三倍返しにも程度があります
幼い頃の記憶に残っている玩具は積み木ではなくサイコロだ。スポンジが中に入っていてそれぞれの面に50音が一文字ずつついているもの。恐らくそういうキットか何かを使用して母が作ったものだと思う。今は目が疲れるからと言ってあまりやらないが、結構本格的なミシンを所持している母は昔は何でも自分の手で作っていた。マジックテープで繋いだ野菜のおもちゃだとか、はたまた手提げ袋だったり。寮に入る前、自室を片付けていた時に出てきた手作りの野菜は半分がニンジンでもう半分が大根になっていた。作ってくれたサイコロで遊んでいた記憶はないけれど、こうして積み木の様に積み上げていたのだろうか。
既に私の頭の高さを超してなお高さを更新し続ける大小様々な形の箱や袋をぼんやり見つめていると、そんな事を思い出した。せっせとそれらを積み上げているのは今年度より同級生となった五条君だ。もう3月に入ってしばらく経ち、もうすぐ進級するが同じクラスになるだろう。何せ私達の学年は4人しかいない。けれど先輩らを見れば、4人でもそれなりに多く感じるのはこの学校に慣れたという事なんだろうか。
五条君は至極楽しそうにこの品はどこそこの何で〜……なんて説明をしながら器用に積み上げていく。五条君は幼い頃積み木で遊んだりしたのだろうか。ふとそう思って想像してみたけれど、小さい頃の五条君がどんな子供でどんな遊びをしていたのか全く思い浮かばなかった。今の五条君を見ていると野山を駆け巡って虫取りに精を出していそうでもあるし、家で寝っ転がってゲームをしていそうでもあるし、お着物を着て何やらお堅い習い事をしていそうでもある。なんたって五条君は呪術師界において知らない人はいないと言っても過言ではない程の超の付く名家・五条家のご出身であらせられるのだから。家も凄いが本人も大分凄いというのがみそだ。決して家の七光りによる知名度じゃない。むしろ逆だと言ってもいいかもしれない。五条君がいるから五条家が有名だと言ってもいいと私は思っている。五条悟の事は入学前から知っていた。同じ東京校に入学するのだと知った時に両親から「くれぐれも失礼のない様に」「変なことはするな」「間違っても喧嘩を売らないで」と嫌になる程言い聞かされた。あの五条家のあの五条悟と一緒だなんてツイてるのかツイてないのかわからないな、とため息をついたのを覚えている。着かず離れず、適当な距離感でいよう、と日々過ごしていたのにまさに「どうしてこうなった」と頭を抱えたい次第だ。
五条君は今にも鼻歌でも歌いだしそうな程上機嫌に品物を積み上げていく。
3月14日火曜日仏滅。ただの平日でしかないが学生は授業がある。春休みなんてものが形骸化しているこの学校において、任務で進まない座学を進める為に休みは消えていく。3月のこの冬の終わりから春にかけて人は陰気を溜め込む。表に出て来ない分呪霊の発生は控えめで、任務がちょっと少なめだった。だからといってダラダラできる訳もなく、遅れている分の教養科目の単位取得のために教室に来て詰め込み学習をさせられている。ギリギリゆとり教育世代である我々は詰め込み教育にとりあえずの文句を言ってはみたものの、須らく夜蛾先生に黙殺され、たまに頭に拳骨を食らい結局机に齧り付くしかなかったわけである。数学Tと書かれた薄っぺらい教科書の三分の二までしか「もう3月なのに!!」終わっていないと教師は嘆いていた。嘆きたいのはこちらである。同級生たちはどちらかといえばこぞって理系だ。五条君も硝子も提示されたプリントやら問題集やら片手間にさらさら〜と終わらせていったし、夏油君も何一つ悩む素振りを見せることなくペンが進んでいた。私、根っからの文系だから……なんて脳内で言い訳しても余白は埋まらないので優秀な同級生たちに頭を下げて写した。終わった後に息をついて、ふと疲れた脳には甘いもの、なんてよく五条君が言っていたからついついそれを思い出し、そう言えば今日ホワイトデーだったなぁなんて思って「甘いもの頂戴よ」なんて言ったのがきっと悪かったのだろう。
ちょうど一か月前、2月14日火曜日大安。任務の帰りにコンビニに寄った時にチョコレートのコーナーに気付きバレンタインであることを思い出した。特にチョコレートをあげたいと思う相手などいなかったが、あげないとネチネチ言いそうな相手はいるなと思い至り、如何にもなバレンタインコーナーからではなく、普通のお菓子コーナーからお徳用キットカット大袋を一つ購入した。義理チョコなんてこれで十分でしょ、と思って。どうせモテにモテまくってお高いチョコやら色んな気持ちの籠った手作りチョコを沢山貰っているであろう同級生たちの箸休めになれば、という優しさでもある。私だって中学生までは友人とチョコやお菓子を交換しまくってハロウィンよりもお菓子長者として沢山の戦利品を持ち帰っていたのだ。残念ながら高校唯一の女子友達である硝子は甘いものが好きではないし、バレンタインを匂わせたら懐からタバコを取り出しかけたので丁重にお断りした。私は一生タバコを吸う気はない。
所詮義理チョコ、それもお徳用大袋だ。お返しなんて最初から期待していない。もしくれるなら自販機でココアの一本でも奢ってくれれば十分、そんなものだった。貰えなくたっていい。実際ホワイトデーであることをついさっき思い出したくらいなのだから。
積み上がっていく品々を見上げる。私の机の上からはみ出す程の大きさの箱もあるし、自立しないショップ袋に入ったものは私の膝の上にある。これはあれそれの何々で、という五条君の説明は相変わらず耳を滑っていく。ちらりと横目で他の同級生達の様子を伺ってみれば、夏油君は我関せずといった体で携帯を弄っている。彼は五条君が積み木を始める前に私の机の上に缶ジュースを一個置いた。その缶は可哀想な事に、五条君が邪険にして「これ邪魔」と早々に隣の机の上に避けられた。ぷるぷるゼリーと書かれたそのジュースは振ってから飲むゼリー飲料だ。最後までしっかり飲み切れないからあまり進んで買わないけど味は好きなんだとそう言えば前に言った気がする。それを夏油君が覚えていてくれたなら嬉しいが、あのジュースは水やお茶の次に自販機内で安い。内容量も他のジュースに比べて少ないし。つい最近補助監督の何某さんが任務の送迎に来てくれた際に、「ちょっと寄ってもいいですか」と言われ着いたのが自販機業者だった。その時に私が「ブドウ味のジュース好きなんですよね」と言ったその一週間後くらいからラインナップされたジュースなので責任もって飲めよ、という事だろうか。あの時車内に夏油君もいたからその話を聞いてるし、夏油君はコーラがお気に入りで特に要望も言ってなかった。私は小岩井やウェルチ辺りを想定して言ったんだけど。いや好きだけどね、ふるふるゼリー。硝子は五条君が積み木を開始した時に「うわ……」と引いた声を上げたけれど、今では窓を開けてタバコを吸っている。たまに「やべぇな五条」と言っているけど本人には届いていないらしい。五条君はいそいそと積み木タワーの高さ記録更新に精を出しているのだから。たまに聞いた事ある会社名というかブランド名が聞こえる。その名はブランドに疎い私でもロゴが出てくるくらい有名なものから、どこそこのセレブ御用達だと有名なものまで……とにかく有名なものばかりだ。きっと聞き覚えの無いものも有名なんだろう。こんなところで財力の差を感じる。これは五条家の財力なのか、それとも階級が上の呪術師の給料が半端ないのか判断に困る所だ。五条君はお坊ちゃんなのだ。素行は荒く、どこか小学生を思わせる言動をすることはあるが、どことなく品を感じるところがある。例えば食事中だったり、正座している所作であったり、日常生活の端々に上流階級ですと言わんばかりの細やかなオーラを感じるのだ。口調も荒いのに。詐欺と言っても差し支えない。あとやっぱり、金銭感覚がべらぼうに違う。今まさにそれを見せつけられている。ついに硝子がカメラを起動させて写真を撮り始めた。
「ねぇ、五条君」
「ん、何? あぁどんどん開けていーよ。気に入ったのあった?」
「ううん、そうじゃなくて。これ、何かなぁ……みたいな」
「何って……ホワイトデーのお返しだろ。さっきお前自分で言ってたじゃん」
「いや、そうでもなくって……。多すぎ、かなぁ、って」
「は? でも三倍返しがジョーシキなんでしょ」
これとか似合うと思うんだよね、と五条君は一旦積み上げる手を止めて上の方に積み上がっている小包を手に取り包装紙を開け始めた。その包装紙に書いてあるブランド名は良く知っている。ちょっと前に読んだ雑誌で、人気の結婚指輪ブランドランキングの上位に載っていた名前だ。
「指輪って安いんだって初めて知ったわ。一応さ、給料三か月分っていうからそのくらいの値段で探したんだけど中々無くってさー。でも石ごろごろ付いてても邪魔になっちゃうじゃん? 付けてもらわないと意味無いし」
箱を開けた五条君は勝手に人の左手を取って、そのまま薬指に指輪をはめた。「ここ予約しとくから」何事も無かったようにまたバレンタインのお返しタワーを作り上げ始めた五条君に開いた口が塞がらない。
何度も言うが、こんなものをお返しされるようなものは渡していない。
「ねぇ、私が用意したのはお徳用キットカットの大袋だよ、分かってる?」
「は? 当たり前だろ。ちゃんと全部食ったからこうしてお返ししてんじゃん」
「……全部?」
「そーだお前さぁ、あんな雑に置いとくなよな。他の奴が先に食ってたらどうすんだよ。お前の気持ち減っちまうだろうが。今回は俺が一番最初に見つけたから良かったものの」
「いやだって」
義理だよ、と言っても五条君は知らんぷりだ。その内に夏油君がやれやれ、と首を振って言った。
「あの日悟が全部持っていったんだよ。悟以外、誰も食べてない。まぁ、悟から全員分お返し貰えてラッキー、くらいに思っておけばいいんじゃないかな」
そう言われて薬指に嵌っている指輪を見る。五条君が言ったことが真実なら、これは五条君の給料三か月分の値段になっているはずだ。目の前に積み上げられているタワーの事を考えると、それ以上の金額を使っていることになる。
背筋が凍りそうだ。
特級呪術師の一か月の給料がいくらかなんて知らない。聞きたくもない。
「嘘でしょ……?」
「残念だけど、悟の気持ちは本当だよ。諦めな」
「どんまい、」
どこまでも他人事な同級生達を睨んでもどこ吹く風だ。
「なぁー来月の十四日、この中のどれか着てデート行こうぜ」
楽しそうに笑っている五条君も、私の蒼くなった顔なんて見えていないらしい。
何事にも限度があると、果たして私は理解させることが出来るだろうか。