。
私こと鶴ケ崎は、先に言ったようにこのゲームにおける悪役令嬢である。ゲームでは学園の生徒会長を務める御曹司の婚約者として登場し、主に御曹司ルートにおいて様々な邪魔をしてくる。またこれが金に物を言わせ自分の手は決して汚さず、非人道的な事を繰り返すのだからプレイヤーからのヘイトと言ったらもう……断トツだった。そして恐らく、彼女はゲーム制作陣にも特別視されていたのか、ヒロインが御曹司ルートでトゥルーエンドを迎えると、それはもう残酷な断罪イベントが待っている。その最期は敵ながら涙を禁じ得ない程の仕打ちだとか。そのエンド程酷くは無いが、他のキャラのエンドにおいても、鶴ケ崎という悪役令嬢は大体死ぬ。ちなみにこのゲームはR-18(G)である。エロとグロに容赦がないことで話題を掻っ攫った。勧善懲悪というか、攻略に成功したヒロインには甘々な展開が待ち受けているが、一度バッドエンドにいくとヒロインすらえげつない程酷い扱いを受ける。「そこが革新的」だと友人は興奮気味に言っていたけれど……。ヒロインが御曹司攻略ルートに入った途端、御曹司と自分が学園で隠れてヤッてるのをわざわざヒロインに見せるように仕組むとか、昨今の乙女ゲームの悪役令嬢ってそういうもんなの? と甚だ疑問に思わざるを得ない。
さて、私は鶴ケ崎。九割死ぬ運命の悪役令嬢であるが、勿論死にたくなんてない。それもただ殺されるのではなく、とにかく屈辱的であるとか必要以上に苦しめられて死ぬなど冗談じゃない。そもそも殺すな、という話である。何故か学園に置いて悪役の生死は治外法権になるらしく、エンドを迎え悪役を葬った後のヒーロー&ヒロインには輝かしい未来が待っているのだ。殺人犯なのに。すっごい理不尽。
幼い時に参加させられた何かのパーティーで、後に婚約者となる御曹司と出会った。その時に乙女ゲームの世界であるという疑念を持ち、どうにか無様な死を回避することを考えた。幼い私にでも出来ること、それは御曹司の婚約者とならないことだった。
ゲームに関わらなければいいだろうと思ったけれど、もし私が御曹司の婚約者であったなら、婚約者に言い寄る女を黙って見過ごしてなどやれない。そこに自信があった。恐らく、私は理性のタガを外し、婚約者を奪われない為なら手段を選ばないだろう、と。鶴ケ崎は、何より自分のモノに茶々を入れられるのを非常に嫌う性質だった。きっとその先に死が待っていると分かっていても止まらない。ならば、攻略キャラと関わりないような立場になるしかない。このご時世、例え財閥の令嬢であろうと婚約者がいなくてはいけないということはないけれど、ゲームに全く関係のない婚約者が既にいれば、御曹司の婚約者になりようがない。確かゲームの設定では、御曹司と婚約を結んだのは中学に入ってすぐであったはず。それより前に婚約者を作ればいい。
馬鹿げている、と言ってくれていい。でも私は高校一年という若さで死にたくないのだ。
そうと決めてからは、積極的に色んなパーティーについて行った。ゲームの舞台である宝生学園に入学しない、という手もあるが宝生学園は一貫校で幼稚舎からある。既に初等部に在籍しているので学園から離れると言うのは現実的じゃない。だからこそ、攻略キャラではない人間とさっさと婚約してしまうのが合理的だと考えたのだが、これがまた酷く難航した。条件に合致する家がほぼほぼ無いのである。
鶴ケ崎家は、鉄鋼、造船、航空機産業から情報通信、金融、電気ガス、果ては映画演劇、芸術文芸まで一手に牛耳る巨大財閥である。そして私はそんな鶴ケ崎財閥の一人娘、となる。幼い頃から決める婚約者なんて、がっつり政略結婚だ。家同士のメリットが無いと成立しない。大体の家相手に、こちらが得するような家が本当にないのだ。それこそ、御曹司を始めとする攻略キャラ達の家くらいしか見合う家がない。
気付けばもう小学五年も終えようとしていた。まだ婚約者は見つからない。父も母も特に気にしていないようだけど、後二年もしないで私はあの御曹司の婚約者に就任し、高校一年で死んでしまう。絶対に嫌だ。この頃にはもう、信じていない神にすら祈っていた。
その願いが届いたのか、一通の手紙が届く。それは私との縁談を希望する旨が綴られていて、送り主は『五条』。ゲームの攻略キャラはおろか、脇役として出てくるキャラにも無い苗字だった。その手紙を見た父も母もその家に心当たりはなさそうだったが、鶴ケ崎家の当主を降り隠居生活に入ったばかりだった祖父だけはその家を知っていた。祖父はそれはもう苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をしつつ、
「確かに『五条』ならば不足ないだろう」
と言ったのだ。
まさに千載一遇のチャンスだと思った。「不足はない」などと言いつつ、気が進まない様子の祖父を説得し、見合いの場を設けることに成功した。どうにも五条家は鶴ケ崎家の娘(つまり私の事だが)が婚約者探しをしていると聞きつけて手紙を送ってきたらしかった。ちょうど五条家にも私と同じ年の息子がいるらしく、すぐに婚約者として関係を結ばずともまずは友人として如何か、という提案をしてきているらしかった。祖父はぶつぶつと「白々しい」だとか悪態をついていたが、私はもう五条家の息子『五条悟』と婚約するつもりだった。その子がどんな子でも構わなかった。私にとってはその子がまさに命の恩人になるのだから、どんなに我儘で傍若無人なクズであろうが、ぶくぶく肥えたデブで見るに堪えない面をしていようが、何でも良かった。
祖母に着付けてもらった子供用の振袖は七五三で着たものとはまた違った着物だった。七五三の時は赤く可愛らしい着物だったけれど、今回は水色の少し落ち着いた柄のものだった。別に水色も嫌いではないが、何となく振袖は赤系のイメージがあって少し落ち着かない。
鶴ケ崎家御用達の高級料亭の奥の一室に向かう。既に相手は到着しているらしかった。母が「大変お待たせして申し訳ありません」と頭を下げるのに倣って私も頭を下げ、そして顔を上げて『五条悟』を見た。その瞬間、全身に雷が落ちたかのような衝撃が走る。
五条悟は、黒い紋付袴を着ていた。その顔立ちは非常に整っていて、目が離せない程だ。日本人の顔立ちをしているのに、その目と髪の色がおよそ日本人とかけ離れた色彩だ。しかしそのパーツは違和感なく美しい顔を作っている。その蒼い瞳に私をしっかり映している。目が、合った。
え、本当にこの人ゲームの攻略キャラじゃないの? 隠しキャラがいるとか聞いてないんだけど。
もしかすると攻略キャラよりよっぽどキャラデザが美しい。あのゲームに隠し要素だとか続編があるという話は知らない。友人もそんなことは言っていなかったはずだ。それとも年月を経て新作が出たんだろうか。いやでもキャラの顔立ち的にゲームのキャラっぽくはない、ような気がする。いくら考えても友人から教えられたこと以上の事は知りえない私に、到底判断は出来ない。とにかく、私の知り得るゲームの展開に置いて『五条悟』というこの美しい男は一切登場しない。それは確かなのだ。ならばこれを逃すわけにはいかない。祖父があんなにも渋っていた理由が気になりはするが、そんなのは些事だ。私の命が掛かっている。命より大事なものなど無いに決まっている。詳しい事情等は追々分かるだろう。何よりこれは、五条家から打診された見合いなのだ。よっぽどのことがない限り、破談にならないだろう。まぁ、五条悟が無理やり連れてこられた、とかで無ければ。いやでも紋付き袴着た上で今現在大人しく席に座ってこっちをじろじろ観察しているくらいだ、多分大丈夫だと思いたい。
一言もしゃべらない私達の事をあまり気にしていないのか、子供達の付き添いで来ている母達の会話が頭上で流れている。最初はお互いの子供について良いところを言っていた様だが、いつの間にかママ友にでもなったのかただの世間話や夫の愚痴なんかを言っている。子供の見合いで「後は若いお二人で」なんていう時間がやってくるのかは知らないが、とにかく私は五条悟をずっと見ていて、この縁談は纏まるだろう、と確信していた。話さずとも、五条悟本人が断ることもないに違いない、と。
そしてそれは的中し、見合いから三日後、私と五条悟は正式に婚約者となった。