30円の災厄





「俺、所謂”視える”ってやつなんだよね」

 そう言って五条悟は並々に注がれたオレンジジュースをぐいっと煽り、コップを空にした。お茶かジュースしかなくて、でもあの五条悟にオレンジ100%のジュースを出して果たして飲むだろうかと悩んで一応聞いてみたらジュースと即答されたので恐る恐るジュースを出した。その呑みっぷりは仕事終わりのサラリーマンのようで、よく父が晩酌時に見せていた姿によく似ていた。お互い未成年だからお酒なんて飲んだことないけれど。
 五条悟は中学校で一緒だった。一度も同じクラスになった事はないが、よく知っていた。何というか、有名人だった。その容姿もさることながら、家柄だとか学力だとかにおいても一線を画していて、皆が遠巻きに眺めていた。女子に人気もあってファンクラブだか親衛隊だかも存在していた。過激な女子達による影での小競り合いを知っていたのか知らなかったのかわからないけれど、五条悟は徹底して関りを持とうとしなかった。抜け駆け禁止のルールを無視して告白した学年一可愛いと言われていた子すら一瞥もせずに振ったと聞いたときは驚いた。その子でダメなら誰ならいいのか、と様々な噂が流れたけれど結局誰もお眼鏡に適う事は無かったらしく五条悟の恋人になる子はいなかった。そもそも五条悟が恋人を欲していたかは知らない。

「物心ついた時からそうだったんだけど。俺の家の奴らはみんなそう。だから別に何も特別な事じゃないんだけど、面倒だからさ。あぁでもお前が修学旅行の時に部屋替わってやってたヤツ、あれは嘘だな。全然視えてなかった」

 空になったコップに再度オレンジジュースを注ぎながら、修学旅行を思い出す。約2年くらい前の話だから容易に思い出せた。同じ部屋だった友人がインフルエンザに罹ってしまい修学旅行を欠席した。急だったから部屋の編成をやり直す時間もなく、私はホテルのツインにたった一人で過ごす予定だったのだけど、突然隣のクラスの子がやってきて「部屋を替わってほしい」と頼まれた。その子は五条悟程ではないが中々に有名な子だった。所謂”霊感少女”なのだ。いつも「あそこに髪の長い女の人がいる」だとか「首がない男の人がこっちに来る」なんて言って騒いでいた。彼女の取り巻きもそれなりにいて、オカルトブームなんてのも一時期起こった程だ。一体どれだけの人が幽霊を信じていたかは知らないけれど、私は全く信じていなかった。

「中々酷い話だよね。部屋替われってことは何かがそこにいたから言うわけだろ。まぁ実際は何にもいなかったけど。 エゴだよね。本人はそれでいいとしても、部屋替わってやったお前が怪しげな霊に悩まされても平気ってことじゃん。フロントだとか先生に言って別の部屋にチェンジしてもらえばいいだけの話なのに」
「彼女にすれば、霊感の無い人間だったら悩むことは無い、という考えなんじゃないかな。それに、修学旅行生受け入れで他のお客さん含めてもホテル満室だったらしいし」
「ふぅん。でも何で替わってやったの? 別に仲良くも何ともなかったじゃん」
「仕方ないよ」五条悟に注いだものと同じジュースを一口飲んで「『幽霊なんているわけないじゃない』って言った手前、『それなら部屋替わってよ』なんて頼まれて『嫌だ』って言えないもの。要望に応えてあげたけど……そりゃあ正直いい気はしなかったけどね」
「部屋の明かりを煌々と点けて、テレビでも流しながら寝たとか?」
「まさか。飛行機で全然寝れなかったし、朝も早かったから早々に熟睡してたよ。勿論何の不具合は無かったし。それどころか、最初の部屋は空調が壊れてたのか温度調節効かなくて助かったぐらいだし。次の日彼女が顔を合わせるなり『何ともなかった?』と真顔で聞いてきたの。だからちょっと嫌味で『いい部屋だったよ。物凄いイケメンとデートする夢見た』って言ったら、途端に顔色変わってね。どうやらあの子に視えてた霊はイケメンだったみたい」
「へー。何にもいなかったけどな。むしろお前が最初に泊まる予定だった部屋に髪の長い女いたけど」
「え」
「だから視えてねぇんだって。ただ単に注目集めたいだけのかまってちゃんだってこと」
「えぇ……視えてたって碌な事無い、視えない人が羨ましい、って溜息ついてたのに。本人にとっては切実なんだろうけど慰めようが無いしな、なんてちょっと同情してたのに」
「ま、視えてても碌な事なんてない、ってのには同意。視えない体質に生まれた事に感謝するんだな」

 ついさっき「視える」とカミングアウトされた側としてどう反応すれば良いのか。これは皮肉なんだろうか。いや、多分皮肉そのものなんだろう。

「信じてない、って言ってたけど。何かが視えてることは疑わないんだ?」
「だって、視えてるって言ってたし。視たり感じたりはしてるのかな、って。あの子は周囲の気を惹くために霊感少女の演技をしてたのかもしれないけど、五条君はそんな?をつく必要がないじゃない。私の持論だったんだけど、ありもしないものを視たり感じたりするのは人間の得意技、って。そういう意味では幽霊は存在するのかな、って。まぁ……ちょっと揺らぎ始めちゃったわけだけど」

 ちらり、とダイニングテーブルに置いてある10円玉6枚を見る。中学時代、何の関りも無かった五条悟をこうして家に招きオレンジジュースをサーブしているのは、この10円玉のせいだった。
 最寄り駅の改札を出たところで名前を呼ばれて振り返ったら、些か怖い顔をした五条悟がいた。この人私の名前なんて知ってたのか、と感心していたところギリギリと手首を強く握られ「最近何か変な事無かった?」と随分おかしな質問をされた。一体何を突然、と前の私なら思っただろうがその問いに引っかかる”変な事”に心当たりがあった。私の表情が変わったのを見た五条悟は「やっぱり」とどこか苦々し気に舌打ちをして何があったのか、と詰め寄ってきた。すっかりその気迫に押された私はすんなり口を割る。確かに悩んではいたし困っていたから、誰かに相談できないかと思っていたけど、まさかその相手が五条悟になるとは思ってもいなかった。
 つい先日、と言ってもまだ一週間も経っていなかったはずだ。突然知らない人に「30円持ってませんか!」と鬼気迫る顔で詰め寄られた。つい「はい」と答えるとその人は手に握った10円玉3枚を見せて「これと交換してほしい」と言われたのだ。何の変哲もない10円玉だったし、別に錆びてるわけでもなさそうで普通に使える10円玉に見えたからどうして交換する必要があるのか分からなくて黙っていたら、急に手を掴まれて「いいから早く!」と物凄く怖い目で睨まれてしまって。それで怖くなってさっさと解放されたくって財布から30円取り出した。そうしたらひったくる様に私の30円とその人の30円を凄い勢いで交換して走っていったのだ。暫く呆然としていたのだけど、その内に何だか訳の分からない30円を持っているのが嫌で家に帰り机の奥深くに袋に入れてしまい込んだ。それからというもの、何となく体が怠かったり階段から落ちそうになったりが続くようになって、少し気味が悪くなってきてどうしたものかと思っていたのだ。
 話を聞き終えた五条悟は難しい顔をして「その30円、まだ家にあんの?」と聞いてきたので「ある」と答えたら、「じゃあ俺の30円と交換しよう。いますぐ」そう言って私の手を引いて歩き始めて、今ココって感じ。五条悟、小銭持ち歩いてんだな、と思った事は秘密だ。

「”呪い”だよ。結構ポピュラーなヤツ。コックリさんより手軽に出来ちゃうんだよね。30円交換するだけだから。だから地味に面倒でさ。良かったね、今日俺と偶然会えてさ。呪いっていうよりおまじないって言った方が分かりやすいのかな。元々は”相手の運と自分の運を取り換える”って呪いなんだけど、力の無い奴がやったところで大した効力なんてない。でも、呪いってのは人の心から生み出される。これもそう。たくさんの人間がこれを交換してきたんだろうね、『何か起こることを期待』してさ。そういった期待や思惑や畏れを纏わりつかせて、今や立派な呪物の出来上がり、ってワケ」

 正直五条悟の言っている事の半分も理解が出来ないのだが、とにかく何だかマズイことに巻き込まれていたというのは分かった。「どうしてこんなことに詳しいの?」と疑問に思った事を聞いてみればあっさり「視えるから」と返ってきたわけだけど。
 机の奥深くから取り出してきた10円玉3枚を五条悟は自分の方に引き寄せて、それから黒い財布から10円玉3枚を取り出し私の前に置いた。「これでオッケー。じゃあこの30円は貰っていくから」そう言って五条悟は自分の財布にそのまま30円をしまった。

「よく分からないけど、良くないものなんでしょ? 五条君大丈夫なの?」
「心配してくれてんの? 俺、視えるだけじゃなくて祓えるから大丈夫。専門家だとでも思ってて」
「……うん、ならいいんだけど」
「とりあえず一回俺の通ってる学校来てくんない? 前から寄せ付けやすいなぁって思ってたし、高専経由ならそっちに詳しい術師見つかるかもだし。でも相当だよね。そんなに引き寄せやすいのに当人は何にも感じないし視えないなんて」
「え? 何の話?」
「憑いてる、って話。嫌でしょ、キモイ呪霊引っ付けてるの」
「え!?」

 勢いよく後ろを振り返っても、当然何も見えない。今まで視えた事なんて無いのだから当たり前だ。くつくつと五条悟が笑っている声が聞こえるが、笑い事じゃない。視えないけど憑いてると言われて怖くないなんてことはない。例え信じていなくとも怖いものは怖いわけで。

「何とかしてやるから」

 笑いをこらえながら言う五条悟を見て、そう言えば、と思い出した。中学時代、五条悟と同じ高校に進みたかった子が五条悟に進学先を聞いて「山奥の私立宗教系高専」と答えたという噂を聞いた。家は立派な日本家屋だというし、一時期五条悟は神社か寺の息子だと噂が流れ、一部の女子は将来五条悟が坊主になるのではと泣いていた。まさか、あの噂は本当だったのか。たくさん流れては消えた噂の中で一番信憑性がないとすぐに消えた噂だったのに。

「五条君ってお坊さんになるの? あんまり似合わないね」
「は? なんねーけど」

 二人して首を傾げた。寺生まれのGさん的なアレだと思ってたのに違うんだろうか。

「ならないの? だって祓える、って」
「俺は呪術師。別に坊主は祓わねぇだろ」
「いや知らないけど」
「知らないのかよ」

 めんどくさそうにため息をついて五条君が胸ポケットから学生証を取り出してこちらに投げ渡してきた。東京都立呪術高等専門学校と書いてある。都立ですって。

「表向きは宗教系の私立校ってことにしてんの。実際は呪術師養成学校ってわけ。日本に2校しかない呪術界の要ってやつ?」
「そのジュジュツっていうのにまず説明を求めたいんだけど」
「……でもお前視えないだろ。視えないヤツに説明すんのが一番ダルイ。しかもお前さ、こんな呪物持っててけろっとしてたしめちゃくちゃ鈍いじゃん。鈍いっていうか生存本能働いてないだろってレベル」
「あんまり無事ではなかったような」
「下手に知っちゃうより知らないままでいる方が安全でしょ、ってこと」

 そう言って五条悟は掛けているサングラスをずらしてこちらを覗き込んできた。ずれた先に見えた瞳にドキリとする。彼は本当に日本人なんだろうか。こんなに綺麗な色の瞳なんてアニメキャラクターくらいしか知らない。
 とにかく五条悟に詳しく説明する気はない、らしい。確かに彼の言う事にも一理あるような気がする。知らないままでいる方が安全、なのかもしれない。でも中途半端な知識を放り込まれている今の状態がもどかしい、と思うのは素人考えなのだろうか。「とりあえず連絡先教えて。高専来れる日決まったらメールするから」言われるがままにケータイを取り出して赤外線で連絡先を交換した。中学の同級生たちがこぞって欲しがっていたあの五条悟の連絡先をまさか私が手に入れることになろうとは。もう少し私がミーハーだったら自慢しただろうか。
 しっかりジュースを飲み干した五条悟が「じゃあまた連絡するわ」と片手をあげて帰っていくのを見送った。よく分からないまま私は五条悟の通う呪術高専とやらに行く羽目になっているらしいけれど、果たしてそこで私はどういう扱いを受けることになるのか。五条悟は何も詳しく教えてくれなかったから不安で仕方ない。新しく電話帳に増えた『五条悟』という項目を眺めてため息をついた。