非ヲタ五条はヲタク同級生を振り向かせたい




1)

 全てタイミングが悪かった。今思えば彼に悪いところは今回に限って言えば無かった。
 任務が立て続き全然休めなかったから疲れ果てていたのもそうだし、その間にも全く免除されない課題が溜まっていって硝子からどんまいメールを貰ったのもそうだし、極めつけは最後に行った任務で助けた男性に執拗に迫られた。何が「運命を感じた。愛してる僕の天使」だバーカ。何だ天使って。愛という名の偶像崇拝主義を叩き潰す天使の事か? 疲れでボロボロの身体を引きずって何とか全速力で走り、既に補助監督さんがエンジンをふかしてくれている車に乗り込んで逃げた。この任務のせいで10月から始まるシャナにBLACKCATの第一話目をリアタイ出来なかったし、何なら今日これから始まるBlood+に間に合わないかもしれない。ゴールデンタイムにやってたナルトやBLEACHも見れてないしアイシも見逃してる。録画はしてあるけど溜まりすぎててマズい。容量を圧迫していて、間に合わなければBlood+が録画できないかもしれない。補助監督さんには出来るだけ急いでほしいとお願いしている。最終的にはケータイのワンセグで見るしかないけど、電波状況良くないしそんなに画質も良くないから出来ればテレビで見たい。
 高専が見えてきたところで荷物を小脇に抱える。頑張ってくれたおかげで何とか走れば間に合いそうだ。談話室のテレビを誰も見ていないことを願うしかない。自室に戻る時間は多分ない。後五分で始まってしまう。
 お礼もそこそこに車から飛び出して走った。やっぱり任務で疲れているからかいつもよりスピードが出ていない気がするし、体力も持ちそうにない。校門から寮までやけに遠い。けれど中まで車は入れないしひたすら走るしかないのだ。

「お、。 帰ったんだな」
「お疲れ五条君ごめんね今急いでいるから!!!!」
「あ、おい待てって!」

 寮の入り口が見えてきました、というところで、玄関に座り込んでいる人影が見えた。遠くからでも分かる。あの目立つ白髪は五条君だ。走っている私を見て五条君が立ち上がり気さくに手を上げて声を掛けてくれる。がしかし、今私にそれに応える時間はない。もうBlood+が始まってしまう。
 こんなに急いでいるというのに、五条君は私の腕を掴んで談話室とは別の方向に連れて行こうとする。

「今テレビ空いてねぇよ」
「嘘!! 硝子にメールしてテレビ確保しておいて、って」
「急患、つってさっき出てった。だから俺が代わりに伝えといてやろうって」
「えぇ! それならテレビ確保しておいてよぉ!! オープニングから見たかったのに!!」
「無理言うなよ。この時間は取り合いになんの分かってんだろ」

 一番下の学年である私達がテレビを譲らなくてはいけない、のは分からないでもない。けれど数少ない先輩方は稼ぎもあるし、自分のテレビを持っているはずなのだ。ただそれでも、談話室のテレビはそれなりに良い値段もするし大きいテレビなので皆そこに集まりがちというか……。いやまぁ私も自室にテレビあるけど、見れるなら談話室のテレビで見たいもん。寮の部屋に大きなテレビなんて邪魔だし。

「俺の部屋で、見せてやろーか?」

 とても魅力的なお誘いだ。何せ五条君の部屋のテレビは良いテレビなのだ。大きさは談話室のテレビに負けるけど、画質はいい。音もいい。何なら座るソファーも大変心地いい。本当に金持ちなんだな、と思った。家がお金持ちでお坊ちゃんというのもあるけど、決してそのお金が親の金じゃなく自分の稼ぎであるというところが、五条君の金持ちオーラを嫌悪できない理由だ。

「……いいの?」

 そう言いつつ、私の足は自主的に五条君の部屋の方へ向かっていた。一秒が惜しい。

の部屋まで行くよりは近いだろ」
「本当にありがとう五条君。大好き。素敵な同級生を持てて私は幸せだよ」
「……おう」

 何だか五条君の歯切れが悪くなってしまったけれど、アニメ開始時間を2分過ぎてしまっていたので私はテレビに目を向けた。隣に座った五条君もアニメを一緒に見ているけど、どうだろうか。このアニメ、五条君は気に入るだろうか。

「本当にありがとう五条君。助かった」
「いーけど。……なぁ、この後」
「じゃあ部屋戻るね。溜まった分のアニメ消化しないと次のリアタイで追いつけなくなっちゃうし」
「メシ食ってねぇじゃん」
「部屋で食べるよ。実家にいたら出来なかったけどねーながら食い」
「待てって」

 座り心地の良いソファから立ち上がったところを、また五条君に腕を掴まれた。

「五条君?」
「俺、ただ善意でを誘ったわけじゃない。分かる? 俺のこと好き」

 掴まれた腕を引かれる。そんなに強い力じゃなかったのにそのまままたソファに戻ってしまった。
 こちらを見る五条君はいつもみたいに自信満々、という目ではないのにとても強い意思の籠ったものに見えた。少し胸が跳ねる。けれど、赤く染まった目の下や少し涙の溜まっている潤んだ瞳と、何故か今日訳の分からない愛を押し付けようとしてきた任務で助けた男と被って見えた。五条君と似ても似つかないはずなのに。
 あの男に変なちょっかい出されなければ急ぐ事も無く普通に間に合う時間に帰ってこれた。間に合うどころかシャワーを浴びる余裕さえ出来てたはずだった。
 そんな現実逃避をしたからだろうか。

「愛という神聖な言葉を軽々しく連呼する人間は全員硫酸浴びて溶けろって常日頃思っている」
「たった今真剣に告白した俺に対する答えがそれか、冗談抜きに出家を考えちまうぞチクショーが」

 確実に返す言葉を間違えた。

2)

 本当に間違えた。反省している。謝罪もしたけど、「じゃあ俺と付き合って」なんて言われたので撤回した。そんな条件呑めるはずもない。
 正直に言って、あんな言葉で断るつもりはなかった。本当に、ただその前にあった任務でしつこいくらいに愛だのを叫ぶ男に付きまとわれたせいで過敏になっていただけで、五条君が軽々しく言葉を用いたわけでもなければ、愛を連呼したわけでもない。五条君の身に覚えがないことで酷い振り方をしてしまった。
 五条君とは高専に入学してから出会った。これでも呪術師の端くれ。代々続く呪術師の家系、というわけではないけどそれなりのパイプがあったから、会ったことは無くとも話くらいは知っていた。何せ、五条君の持つ術式と六眼の組み合わせは呪術界の希望ともいえる力なのだから。五条家の直系でも中々生まれない「六眼」はそれはもう物凄い目らしい。相手の呪力や術式やらが見えているらしいけど、詳しい事は知らない。
 そんな呪術界の超新星、いや希望の星である五条君は、人格者ではなかった。一押二金三姿四程五芸、という言葉に合致するほど五条君は何でも揃っているけど、性格がねじ曲がっていた。よく五条君が口にする「腐ったミカンども」のせいであることは何となく感じ取れる。この呪術界で聖人君子の様な性格を持っていたとすれば、利用されるだけ扱き使われてボロ雑巾のように捨てられるに違いない。捻くれて疑う目を持たないと安心できないのだ、残念ながら。だから硝子が「クズ」だなんて言うけれど、まぁそれもしょうがないんじゃない、と同情する余地はあるように思うのだ。……同情、しないけど。
 人格者ではない五条君ではあるが、情がないわけではない。少なくとも私達同級生に対する態度はそんなに悪いものだと思ったことは無い。よく夏油君と言い争いや術式を用いた小競り合いをすることはあるけど、良い友人関係であると思う。親友を名乗りだすのも時間の問題だろうと思っている。硝子や私に対しても、口は悪いがそれなりに思いやりを持って接してくれている……はずだ。少なくとも任務で見捨てられたり酷く馬鹿にされたことはない。むしろ私が任務先でアニメの録画を忘れた時は録画をお願いされてくれるし、時間が合えば五条君の部屋のテレビで見させてくれる。お土産も買ってきてくれるし、仲は悪くないと思っていた。

「んなの、下心あったに決まってんだろーが。好きなヤツに良く思われたい、って普通だろ」

 告白されて以降、五条君は時と場所を選ばずアピールしてくるようになった。五条君の気持ちに気付いていなかったのは、どうやら私だけだったらしい。教室で毎日「可愛い」「好き」「付き合って」を繰り返す五条君に誰も驚いていなかった。そうなってくると、私は五条君を意識してしまいなるべく五条君と一緒にいないようにしよう、と避けるようにした。元々任務の関係もあって、教室に揃う事も少ない。一番長く過ごすのが教室なのだから、出来るだけ教室にいないようにした。ホームルームぎりぎりに教室に入り、休み時間は教室から出て、放課後もさっさと教室から去る。一年全員で出る任務なんかは、車の中で寝たふりをした。ずっと視線は感じるので全然休まらないけど。五条君も私が避けていることに気付いていて、ついさっき夏油君に「悟を何とかしてくれないか」と言われた。私に言われても困る。いや、避けてる私が悪いのも分かるんだけど。
 声を掛けられそうになる度、「用事を思い出した」「先生に呼ばれている」「任務の準備をしなくちゃいけない」でっち上げの理由を作り上げてはトイレに籠った。最初は爆笑していた硝子にも「いつまで続けんの」と呆れられてしまった。本当にね、いつまでやるんだろうね。そろそろ言い訳が思い浮かばなくなってきた。何とかしてくれ神様、と信じちゃいないが都合のいい時にだけ頼る脳内神様にお参りする。勿論、何とかしてくれるはずもなく。

「なぁ、いつまでそうやって逃げんの? いい加減観念しろよ」

 黒板にでかでかと書かれた「自習」の文字。夜蛾先生が任務に出たのだろう。先生も一級呪術師として非常に忙しい人だから、自習なんてよくある話で。机にだらりとした姿勢で座っている五条君しか教室にいなかった。夏油君は任務だろうか。後ろにいる硝子が「早く入ってよ」なんて文句を言っている。あぁ、そう。いや、だめだ。ついさっき「お腹の調子が悪くて」と言って教室を飛び出したばかりだ。もうネタがない。でもこのまま教室に入るわけにもいかない。何で先生、自習にしたの。何で私か五条君のどっちかに任務が無いの。

「ごめん、宗教上の理由で君と同じ空間に入れない」
「テメエこの無神論者!!競歩で出て行くな!耳を塞ぐな!っていうか何で俺こんな奴が好きなんだ?!!」

耳を塞いでいても聞こえた五条君の声に、いやそれこっちが聞きたいよ、って思った。


3)

 大変申し訳ない、という気持ちは勿論ある。一々酷い言葉を重ねなければ断る文句も出て来ないのか、という反省もしている。だからと言って殊勝な態度が取れるかと言われると、またそれは別の話である。そう思う事に何の異論もないはずだ。とは言え、五条君側にだって物申したいことはたくさんあるだろう。多分ありすぎるのだ。だから今、こんな状況になっているわけで。
 どれだけ私が全力を尽くそうが、体格差というものの前には紙切れ同然。足の長さからして違うし、そもそも私は足が壊滅的に遅かった。周りに命の心配をされる程に。だからそう、どれだけ五条君から逃げ回ろうとも本気を出されずとも、私は捕まってしまうのだ。五条君がその気になれば。あぁくそ。I need more power. 私に力さえあれば……っ!なんて。どれだけ私が強くなろうが五条君のチート術式の前では風の前の塵に同じですよね知ってた!!

「何でそんなに逃げんの。ただお前が好きだから、付き合ってほしいって話じゃん。それなのに逃げてばっかでまともに答えてすらくれないでさ」

 そう言われるとこちらも弱い。五条君の言う通り過ぎて何も言い返せない。とは言え、私にも答えられない理由というか事情があるにはあるわけで。でも多分これを言ったらめちゃくちゃキレられること請負いなので言えない。硝子に聞かれてもはぐらかしているくらいなのだ。五条君本人に面と向かって(いや向かってなくても)言えるわけがない。

「どうしても相容れないモノも存在するのよ。わかる?わかったら退いて。ハウス!!」
「俺は犬か!?絶対諦めてやらねえ。今決めた、そう決めた」

 だから私は五条君に「真面目に取り合ってもくれない酷い奴」という印象を与え諦めてもらう方向で動いているというのに、五条君は意地にでもなっているのか真っ向勝負で突撃してくる。本人も前に言っていたけど、何で五条君は私なんかを好きだなんて言って追いかけまわすのか。
 私はヲタクだ。ただアニメや漫画を読んでキャーキャーするだけじゃない。グッズも買うし、何なら自分で二次創作をしてしまうくらいのヲタクだ。私生活の殆どを自分の推したちや妄想につぎ込んでいる。一応呪術師の端くれとして学生ながらに仕事をこなすため、そこそこ自身のみてくれに気を遣いはするが、本来ならば化粧品だとかも安く抑えてもっと趣味につぎ込みたいと思っている。給料が出てよかった。任務が実習の一環みたいな扱いであったら下手したら給料発生しない可能性もあるだろうし。ブラックだと思っていたけど、そこら辺だけはやけに誠実なんだよなぁ、と思わないでもない。
 壁にしっかりと押し付けられて、五条君の腕の中に囲われている。逃げ出す隙間はない。というかここでもし五条君が術式でも使ったら完全に私は圧迫死するだろう。それくらい近い。
 五条君は私があまりにも酷い言葉で真剣な告白をうやむやにしてしまってから、それはもう好きだ好きだと隠しもせず毎日私に言う。硝子にも夏油君にも「もう諦めたら」と言われてしまった。硝子なんてあんなにも五条君の事をクズだなんだと扱き下ろしていたというのに。何が「でも五条、アンタにはマシでしょ」だ。そうだよマシなんだよ。だから困っているんでしょうが。夏油君もしっかり五条君の肩持っちゃって、「悟は君の事、本当に本気なんだよ」と。だからしっかり向き合ってやって、と続くのは分かりきっている。私だってそう思う。完全に今、状況は五条君優勢に傾いているのだ。傍から見ても、五条君は健気かと思うくらい私について回って私の気を引こうとする。
 別に五条君の事が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだと言ってもいい。これが恋愛感情かどうかはまた別として。悪い人じゃないだろうとも思っている。きっと付き合ったら私の事を大切にしてくれるだろうな、という予感だってしている。それくらい、ここ数日の五条君は私に甘い。色んな意味で。
 私はヲタクだ。ヲタクであることを誇りに思ってはいないけれど、別にやめるつもりもない。一生ヲタクだろうな、と思っている。何も難しいことを考えることなくフィクションの世界に浸っていられるから大好きだ。
 ヲタクだから、趣味の時間を取られるから、そう言った理由で五条君を拒んでいるわけじゃない。いや、広義の意味で言えばそうなるんだろうか。私は今16歳。彼氏は勿論いない。彼氏いない歴=年齢、というやつ。まぁ別に16歳で彼氏いた事無いっていうのは珍しくもなんともないだろうけど。
 私は将来、具体的には成人した後、「もー! 年齢=彼氏いない歴更新だよー!」と嘆きたいのだ。あぁうん、意味が分からないと思うけど。これはそういうものなのだと思ってほしい。私は、そうなのだと言うだけ。ヲタクである私が二次元のキャラに現を抜かしていいのは彼氏がいない時だけだと考えている。もし彼氏がいたら、その人を大事にしないといけない。私はヲタクだ。色んな作品ごとに推しがいる。その時ハマっているジャンルで熱量は違ってくるけど。でもきっとヲタクではない五条君に、私が二次元に熱を上げる理屈なんて理解できないだろう。もし五条君と付き合ったら私は私生活に五条君を取り入れなくてはいけない。私はずーっと、リアルなんて関知しない夢の世界で楽しんでいたいのだ。
 ね? これは絶対五条君怒るでしょ。私だって自分の事ながら訳の分からない酷い話だと思ってるよ。
 だからとりあえず、徐々に既に近い距離をゼロにしようと迫ってくる五条君から上手く逃げる方法を考え出さなくてはいけないのだ。今すぐ予鈴なってくれないかな。



4)

 珍しく4人全員が揃った教室は、久しぶりに真面目な授業が始まった。日々呪霊だの呪詛師だの呪物だのと戦っているが、我々は高校生なわけで呪術高専といえども一般教科の授業はあるし、勿論中間期末試験なんていうのもある。あってしまう。だから任務の移動中に単語帳を開いて勉強したりする。本当に電子辞書様様だ。電子辞書先輩にはお世話になっております!! いつも車の中ではアニソン聞いて漫画読んでアニメ見たりしている私がリスニング教材を聞きながら単語帳を読むようになると、皆「試験近いんだね」と言う様になった。ちなみにこんなに真面目に勉強している私が一番成績下である。4人中4位。解せぬ。「いや車乗っている時しかやっていないじゃないか」あー聞こえない聞こえない。部屋に戻ったら私にはやることが沢山ありすぎて教科書開く時間なんかないんだよ。後ちゃんと勉強してますアピールしないで夏油この野郎。知ってるよお前真面目だもんな! 宿題忘れた事ありませんみたいな顔してますもんねぇ!! いやそれが正しいんだけど。大体あの三人は私の部屋にやってきては漫画を借りて読んでいくけれどその読むスピード早いしスパンも短い。試験期間中だろうと構わず漫画読んでいるくせに何でちゃんと点数取ってんだよ。要領か? そうです私はとーっても要領が悪くていつも先生に可哀想な目で見られていますが何か。でも正直な話、要領悪いってのは何とかしたい。特に五条君や硝子はとても要領がいいから見習いたいんだけど、まず要領ってどこを見習えばいいのか。誰かと任務に出ると、特にその要領の悪さが浮き彫りになるから困ったものだ。同級生たちならまだ「やれやれ」という感じで助けてくれるけど、それ以外の術師だともう胃が痛くて仕方がない。今日もこの後任務に出る予定なんだけど、はいそうです胃痛案件ですお疲れ様でしたー。多分向こうも私がバディで胃が痛いだろうけど。
 それにしても今日は教室が静かだ。いつもなら「飽きた」だの「つまんない」だの言って関係ないお喋りや茶々入れをする第一人者がいるのだけど、何故か今日はしっかり黒板を見てしっかりノートを取っているらしい。教壇に立つ先生が感動の涙を堪えている。物理の先生、いっつも五条君にこてんぱんに虐められているからな……。五条君、術式の関係もあってか理系の物理が特に詳しくて、いつも専門的すぎる内容を質問されては先生たじたじになってるのをけらけら笑ってるもんな。高校生レベルの物理の話が院生レベルになってるって先生職員室で泣いてるよ。ちなみに私も物理が難しくなりすぎて泣いてます。五条君のせいだ。これでも理数系は真面目に勉強しようと思ったことがある。苦手すぎて中学の時に諦めたけど。空想科学の本が面白くて、自分でも漫画やアニメのキャラの非常識すぎる能力をリアルに解析しようと思ったことがあるのだ。テニスといいながら格闘技やってる中学生の技とか特に。まぁ所詮フィクションではあるんだけど、考えたら楽しいから仕方ない。
 教壇から「ここテストに出すよー」の声で慌てて板書に戻った。私は授業を真面目に受けないと分かるものも分からなくなってしまうからしっかりしなければ。急いで板書を済ませたところで授業終了のチャイムが鳴った。教科書やノートを片付けているところに、ガタガタと椅子を引く忙しない音を立てて五条君が私の机の前に陣取る。最早ルーティンだった。逃げても逃げ切れないから諦めて逃げるのをやめた。そうすると今まで以上に私の周りをちょろちょろするようになってしまった。「カルガモかよ」と硝子は言ったけれど、まだ可愛くマイルドな表現だな、と感心してしまった。もっと酷い例えを使って来るかと思ったのに。五条君はどこから見ても美しいそのご尊顔を少しだけ傾け私の机に肘を載せながら「なぁ、」と至極真剣な表情で切り出した。どうしたんだろう。何か任務か術式の話だろうか。

「授業中真面目に考えたんだけど、俺がお前に何かしたから俺を嫌っているのか?」
「別に何もされて居ないし嫌いじゃないから授業中は授業受けろ。ジワジワとこっち来るな!威圧感が凄い!」

 椅子から落ちるかと思った。いや、このまま顔を近づけられると椅子の背もたれの限界が来る。

「嫌いじゃない? ホント? じゃあ何で付き合ってくれないの」

 こんなに好きだって言っているのに、とぶすくれた顔を近づけて拗ねてますアピールをされても本当に困るのだ。本当に、何度も言うけれど私は今彼氏が欲しいと思っていないのだ。恋愛なんて二の次で、今は愛すべきキャラクターへの愛を貫きたいのだ。見返りの一切来ない一方通行の恋であるが、私は非常に満たされている。今日もキャラが元気でコマの中を動き回っているだけで幸せ。これ以上何も必要ない、ってくらい。
 確かに五条君はかっこいい。正直言ってしまえば、私の好きなキャラより整っている可能性も高い。「俺の方がこいつよりかっこよくねぇ?」とアニメ見ながら言われた時、私は反論できなかった。いやでも蛭魔のかっこよさは顔じゃないんだよ……。性格もあんまりよくはないかもしれないけど、でもアメフトに真剣なところがかっこいいんだよ……。あ、性格の悪さで言ったら五条君の方が悪いと思うけど、流石にそれは口にしなかった。

「だって好きな人いるから」
「またそれ。今度は何のアニメ? この前見てたヤツ?」
「そりゃあアニメのキャラだけど、でも一番好きだから無理だよ」
「でもアニメじゃん」
「アニメだろうがそうじゃなかろうが私の好きって気持ちに区別はないもん。五条君の事、そりゃあ嫌いじゃないけど私三次元の人間に恋出来ないから諦めてよ」
「諦めるもんか、って決めてるから無理。もう俺が一番じゃなくてもいいから付き合ってよマジで頼むから」
「嫌だよ。浮気になるもん」
「ならねーよ!!」

 五条君に私のこの感覚が分かる日は来るまい。

5)


 五条君は今日も元気に私の周りをうろちょろしている。最近は軽いボディータッチまで増えてきた。今じゃちょっと抱きしめられるくらいは日常茶飯事で、「そんなんだから五条がつけ上がるんだよ」と硝子に注意された。反省しているけど、拒否してしょんぼりとする五条君の顔に大変弱い。セクハラを訴えられないのは私の心の弱さ故であって決してイケメンに迫られて嫌な気はしないとかそんなことではないので勘違いはしないでほしい。正直な話、好きと言われて嫌な気はしない。「ちょろすぎじゃない? あいつクズだよ」硝子の言葉が胸に刺さる。いや分かっている。身をもって知っている……とまで言えるかはちょっと微妙だけど。五条君は気持ちを隠さなくなってからそれはもうスーパーダーリンにでもなるの? ってくらい私に優しい。夏油君や硝子の奇妙なものを見る目をものともしない。優しくされている私の方がいたたまれないくらいだ。つい先日、夜蛾先生にさえ「悟を野放しにするな」と訳の分からない説教をされて、それを五条君に「じゃあずーっと一緒にいればいいじゃんね」と励まされるという意味の分からないことがあった。私は五条君の彼女じゃないし保護者でもない。五条君がさっさと私を飽きてくれれば全て解決するんですけど、とは言えなかった。
 休みを目前にし、中学の頃の友人から連絡が来た。言わずもがなヲタ友である。カラオケに行こうという誘いに、任務も何も予定の入っていない私は二つ返事で了承した。土曜6時のアニメは録画した。

「……どっか行くの?」
「うん。友達とカラオケにね。五条君はこれから任務?」
「まぁね。ね、その友達って女? 男? 女だよね?」
「え? あーどっちもいると思う。中学の頃からのヲタ友でねー」
「やだ」
「は?」
「俺も行く」
「いや、任務行きなよ。それに多分ウチの友達、五条君見たら喋れなくなるよ。こんなイケメン見たら委縮しちゃうよ」
「でもはしなかったじゃん」
「そりゃあ……まぁ。それは、うん、ねぇ?」

 嫌だ嫌だと駄々を捏ね始めた五条君に、早く誰か迎えに来てくれないかなと周りを窺うも誰も通る気配もない。
 ヲタクという人種は、まぁ私の周りのヲタクは、という話であるけど、直視できるイケメンは二次元だけなのだ。下手すると二次元でも目を細めないと見れない可能性もある。五条君は、貴方どこのアニメから飛び出してきたの? っていうくらいのカラーリングで存在だけなら二次元なんだけど、やっぱり生身だとお話するのに支障が出る。大体そういう髪色の人はヤンキーだとかリア充というか、まぁ偏見なんだけど。そもそも非ヲタの人間と話すのが苦痛と感じるタイプもいるし。行こうとしているカラオケなんて、アニソンカラオケになるんだから、そんなところに五条君を放り込めない。というか私は高専の人とカラオケに行くことを避けに避けまくっているので、五条君を連れて行くわけにいかない。
 私が五条君に委縮しなかった、と五条君は思っているけど決してそんなことはない。めちゃくちゃビビってる。ただあの頃にはもう既に世界で一番愛しているといっても過言ではないキャラクターに出会っていたので、そのキャラ以外どうでもよかったからあまり興味がなかっただけなのだけど。勿論現在もそのキャラを一番愛している。

「えーっととにかくもう待ち合わせの時間だから! 五条君も早く任務行きなね。補助監督さん待たせてるでしょ」
「待って、俺も行く!」
「駄目だよちゃんと任務行ってね!」

 面倒になってじゃあね、と手を振って走れば、それ以上五条君は追ってこなかったので安心した。
 カラオケは平日の昼間が一番安いんだけど、流石にそんな時間に学生がカラオケに行くことは出来ない。土日はちょっと高くなるが仕方ない。まぁどうせフリータイムで19時までしかいないけど。高校生なら昼間から19時までカラオケに籠っていれば十分遊んだことになる。どうせ喉もガラガラになってその後何処かに行こうという話にもならない。せいぜい晩ご飯に牛丼でも食べて帰ろうか、くらいなものだ。フリータイム中にピザとかポテト食べるからお腹が減っているかはまた微妙だけど。
 友人達と合流して、アニソンキャラソンを歌いまくってほくほくしていた所で携帯が鳴った。友人達にごめんね、と言ってから部屋を出る。画面に表示されている名前は「五条悟」。まぁそうだろうな、という気はしてた。

「五条君、終わったの?」
「秒で終わらせた。ねぇ今どこ? まだカラオケにいるの?」
「さすが早いね」
「まぁね。ねぇどこ? 迎えに行くから」
「えぇー……」

 後まだフリータイムは残っているし、まだまだカラオケ会は盛り上がっている。ここに五条君を連れてくるわけにいかない。仕方がない。友人達の心の平穏を守るためだ。

「もうお開きになるから」
「え、ホント? じゃあ俺とデートしよ。前に行きたいって言ってたお店行こうよ。ちょうどおやつ食べるのにいい時間だし」

 迎えに行くね、とさっきまで低かった声が機嫌のよい上擦った声に変わる。仕方なくカラオケ店の名前を伝えて通話を切った。
 部屋に戻って友人達に「ごめん高校に戻らなくちゃいけなくなった」と謝る。友人達には私がちょっと特殊な専門学校に通っていることは伝えているので「大変だねー」くらいで済んだ。自分の分のお金を置いて店を出るともう既に五条君がいた。少し遠くで五条君に声を掛けようとしている女の人たちの姿が見える。ナンパするならもっと早く行動に移してほしかった。もう五条君は私に気付いてしまってまっすぐ私の元に来てしまった。ついついため息が出てしまう。
 手を引かれてそのままカフェだの何だのに連れまわされた。それはもう五条君は満足げではあったけど。「カラオケ行きたいなら俺が付き合うから、もう男と出掛けないで」そうは言われても、私五条君とカラオケに行きたくないんだよなぁ。
 この日以降、五条君が酷くなった。もうベッタリである。どこに行くにも付いてくるし付いてこようとする。私の予定をがっつり把握しては休みの日に先んじて予定を入れてくる。五条君と離れられるのは任務だけくらいの勢いになってきた。そう、任務だけは五条君と一緒にならないのだ。階級が違うので。でも任務後は迎えに来ようとするし、何なら任務に合流しようとすらしてくる。そろそろ夜蛾先生怒ってくれないかな、と思ってるんだけどその様子は今のところない。与えられた任務はしっかりこなしているから言えない、のだと信じてる。
 困り果ててももうどうしようもないので諦めかけていた所、ぱったりと五条君に付きまとわれなくなった。どこにでも付いてこようとしなくなったし、休みの日の予定を確認してもこなくなった。とても快適で素晴らしい、のだけど私がどこか行こうとするたびにそれはもう恨めしげな目でこちらを見てくるのだ。たまに唸り声も聞こえてくる。硝子も夏油君も「ほっとけ」と言うのだけど、何だかあんまりにも五条君が可哀想に見えて仕方が無くなってしまった。これはもう完全に絆されている。認めるよ。五条君に絆されてます。うーうー唸って夏油君に小突かれても反撃しない五条君がちょっと可愛くも見えてきた。まぁ別に? 五条君の事が嫌いなわけじゃないし。好きでもない……のかな。ちょっと分からなくなってきたけど。
 どれどれ、と項垂れている五条君の元に近づいて尋ねてみる。

「最近来ないけど具合でも悪いの?」
「元気、超元気。傑と硝子に『お前ストーカーっぽい』って言われて反省中につき可愛い事言わないでクダサイ」

 あぁ……。それは私も思ってた。