烙印を押される
「俺、こいつと付き合ってるから」
犬も歩けば棒に当たる、の本来の意味は「でしゃばると災難に見舞われる」であるが、現在では「出歩けば思わぬ幸運に出会う」という意味で使われる場合が多くなってきているらしい。こういった本来の意味とは逆の意味で使われる言葉が増えてきているそうだ。有名どころだと、「確信犯」だとか。そんな事を国語教師が授業の合間の余談として話していたからだろうか。結局その授業では言葉は常に変化していくものだけどその変化を把握したうえで都度適切な言葉を使えるようになることが大切なのだ、と締めくくられた。
隣の席の五条君はとても美しい。男の子に美しいと使うと少しちぐはぐな感じがするが、私の持つ語彙力で正しく簡潔明瞭に表現するならやっぱり「美しい」になる。それはまさに犬も歩けば棒に当たる改め五条君が歩けば愛の告白に当たると言う感じ。その意味するところがどちらであるかと言われると、五条君の眉間に寄せられた皺がその答えと言えるのではないだろうか。。
クラスの女子だけに留まらず、他学年や他校の生徒でさえも五条君に夢中だ。ここまで完璧なまでの美しさだと、男子も僻むに僻みきれないらしい。五条君のあまりよろしくない性格を知っても尚、「それすら魅力!」と言わんばかりに集まりきゃーきゃー騒ぐ。五条君は自分の美しさを十分理解していたし、それが当然であると謙遜することなくそしてそう騒がれることを特に気にしている様子もなかった。モテて当然、そう言わんばかりの態度が鼻に付かないといえばウソになるが、世の中結局顔だ。美人は三日で飽きるなんて言うけど、それもウソ。三年間見続けてきたけど、一切飽きない。それは日々成長していくからというのもあるが、詰まる所「美人は三日で飽きる」というのは凡人たちの僻みなのだ。負け犬の遠吠えと言ってもいい。
初めて五条君に会った時、私も例にもれずめちゃくちゃ見惚れた。何なら自己紹介の声は上擦って裏返った声を五条君に笑われている。出席番号が同じで、席が隣になるのだ。三年間同じクラスだから三年間隣の席で過ごしてきた。流石に毎日顔を合わせていれば普通に話せるようにもなる。それに五条君は家の用事だとかで学校を欠席することがそれなりに多く、その度にノートだとかプリントを貸していたので仲は悪くない方だと思う。思いたい。五条君は律儀にも毎回ノートやプリントを貸すごとにジュースだとかを奢ってくれるものだから、学校の自販機の銘柄を結構早い段階でコンプしてしまった。今では五条君のお気に入りのいちごミルクを一緒に飲んでいる。
そんな交流を続けていれば、よく「五条君のこと、どう思ってるの?」だとか「五条君とどういう関係なの?」と聞かれる。酷い時は「五条君に色目を使わないで!」なんて言われた事も。そうやって女子に絡まれるから、五条君の事がどんどん苦手になった。五条君には悪いけど、こればっかりはどうしようもない。一年生の頃は、こんなにかっこいい子が隣の席だなんてまるで少女漫画のヒロインにでもなったみたい、だと舞い上がっていたのに、今や席替えが待ち遠しくて仕方が無くなってしまった。休み時間は押しのけるように席を追い出されるし、ちょっと話しているだけで刺すような視線を感じる。そろそろ下校中に刺されるんじゃないだろうか、なんて結構真面目に警戒している。「ただ隣の席なだけだよ」と言ったところで納得しないのだから、じゃあ聞いてくるなよ、とこちらもうんざりしてしまう。かと言って、五条君が私に何かをしたわけじゃない。ちょっと鼻につくところがあるにしろ、ノートやプリントを貸さない理由はないし、話しかけられて無視するなんてことも出来る訳がない。全く五条君に悪いところが無いかと言われると、少し首を傾げたくなるけど。でも別に本当に、五条君自身に酷いことをされたことは一度も無いから、こっちが勝手に苦手意識を抱いて避けようとしている、という状態だった。
その日は、どうにも朝から五条君の機嫌が悪かった。周りに集う女の子たちへの対応もいつも以上に雑だったし、言葉遣いも普段以上に荒かった。それすらも「素敵」だと騒がれていたけど、それに比例するように五条君の機嫌は降下していった。隣席である以上授業中は逃げられない。「教科書忘れた」とか言いつつ鞄の中からその教科書がしっかり見えているのに、私はそれを指摘することも出来ず大人しく机をくっつけた。今以上に機嫌を損ねさせるのは嫌だったし、触らぬ神に祟りなし、ってよく言うし。五条君の機嫌が上向くことがないまま放課後を迎えてしまう。放課後になって何も用事は無いからさっさと帰ろうと席を立ったところで勢いよくぶつかられて床に尻もちをついてしまった。
「五条君、これ読んで!!」
私にぶつかった子はこちらなんて目に入っていないようだ。きっとぶつかったことを気にもしていないのだろう。もしかしたら気付いてすらいないかもしれない。手に握られたピンクの可愛らしい封筒は、どこからどう見てもラブレターだった。受け取ってもらう事を期待して目を輝かせている女の子は、確かに可愛らしいだろう。私にぶつかってこなければ普通に応援したのに、打ち付けたお尻の痛みが恨みがましい目線として現れてしまった。いやでもこれ私被害者じゃん。
「大丈夫?」
差し出された手を凝視する。ラブレターを差し出している子を押しのけて五条君が私に手を差し伸べている。あっけに取られて握り返せずにいると業を煮やしたのか床についたままだった手を取られて立ち上がらせられた。
「あーぁ、後ろ埃ついてんじゃん」
善意で払ってくれたであろうその手を拒絶するわけにもいかず、スカートの上からとは言えお尻を触られたことは何も言えない。
「ちょ、ちょっと五条君、」
「あのさぁ」
何か言い募ろうとした女の子の言葉を遮って五条君が言葉を被せた。いつの間にか教室内は静まり返っていた。
「俺、こいつと付き合ってるから。分かる? 彼女いんの。だからお前らがどんなに寄ってたかって来ても無駄なんだよね」
じゃ、行こっか。
そう言って五条君は私の手を掴んだまま、私の鞄と自分の鞄を片手で持って教室を出た。もちろん手を掴まれている私も同じように教室を出る。
「あーやっと解放された。いい加減ウザかったんだよね」
何故か楽しそうな笑顔で言う五条君の真意が何一つ理解できないでいる。ずっとこうしたかったんだよね、と朝から機嫌が悪かったのがまるでウソの様だ。今にも歌いだすんじゃないかというくらいに上機嫌でびっくりする。何がそんなに嬉しいのか。
「ね、後で俺のっていう印つけていい? あ、お揃いのものも欲しいよな」
このままどっか寄っていこうぜ、と握られた手は離される気配がない。廊下にいる生徒たちの視線が物凄く刺さるのに、五条君は何も感じていないかのようだ。
意味が分からない。その五条君が言う印っていうのは明日からの私の生活を脅かすものじゃないのか。彼女ってウソだよね? 今すぐウソだと言ってもらえないと、本当に私は明日からどうすればいいのか。
上機嫌に私の手を握ってぶんぶん振っている五条君に聞いても欲しい答えは返ってこない、ということだけはよくわかっていた。