迷彩スキャンダル
切実に部屋に鍵を付けて欲しい。次母に会った今度こそお願いしよう。そう決意し何とか吐きだしたいため息を飲み込んだ。勝手に人の部屋に入って勝手に人のベッドの上で寝ころび寛いでいる男から毛布をはぎ取る。
「きゃー、ってばだいたぁん(はーと)」
「気色悪い声出さないで! もうっ、早く出てって!!」
毛布をはぎ取った先では、悟が携帯を弄っていた。その手を止めて私を見上げてくる悟はにやにやと笑っている。
早くベッドから降りろ、と腕をぐいぐい引くがびくともしない。身長190センチもある大男だ。いくら女子である私よりウエストが細く見えていても、それは見かけだけだと良く知っていた。悔しい。ついに引っ張っていたこちらの腕をいなされ、白く細いがしなやかに筋肉の付いた美しい腕が私の首に回ってそのまま引き寄せられた。抵抗することも出来ずに悟の上に倒れ込んだ。
「そう焦るなよ」
「っ!? 離して! さっさとベッドから……いや部屋から出てってってば!!」
「……ったく、こんなグレートイケメンに抱きしめられてるってのに……」
「悟!!」
「はいはい」
ようやく私を離し、ベッドからゆっくり起き上がった悟は、自分で自信満々に言った通り「グレートイケメン」と称されても何らおかしくはない容姿をしている。
モデル・五条悟。駅の広告や街中の液晶ビジョン、テレビCM等で見ない日はないくらいだ。ひとたび雑誌の表紙を飾ろうもんなら売り切れ必須のまごう事無きスーパーモデルだ。そんなスーパーモデルが我が家のしかも私の部屋に入り浸っているのは、非常に単純で明快な理由がある。母が五条悟の担当マネージャーなのだ。
母は大手芸能事務所に勤めている。幼い頃より忙しくも楽しそうに働いている母に、若干の寂しさを覚えない事がないこともないが、応援する気持ちの方が大きい。父が単身赴任で海外に行っており、年に一・二回程しか帰ってこられない為、母も中々時間が取れないことを気に病み、よく職場である事務所に連れて行ってくれることもあった。まだ誰かの専属マネージャーになる前の話である。所属のタレントさん達に可愛がっていただいた事もあり、一部の肩とは今でもたまに食事に連れて行ってもらうこともある。あの大人気女優のホームパーティー常連客という事は友人達にも言っていない。
母が五条悟の担当マネージャーになったのは、私が中学に入る頃だった。五条悟は事務所社長の知り合いのお子さんで、あまりにも美しすぎるから、と社長自らスカウトし、とても丁寧に育ててきたまさしく秘蔵っ子。万が一にもスキャンダルなどが起きないよう、母が四六時中面倒を見るということで話が纏まり、我が家で生活をすることになったのだ。スキャンダルを警戒しつつ、何故娘がいる我が家に身を寄せることを事務所が許可したのかさっぱりだ。後から聞いたところによると、五条悟の希望によるところが大きかったらしい。家にやってきた五条悟に、私はどう接するべきか非常に悩んだ。ちょうど思春期真っただ中。クラスの男女差もはっきりしてきてお互いに距離を測りはじめる時期だ。「仲良くね」と言う母の期待に応えねばという気持ちもあり、ただ無言でこちらを見てくるだけの五条悟を自室に招き、ゲームキューブの電源を付けてスマブラをすることにした。クラスの男子達が一番盛り上がっているゲームはこれだったから、これなら五条悟もやったことあるだろう、くらいに思ったから。話をするには話題も無いし、そもそもこんなに綺麗な子を真正面に据えてまとも話を出来るとも思えなかった。しかしその試みは見事成功したようで、黙ってゲーム画面に向かっている内にぽつぽつと話が続くようになり、「ゲームしようぜ」と誘われたり、最終的には馬鹿みたいにはしゃいで二人して母に叱られるようにまでなった。その頃には悟の顔を見ても何とも思わなくなっていた。
今思えば、こうして躊躇なく自室に悟を招き入れていたのが良くなかったのだろう。気付けば悟は何の断りもなく私の部屋に入りごろごろと入り浸り寛ぐようになっていた。一応我が家には悟の部屋も用意されているにも関わらず、だ。
「なぁ今日も鏡花サン買えり遅いってよ。俺置いてまた事務所行ったから」
「最近随分忙しいね。悟、ドラマでも決まったの?」
「聞いてねぇし、オーディションも行く予定ねぇよ。な、今日の晩飯何作んの?」
「早く食べたかったら部屋から出てって早く。いつまでも着替えられないでしょうが」
「手伝ってほしいって?」
「言ってない!」
気持ち的には蹴り飛ばしたいが、間違っても怪我させるわけにはいかない。仕方なくぐいぐいと背中を押して部屋から追い出した。今度は悟も大した抵抗を見せずすんなり部屋から出て行く。先程は飲み込んだため息が無意識に漏れ出て思ったより大きく吐きだしてしまった。早く制服から着替えてしまわないと。ここでまた時間を掛けると悟が戻ってきてしまうかもしてない。如何せん、この部屋に鍵は無いので。これまでも着替え中にドアを開けられて……という展開何度もあった。母はどうしてそんな状況に娘が遭遇していると気付かないのだろうか。実の娘より悟といる時間の方が多いからか、妙に悟に対する信頼度が高いのだ。よく悟を家に置いて職場に戻る時に「のこと、よろしくね」と言っていくのだ。何故だろう。
また部屋を開けられる前に着替え終わらせリビングに戻る。悟はソファに座って適当にテレビのチャンネルをザッピングしているようだ。スーパーモデル五条悟は、CM王と言っていいくらいどのチャンネルのCMに出てくるが、逆にバラエティなどの番組には出て来ない。まだ高校生だから、と事務所で調整しているらしいが、本当の理由は五条悟の性格がくっそ悪いことがバレないように、との配慮だと思っている。きっともうちょっと精神的に大人になってから、とか思っているに違いない。
「なー、今度化粧品のCMオファー来てるらしいんだけど、その相手役、やってくんない? 顔映んないって言ってたし、社長も鏡花サンもお前がいいって言ったら、ってさ」
「嫌だ。演技なんて出来ないし」
「演技とかいらないって。ただ俺に口紅、だったっけか、塗られるだけだからさぁ。あ、口元ちょっと映るな。まぁでも口元なら分かんねぇだろ」
「嫌だってば」
「ちょっとしたバイトだと思えばさ。社長もギャラ出すって言ってたし」
「別にお小遣いに困ってないもの」
「そう言うな、って。あ、そうだ。その新商品のカラー何個かくれるって。学生向けの色もあるって言ってたから。なぁやろうぜ」
いつの間にかソファから立ち上がって私の後ろまでやってきていた。無駄に高い身体を窮屈そうに折り曲げて腕を私に巻き付けて纏わりついてくる。
「ちょっと、邪魔なんだけど」
「やるって言うまで離さないから」
ぐりぐりと頭を擦り付けられて首がくすぐったくて煩わしい。
顔面での押しが聞かないと分かるとすぐこうして全身で我儘を通そうとしてくる。母がいる時は絶対にしてこないが、そもそも母がいる時の方が珍しい。自分の意見が通るまで絶対に妥協をしないことは嫌と言うほど知っている。悟が望んだ時点で基本的に決定事項なのだ。なんでこんな性格に育ってしまったのか。……確実に私のせいではないだろう。
「なぁーってばー」
「……分かったよ。絶対映らないんだよね? 特定なんかされたら私、外歩けなくなるんだけど」
「大丈夫大丈夫。そこは保証するから。じゃあ俺から言っとくから。よかった、がやってくれて」
諦めて了承すれば、それまで巻き付かせていた手が早々に離れていく。ちゅ、と耳元でリップ音の様なものが聞こえたが、聞こえなかったことにした。
上機嫌な悟が鼻歌を歌いながら横に並ぶ。「で、何作んの?」手伝う気らしい。もう疲れたし、何でもいいか。
「じゃあ……炒飯にする」
「ん、おっけ」
何でもいいか、と思ったけど。そう言えば今悟は食事制限しているのだろうか。悟は特に気にする様子もなく冷蔵庫から色々取り出している。成長期の男子だし肉をごろごろ入れるのもいいが、やはり体型維持のために豆腐を加えてみたりとかした方がいいのだろうか。並べられている材料を見て、でも私別に栄養管理してやる理由も無いしな、と出された材料たちに手を伸ばした。